読み込み中です...

2019年5月30日(木)

パラリンピック2連覇・テニス界のレジェンド!国枝 慎吾

パラリンピック2連覇、4大大会での勝利数は史上最多の22勝!
車いすテニス国枝慎吾選手はレジェンドと言えるほどの実績を残しています。その実力はすでに東京パラリンピックにも内定しているほど!

レジェンドの華麗なチェアワーク!

車いすといえば、両手で車輪を回して移動したり、後ろから押してもらうのが普通。

ですが、もちろんラケットを持ちながら試合をするテニスプレーヤーは両手で車輪を回せないので車いすを扱うことだけでも大変です。

しかし、国枝選手は片手どころか、両手を離していたって腰の力を使って自由自在に動くことができるんです!

まるで車いすと一体かのようななめらかで繊細な動きのおかげで、国枝選手はコートをめいいっぱい使うことができ、一見届かなそうなボールでさえ打ち返してみせます。

レジェンドの運動量と予測力!

さらに国枝選手が優れているのは、驚異的な運動量とその予測力。

上の図は国枝選手が動いている範囲を緑、相手選手が動いている範囲を青で示しています。

ご覧の通り、国枝選手の動く範囲はかなり広いことがわかります。

さらに、国枝選手の強さの特徴は“予測力”にもあります。

国枝選手は自分がショットを打った瞬間、相手からボールが返ってくる前にボールがどこに来るのかを予測して動きます。

打ったらすぐに車いすで走り出す様子は少々不思議ですよね?だって「先に動きだしたら、相手はその逆に打てばいいんじゃない?」と。

しかし国枝選手は、相手の選手が国枝選手が狙った方向にしか打てないようにコントロールしているんだそう。

なん手か先を読みながら試合を進めるため、試合が終わった後、1番疲れるのは頭だというのも納得です。

国枝選手の脳を調べてみると…

ボールの動きを的確に捉えて予測する役割である五次視覚野が発達していることがわかりました。

国枝選手の長年の練習の結果、脳の働きをうながしたと考えられます。

努力で能力に磨きをかけた国枝選手。まさにレジェンドです!

レジェンドのミリ単位のこだわり!

選手の相棒のテニス用車いす。

選手たちは自分の身体に合わせてカスタマイズして使っています。

国枝線選手も6年かけてミリ単位の試行錯誤を行った結果、北京・ロンドンパラリンピックで連覇を達成しました。

しかしその翌年、国枝選手はある決断をします。

「椅子の高さを3センチ上げたい」

せっかく6年もの歳月をかけて調整したすべてを振り出しに戻すかのような要求でした。長年、国枝選手の車いすを手掛けてきたエンジニアの安さんも「本当にこげるのかな?」と思ったそう。

そんな挑戦的な要求の理由は、海外選手のプレースタイルの変化に合わせるためでした。

海外の選手は車いすテニスでは難しいとされる、頭の上を越えるショットを打ってくるようになったのです。

いすが低い分、損をしている…!といすの高さを上げたのですが…。

バランスが取れなくなり、結局その車いすには乗れませんでした。

たった3センチと思いますが、「重心が高くなると体がブレてしまい、こげなくなる」のだそうです。

それでもあきらめなかった国枝選手は、さらに試行錯誤を重ねます。

その結果、6~7ミリいすを上げて世界に挑むことにしたのです。

レジェンドのメンタル!

9歳のときに車いす生活を余儀なくされた国枝選手。テニスを始めたのはその2年後。

17歳で日本のトップに立つも、世界ランキングではいつも10位前後。成績に伸び悩んでいた国枝選手を変えたのが22歳のときのメンタルトレーナー アン・クインさんとの出会いでした。

世界一になりたいと話す国枝選手にクインさんは

“「なりたい」ではなく「なる」と毎日言いなさい”

と話し、国枝選手を選手が集まる食堂に連れていき「I am No.1」と叫ぶように言いました。

さらにクインさんの指示で毎朝鏡の前で「俺は最強だ!!」と叫び続けました。

すると、その4か月後、世界のトップクラスが集まる大会で初優勝、さらにその5か月後初めて世界ランキング1位に登りつめました!

今でも自分のラケットには「俺は最強だ」と書いたテーピングを張っている国枝選手。

コートの中ではこのラケットの文字を見て、自分を最強だと思い込ませています。こう思うことで弱気なプレーがなくなったといいます。

レジェンドの執念!

そんな国枝選手ですが、苦しんだ時期がありました。

北京・ロンドン大会とパラリンピックを制し、もちろんリオ大会でも金メダルを狙っていた国枝選手。

しかし、準々決勝で敗退し、メダルにすら手が届きませんでした。

その理由は、右ひじの炎症。

得意のバックハンドを何度も打っていたことにより、ラケットを握るのもつらいほどの激痛を抱えていたのです。

当時32歳の国枝選手に突き付けられたのは、テニスから離れて休息すること。引退がよぎる中、絶対にあらがいたいという思いがありました。

そして4か月の休息後、再び国枝選手はコートに立ちます。ラケットの持ち方を大きく変えて…。

今までの慣れ親しんだラケットの握方をなんと90度変えたのです。そうすることで、以前のフォームと違った筋肉を使い、痛めている筋肉を使うことなくテニスを続けることが可能になったのです。

変更前は手の甲側の筋肉を、手のひら側の筋肉を使うように変更。

2連覇した自分を支えた得意のバックハンドのフォームを捨て、ゼロからの再挑戦となりました。

そして去年1月の全豪オープン。国枝選手は決勝にコマを進めます。

厳しい試合のなか、流れを変えたのは、ゼロから練習を重ねたバックハンドでした。

3セットタイブレークにもつれ込んだ試合は、国枝選手の勝利!

2年4か月ぶりの四大大会優勝でした。執念で果たした王者の復活です。

腕を痛めてからは、本当に復活できるのか信じられなかったという国枝選手。しかし、少しずつ練習を重ね、復活を信じられるようになったと言います。

パラリンピック3つ目の金メダルを目指して挑む東京パラリンピック。大きなプレッシャーの中、金メダルをつかむ国枝選手が楽しみです。

                   
※NHKサイトを離れます

関連記事

    人気の記事ランキング

      記事ランキングをもっと見る

      最新の記事