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2019年2月22日(金)

早川史哉「白血病と闘うJリーガー」

今から3年前、一人のプロサッカー選手が、闘病を続けていました。闘っていた病は、いまも多くの人の命を奪う血液のがん、「急性白血病」です。

FIFA U-17W杯 (1列目の右端が早川さん)

Jリーグ、アルビレックス新潟の早川史哉選手。10代の頃から、同世代を代表するプレーヤーでした。持ち味は鋭い読みと、ディフェンダーながら併せ持つ、高い得点力。いま日本代表として活躍する、南野選手や室屋選手らと共に、日本サッカーの未来を背負う存在でした。

南野拓実選手

南野拓実選手

彼は、15歳くらいの時から一緒にプレーしてて、お兄ちゃんみたいな部分もあって色んな話とか相談とか、史哉とした思い出があって。


だから、そういう選手が病気になってしまったと聞いたときはすごくショックでした。

早川さんのサッカー人生は、終わってしまうかに見えました。しかし、前代未聞の挑戦を始めます。がんを乗り越え、Jリーグのピッチへの復帰を目指したのです。

急性白血病に襲われたJリーガー・ 早川史哉さんの“がん”という苦難からの3年を見つめました。

夢の舞台へのデビュー直後 急性白血病に襲われた

(2016年)

早川史哉さんがJリーグの扉をたたいたのは、3年前。地元・ 新潟市出身。世界の舞台を知るルーキーの入団に、サポーターは期待で胸を膨らませていました。しかし、すぐに異変が…。

早川史哉さん

試合終わってやけに疲れやすいなって感じてて、すごい寒気がして寝れなかったりとか、すごいだるさに襲われて。

くだされた診断は、「 急性白血病」 でした。白血病は、ガン細胞が血液内で増殖し、全身に広がる病。かつては、不治の病とも言われていました。早川さんのプロ契約は、出場わずか5試合で凍結されました。

奇跡的に生かされた命

白血病の判明から半年後。早川さんは、私たちの取材に応じてくれました。

この頃、抗がん剤での治療が続いていて、面会できるのは30分程度でした。それでもSNSを通じて、私たちに体調や治療の様子を伝えてくれました。

早川さん「移植前後は体調悪くなる日が多くなりそうです」。

早川さんは、「骨髄移植」に完治への望みを託そうとしていました。骨髄移植は、ガン細胞に冒された血液を、ドナーの血液に入れ替えるための治療です。

早川さんは、数百人から数万人に1人と言われる、同じ白血球の型を持つドナーが見つかり、移植を受けることが出来たのです。移植を終えた早川さんから届いたメッセージです。

早川さん「のどが荒れて、声を出すのもつらいです」 。

身体の回復が十分でないなか 胸に秘めていた"復帰への決意"

移植から3ヶ月。一時帰宅を許された早川さんに、私たちは初めてカメラを向けました。

まだ身体からは、自分の血液が抜けきっておらず、食事や外出時間に厳しい制限がありました。

早川史哉さん

刺身も食べたいですけど、納豆卵かけご飯が食べたいですね。納豆も生卵も食べれないんで。


最近筋肉痛がひどくて、ずっと病院で、横になってるじゃないですか。立つことがあんまりないから、歩くだけで足パンパンになっちゃうんですよ。

ところがこの日。早川さんはボールを手に、外に出かけました。

早川史哉さん

めっちゃ久しぶり。やばい。めっちゃ、めっちゃ久しぶりだ。


やばいですね、これ。めっちゃ違和感しかない。ボール重いし。

──ボールを蹴ったのは、どれくらいぶりですか?

早川史哉さん

10か月ぶりくらいじゃないですか。だって入院してからボール蹴ってないですからね。


いやぁ、ボールが重い。こんな重かったか。しかもめっちゃ息上がるし。

早川さんは、ある決意を抱いていました。

早川史哉さん

スポーツ選手でそういう白血病から戻るっていうのは、少ないと思うんですけど。


そういうなかで、自分が復帰することによって、仮に小さい子たちがそういう病気になっても、“まだまだ先は明るいんだ”っていうふうに、思ってもらいたいんで。不可能なことはないんだなというのを、証明したいと思います。

思いを強めたきっかけは、“白血病の少女との出会い”

なぜ早川さんは、険しい復帰への道を歩もうとするのか。大切にしている、輪ゴムのアクセサリーを見せてくれました。

早川史哉さん

僕が移植する前に無菌室に入っていたんですけど、その無菌室の時に、同じ隣のところに入っていた女の子からこれもらって。


アルビカラーだったんで、なんで知っているんだろうなって思ってたら、僕の存在を知ってくれてたみたいで。

骨髄移植に備え、無菌室で過ごしていたころ。外部と隔離され、孤独のなかで病気の恐怖と闘っていました。

そこで出会ったのが、隣の無菌室にいた中学生の少女でした。

彼女も同じく白血病を患い、骨髄移植を受けたばかりでした。

少女は副作用と闘いながらも、アクセサリーに添えて、「頑張ってください」と、小さな声で励ましてくれたのです。

早川史哉さん

病院入ってからあんまり人と話すことなかったし、同じような病気の子とも。その子の僕を励まそうとしてくれる優しい心に、すごい心が温かくなったというか。


本当にその子みたいに自分も、そういう存在になれたらいいなって。誰かの元気が出るような、存在になれるようになりたいなというのを、強くまた思い直したというか。

この取材のひと月後。少女は短い生涯を終えました。

ようやく始めたトレーニング 支えるのは "亡き少女の存在"

闘病を始めて1年半。早川さんはクラブハウスを訪ねました。復帰に向けたトレーニングを始めたいと、自らチームに申し出たのです。

スタッフ「おはよう」。

早川さん「おはようございます。ちょっと早く来過ぎました」。

スタッフ「早いね」。

早川さん「今日めっちゃ早く目覚めて、家にいても、なんかもう、早く行かなきゃ早く行かなきゃって」。

白血病はまだ再発の危険があり、経過観察が続くなかでのトレーニングです。

たどり着けるか分からない、「プロ復帰」 という長い道のり。あの少女から受け取った思いを、力にしようとしていました。

早川史哉さん

一回こういうような病気になって、なんか、チャレンジしないのって勿体ないなっていうか。一回しかないんだったら、その与えられた期間で、無理してもというか。


本当に、その子あっての、うん。今だと思うし。自分も頑張らなきゃいけないなというか。絶対、復帰しなきゃいけないなというような、感じはありました。

練習開始から半年 "復帰への壁とぶつかる"

早川さんがピッチを去って、2度目のシーズン。アルビレックス新潟は、前年の成績不振で、J2に降格。しかしそこでも、なかなか波に乗れずにいました。

チームが苦しんでいたこの頃。早川さんはクラブの高校生チームに交じり、練習を続けていました。10キロ近く減った体重は回復。体力も元に戻っているかに見えました。

早川さん (右)

しかし、長い闘病は、そう簡単に元の自分を取り戻させてはくれません。

高校生相手の練習試合のときでした。ボールを確保しようと切り返しましたが、思うように踏ん張りきれないのです。

早川史哉さん

もどかしいですね。本当にもどかしいんですね。


ちょっと前までは動ける喜びのほうが大きかったですけど、今はちょっと、動きの質とかに悩むことが多いので。それが戻せなかったら本当に、プロには戻れないと思うので。

苦しい状況でも 焦りを見せない

去年秋。新潟市で日本代表戦が行われました。そこに、南野拓実選手がいました。早川さんが10代の頃、共に日の丸を背負って、闘った仲間です。

その姿を、早川さんはじっと見つめていました。その帰り道。

──昔の仲間が活躍しているのを見ると、嬉しい気持ちになる?悔しさもあったんですか?

早川史哉さん

そうですね。病気になる前はすごい嫉妬っていうわけじゃないですけど、悔しさもありました。


だけど病気になってからは、純粋に彼らの活躍だったり結果っていうのを喜べるようになったかなと思いますね。

──なぜ喜べるようになったんですか?

早川史哉さん

何なんですかね。変になんか、プライドみたいなものがなくなったのか。


まぁ自分、いろんなことに、素直になれるようになったんじゃないかなと思います。

それは、思いがけない言葉でした。早川さんのなかで、サッカーをすることの意味が変わり始めていると感じました。

「誰かの力になりたい」 という思いが形になり始めていた

「自分が復帰することによって、誰かの力になりたい」と話していた早川さん。その思いは少しずつ、形になって表れ始めていました。

移植後に立ち上げたブログ。自らの白血病との闘いについて、前向きな言葉で綴ってきました。

そこには、いつしか同じ病の人たちが集まるようになりました。

<私も急性白血病になってしまいました。とても怖くなることもありますが、ブログを見て勇気、希望をもらっています。>

<わたしもがんばります!なんかやる気、出てきたぞ。>

早川選手から力を受ける人との出会い

新潟市で開かれた、がんのチャリティーイベント。がん経験者とその家族、支援者などが集まりました。

早川さんもがん経験者を示す紫のバンダナを身に着けて参加しました。

その話に、熱心に耳を 傾 ける青年がいました。早川さんと同じ中学出身で1つ年上の、金山継志さん。

金山継志さん (写真中央)

金山さんも少年時代からサッカーに青春を捧げてきました。

しかし2年まえ。希望していたコンサルタント会社への就職を目前に控え、精巣がんと宣告されたのです。

金山継志さん

後輩と言っちゃあれですけど、同じ中学にただただ所属していただけで。

早川さん「継志くん、めっちゃ、体力ありましたよね。」

金山さん「あの、そんな、アルビの選手の方に言われると頭が下がる。」

早川さん「何十周走のとき、めっちゃ早かったですね。」

金山さん「やってたねぇ。やった。やった。」

金山さんは、一度は手術で取り除いたガンが再発していました。週5日、放射線による治療を続けていました。新たな夢を追い掛けようとした、矢先のガン。励みとしたのが、プロ復帰を目指す、早川さんの存在でした。

金山継志さん

自分の結構心に残っているブログがあって、この、元気出していきましょうっていう記事なんですが。


彼のすごいところっていうのは、わるい時、困難にぶつかった時の姿勢がすごいんですよ。

早川さんのブログより

イライラしたり焦ったりする自分を、恥ずかしく思ったりもしますが、そういった感情が起こるのは、何かに対して自分が目標を持っていたり、強く思っているからなんだなって思います。それってすごく素敵なことだし、だったら笑顔でやってやるぞ!

金山継志さん

希望ですね。僕ももし、この命が助かるのであれば、彼のように少しでも多くの方や身近な方に僕と接して、そういう生きる喜びを与えられるような存在になれるような生き方をしていきたいなと思っています。

早川さんがブログにあげた、2人の写真。「また元気な姿で会えますように」 と、綴られていました。

ついに果たした"プロ選手への復帰"

シーズン終盤。トップチームの練習に早川さんは加わっていました。

検査を続けながも、持久力や身体のキレが戻り始めていました。チームは、プロ契約を再開できる状態にあるかどうか慎重に見極めていました。

片渕浩一郎監督

正直、このレベルでサッカーができるとこまで回復するとは正直誰も思わなかったでしょうし。


ただ、彼の努力で今ここまで、やれていることは本当に、奇跡に近いんではないかと思います。

そして、シーズン最終戦。早川さんがピッチに現れました。

早川史哉さん

もういちど、このクラブのユニフォームを着て、戦えるチャンスを頂けた僕は、本当に幸せ者です!


これからもアルビレックス新潟への、熱い応援を、よろしくお願い致します!ありがとうございました!

新シーズンにかけるキャンプ 「 誰かのために」 という思いはいま・ ・ ・

年が明けて、ことし1月。高知。新シーズン開幕に備える、アルビレックス新潟のキャンプ。早川選手がピッチを駆けまわっていました。

ここからは、実力だけがモノを言う厳しい世界。それでも早川選手は、闘病を通じて受け取った多くの人たちの思いを力に、前に進もうとしていました。

──誰かのためにという思いは、忘れずに未だにある?

早川史哉さん

おそらくそこを忘れたら終わりかなというか。僕が誰かのためにそういうことをしたら、おそらくその人も、もしかしたら一歩を進むことが出来ていると思うので。


もちろん活躍することだったり、試合に出てチームを勝利に貢献するという部分もあると思いますけど、最終的には色んな人を笑顔にしたり、何か頑張ろうと思ってもらえる、きっかけになれる人になりたい。

新たな志を胸に、まもなく開幕です。

安 世陽

新潟放送局ディレクター。平成27年入局。

                   
※NHKサイトを離れます

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