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2018年9月5日(水)

挑戦はやめない パラトライアスロン谷真海選手

東京パラリンピックまで2年を切りました。
今、複雑な思いで日々を送るアスリートがいます。
谷真海選手。
2020年東京大会招致の立役者のひとりです。しかし、今思わぬ試練に直面しています。
その試練とどう向き合っているのか、パラスポーツを取材している三上大進リポーターが伝えます。
(サンデースポーツ2020 8月26日放送から)

三上大進 リポーター

2020東京大会を目指すパラアスリートや、大会に向けた社会の動きを取材。ハートネットTVや首都圏ネットワークなど様々な番組で伝えている。
日本化粧品検定1級、コスメコンシェルジュ、TOEIC900点など様々な資格も持つ。

競技からの障害クラスの除外とは?

走り幅跳びでパラリンピックに出場していた谷選手は、東京大会ではパラトライアスロンでの出場を目指していました。
しかし8月。思わぬ知らせが届きます。
国際パラリンピック委員会は、パラトライアスロンで谷選手の障害のクラスを採用しないと発表したのです。

パラトライアスロンは、「車いす」、「立位」、「視覚障害」に分かれ、谷選手の立位は腕や足の障害の程度によって、4つのクラスがあります。

今回、2020年の東京大会では、谷選手のいるクラスとひとつ重いクラスが採用されませんでした。

理由は競技に出場する選手の少なさがあります。谷選手のクラスは、これまで出場した大会でいずれも3人以下でした。一方、東京大会で採用された、障害が最も重いクラスと軽いクラスは、去年の世界選手権では倍以上の選手が出場しています。

こうした障害のクラスによる明暗。
競技者が少ないクラスはパラリンピックで採用されないリスクを常に抱えています。

ひとりひとりの障害が違う中、平等性を担保しようとすれば、クラスを増やしメダルを増やさざるを得ず、競技性という点では下がってしまいます。
それを避けるために、パラリンピックでは採用するクラスが絞られているのです。

平等性と競技性のバランスをどうとるか、この難しい課題が、今回谷選手に厳しい決定を突きつけることになったのです。

衝撃の発表直後の谷選手は…

「自分の障害のクラスは採用されない」。
発表から4日後、谷選手のもとを訪ねると、9月の世界選手権に向けたトレーニングを行っていました。

右のひざより下が義足の谷選手。ハードなトレーニングに打ち込みます。

しかし、一見普段と変わらないトレーニングを続けているようでも、動揺は消えていませんでした。

谷真海選手

しらせを聞いて、すごい、がく然としましたね。
決定をそのまま受け止めるべきなのかどうか、それもまだ判断できないです。

「スポーツによって救われた」人生

谷選手は、大学2年生の時、骨肉腫で右ひざより下を切断しました。
その失意の中で出会ったのが、走り幅跳びでした。

北京五輪に出場した谷選手

パラリンピックに3大会連続で出場し、障害者スポーツのトップ選手となりました。

そして5年前、東京大会招致のプレゼンテーションの大役を任されます。
訴えたのは「スポーツの力を伝えたい」という思いでした。

東京大会招致の最終プレゼンテーション

谷真海選手

私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。
スポーツは私の人生で大切な価値を与えてくれました。

東京に出るために決意した転向。しかし・・・。

結婚、出産を経て30代半ばになった谷選手は、東京パラリンピックにアスリートとして出場するため、競技を長く続けられる「パラトライアスロン」に転向することを決断しました。

谷真海選手

2020年の招致の時、東京が、世界中からやってくるアスリートが輝く場であってほしいということ、そして、満員の競技場で、日本はパラリンピックが盛り上がってるぞということを、「選手として」その場に立って表現したいと思ったんです。

これまでの走り幅跳びから、スイム、バイク、ランと慣れない競技の特訓を重ねた谷選手。
1年後には世界のトップにまで上り詰めました。

そして、東京大会まであと2年に迫るなか告げられた、障害クラスの不採用。
パラアスリートとしての、複雑な胸の内を明かしてくれました。

谷真海選手

パラリンピックが競技性を高めるために、メダルの数を減らしていく方向には賛成なんです。
でも、それで「このクラスはあり、このクラスはなし」とバッサリやられると・・・。
投げ出したくなる気持ちにもなります。
でも、2020年のパラリンピックは自分の中で大きすぎて、簡単には捨てられないです。

子供にアスリートとしての背中を見せたい

谷選手は、「自分の障害のクラス」と「障害の軽いクラス」を統合するなど、出場の道が開かれることに望みを託しています。

8月中旬。世界選手権の前哨戦となる国際大会に出場するため、谷選手はスイスに向かいました。
夫と3歳の息子が見送ります。

夫・昭輝さん

真海自身がアスリートとしての活動を続けることで、勇気づけられる人はいるわけですし。
真海のアスリートとしての背中を、子供にもですけど、日本の人たちにちゃんと見てもらいたいです。

谷真海選手

2020年には息子が5歳になるので、家族に一緒に見てほしいし、その中で戦いたいです。

「マミ・タニはまだあきらめていない」

スイスでの国際大会。谷選手は競技者の少ないスポーツを続けるすべての人に決意を示したいと考えていました。
今回のレースに参加したのは谷選手を含めて2人。
不採用が決定した後、腹痛が続き万全の体調でなかった谷選手ですが、力を振り絞り、優勝を果たしました。

谷真海選手

棄権してしまったら、2020年で不採用になったから、もうあきらめたのかと思われてしまう。
「マミ・タニはまだあきらめていない」と、見ている人に思ってもらいたいと思って走りました。

最後に、「もし、出場の望みが叶わなかったらどうしますか?」と聞いたところ、
「それでもパラリンピックに力を尽くす」と語りました。

谷真海選手

本当に自分が選手として出られないことが決まったら、自分にできることを探していきたいです。
スポーツの力は、常に人に前向きな気持ちを持たせてくれたり、また新しい目標を作らせてくれる存在だと思うので、ここで終わりにはならないですよね。

競技者の少ないクラスにどうチャンスを与えるか

三上大進リポーター

谷選手はすでにスイスから帰国し、9月の世界選手権に向けて練習を続けています。
次の世代の選手のためにもあきらめずに挑戦しようと、気持ちを切り替えつつあるように感じました。

競技者の少ないクラスにもチャンスを与えるために、例えば冬季のアルペンスキーなど、障害の程度によってタイムを調整する競技もありますが、パラトライアスロンはリオ大会から採用された歴史の浅い競技。
タイム調整などの対応をするためのデータが足りないと指摘する専門家もいます。

谷選手のような壁に直面している選手は他にもいます。
その中で重要なのは、障害者がスポーツに触れる機会を増やし「競技者を増やしていくこと」です。
日本でも、義足を借りて走る練習をする施設ができるなど、その芽は出始めています。

いかに障害者スポーツのすそ野を広げていけるかが課題なのだと感じます。

                   
※NHKサイトを離れます

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