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2018年8月27日(月)

シューズが支える「マラソンの進化」

国民的人気スポーツのひとつであるマラソン。近年は市民ランナーも増え、“観る”だけでなく“やる”スポーツとしても盛り上がりを見せていますよね。アジア大会では井上大仁選手が見事32年ぶりの金メダルを獲得しました。

そこで今回は、マラソンにおいて欠かせないギアである「シューズ」をクローズアップ。スポーツメディアやファッション誌を中心に活躍するシューズ界の賢人・南井正弘氏に、その誕生の歴史から最新のテクノロジーまで、幅広く語っていただきました。

南井正弘

1966年、愛知県生まれ。スポーツシューズブランドのプロダクト担当としてメーカーに10年間勤務後、ライターに転身。現在はランニングギアマガジン&ポータルサイトの編集長も務める。「楽しく走る!」をモットーに“ほぼ毎日”走るファンランナーでもあり、ベストタイムは、フルマラソンが3時間52分00秒、ハーフマラソンが1時間38分55秒。

“普通の革靴”で競技していた19世紀

あらゆるスポーツにおいて欠かせないギアと言える、競技専用の「シューズ」。ですが、スポーツが娯楽のひとつとして楽しまれるようになってしばらくは、スポーツシューズというものは存在せず、街で履くシューズをそのまま着用していました。1877年にテニスのウインブルドン選手権の第1回大会が開催されましたが、このときにプレーヤーが履いていたのは“普通の革靴”であったと言われています。

1895年、イングランド中部のボルトンに住むにジョセフ・ウィリアム・フォスターという青年が、靴の前足部に釘を打ち付けて自らの陸上スパイクを製作。それ以降、スポーツ専用シューズという概念が知られるようになり、専用シューズの重要性が徐々に認識されるようになりましたが、スポーツシューズが広く着用されるようになるには20世紀を待たなければなりませんでした。その後フォスターは、J.W.フォスター社というスポーツシューズメーカーを設立。陸上競技用シューズの開発・製造を得意とし、オリンピックで活躍するアスリートまでもが、そのシューズを好んで着用するようになりました。

陸上クラブ「ボルトン プリムローズ ハリヤーズ」に所属していたジョセフ・ウイリアム・フォスター/前から2列目・右から3番目(写真提供:リーボック)

かたや、ドイツで靴の製造を手がけていたアドルフとルドルフのダスラー兄弟は、1920年にダスラー兄弟商会を創立(のちにアディダスとプーマに分裂)。室内用トレーニングシューズをはじめとした、さまざまなスポーツシューズを生み出しました。その機能性の高さから、しばらくすると同社のシューズはドイツのみならず、世界中のトップアスリートが着用するようになっていったのです。

“最新の足袋”で五輪に出場した日本のランナー

一方で、1896年には第1回近代オリンピックがギリシャのアテネで開催されました。マラソン競技はこの大会から行われましたが、前述のとおり、この時点ではマラソン用シューズというものは存在せず、完走した9名(スタートラインに立ったのは18人)は“普通の靴”で40キロメートル以上の距離を走ったことになります。

その後もマラソン競技はオリンピックに採用されましたが、日本人が初めて参加したのは1912年のストックホルム大会。東京高等師範学校の学生であった金栗四三(かなくり しそう)は、代表選考40キロメートルレースを2時間32分45秒という、当時の世界記録を大幅に更新する好記録で優勝。見事ストックホルムオリンピックの出場権を獲得しました。

彼は、学校のそばにあった足袋店「ハリマヤ」の黒坂辛作に、自らの経験をもとに、マラソン用の足袋の開発を依頼。こうして完成した足袋には、耐久性を向上させるために布を重ねた底などの“走るための構造”が加えられていきました。北欧のストックホルムでは珍しい35度を超える気温や体調不良もあり、途中棄権という残念な結果となりましたが、帰国後、金栗は黒坂と、より機能性に優れたマラソン用足袋の開発に邁進しました。つま先が分かれたデザインは欧米にはなく、日本人以外のマラソンランナーには奇異に映ったであろうマラソン用足袋。しかしその機能性の高さは、1928年のアムステルダムオリンピックでは4位と6位に入賞した選手が、1936年のベルリンオリンピックでは金メダルと銅メダルを獲得した選手が、彼らの開発したマラソン足袋を履いていたことで証明されたのです。

日本が開発!魔法のランニング専用シューズ

日本では、第二次大戦後もマラソン足袋を履いていたランナーが多くいましたが、しばらくすると、それ以外の国のマラソンランナーと同様にランニング専用のシューズを着用するようになっていきます。この当時、現在のように通気性の高いナイロンメッシュのような素材は存在せず、アッパーには天然皮革や帆布(キャンバス)が用いられていたので、42.195キロという長丁場でのシューズ内部は熱や汗で不快極まりなく、マメができる原因ともなりました。

1959年、このランナーを悩ませるマメを防ぐための、独特の意匠をプラスしたマラソンシューズが登場します。アイデアマンとして知られた鬼塚喜八郎が、シューズに針の先端くらいの小さな穴を開け、着地の度に熱と湿気を外部に排出するという仕組みを考案しました。幾度もの試行錯誤を繰り返したのちに完成させると、その高い通気性やグリップ性に優れたアウトソール(靴の接地面、靴底)について、ランナーから高い評価を得ることに成功。そのなかには、1964年の東京オリンピックで銅メダルを獲得した円谷幸吉や、1968年のメキシコシティーオリンピックで銀メダルを獲得した君原健二も含まれています。

よく見ると、先端と脇に小さな穴が空いているのがわかる(写真提供:アシックス)

従来の概念を覆す“厚底”レーシングシューズ

現在では、足を包むアッパーと地面に接するアウトソールの間に「ミッドソール」と呼ばれる、着地時の衝撃を吸収するパーツを配することが当たり前になっています。しかし、このアイデアが登場したのは1960年代後期から1970年代初期にかけてで、当初はヒール部分だけにこのパーツを用いていました。

かかとからつま先まで、フルレングスでミッドソールを使用したシューズの完成形として有名になったのは、「ボストン」というレーシングシューズ。現在のシューズと比較するとかなり薄いミッドソールでしたが、着用したランナーは、従来のシューズとの衝撃吸収性の違いをハッキリと感じることができたと言います。その後、ミッドソールはクッション性を高めるために厚くなっていきましたが、上級ランナーがマラソン競技で履くシューズに関しては、脚力を効率よく路面に伝えるために“薄め”のミッドソールを採用することが一般的でした。それは、着地時の衝撃を吸収しすぎると路面からの反発性を十分に得られないからですが、そんな過去の常識を覆すシューズが2017年に登場します。

高反発素材をミッドソールに使用した“厚底”シューズ(写真提供:ナイキ)

着地時の衝撃の85%をエネルギーに変換する高反発素材を“厚底”のミッドソールに使用しつつ、カーボンファイバープレートをかかとからつま先までフルレングスで内蔵することにより、脚を衝撃から保護するだけでなく、これまでにない推進力をランナーに与えます。2018年3月に開催された「東京マラソン2018」で、設楽悠太選手が2時間6分11秒というフルマラソン日本記録を16年ぶりに更新した際にも、この“厚底”シューズを着用していました。

2018年、東京マラソンのゴール時の設楽悠太。日本新記録を樹立した

“夢の1時間台”は、すぐそこにある!?

今回のアジア大会で優勝を果たした井上大仁選手もそうであるように、現在も従来どおりの“薄い”ミッドソールのシューズを着用するランナーは少なくありません。しかし、このシューズの登場により「上級ランナー向けシューズ=薄いミッドソール」という唯一の選択肢に、新たなオプションが用意されることになったのです。

そして、国際陸上競技連盟の非公認レースではありますが、リオデジャネイロオリンピックの男子マラソン金メダリストであるエリウド・キプチョゲが、2017年5月に2時間0分25秒(1時間台まであと26秒!)という驚異的な記録を樹立。夢の1時間台に到達する日も、そう遠くはないかもしれません。

2018年、ロンドンマラソンで優勝したときのエリウド・キプチョゲ/中央

                   
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