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2018年6月4日(月)

難民キャンプから世界へ ~走り続ける3兄弟~

兄ロペス・ロモンに手をひかれてアメリカに渡った時、2人の少年は自分たちにどんな人生が待ち受けているのか全く想像できなかった。両親から離れた不安、新しい土地での生活への期待。少年たちが兄の手をぎゅっと握ると、兄は大きな笑顔を向けてくれた。

ピーター13歳、アレックスは11歳の時だった。
それから9年。2人は大学に進学し、大きな目標に向かって努力を続ける。

現在、ピーターは兄の母校、北アリゾナ大学で、アレックスはオハイオ州立大学の陸上部に所属し、学生アスリートとして活動。
大学3年のピーターは「将来、国際連合で働いて世界を変えたい」と、大学2年のアレックスは「いつかお兄ちゃんみたいにオリンピックに出たい」と話す。

彼らの兄ロペスは、2008年北京五輪の開会式でアメリカ代表の旗手を務め、アメリカンドリームを成し遂げた陸上選手。現在もプロランナーとして日々走り続けている。

壮絶な幼少期を送った兄ロペス

スーダン内戦により難民になり、孤児として2001年にアメリカに渡ったロペス。

彼の少年期は常に死と背中あわせの壮絶な人生だった。
ロペスは6歳の時に家族とキリスト教の会合に出かけていた際、スーダン人民解放軍の兵士に誘拐され、ほかの少年たちとともに狭い部屋の中に監禁された。

劣悪な環境に置かれた少年たちは、次々と命を落としていった。
「このままでは、俺たちも死んでしまう」そう思った年長の少年たちは脱走を計画。

幼かったロペスに「お母さんに会いに行こう」と誘い、月が雲に隠れたある夜に脱走を実行。見張りの兵士の追跡を振り切り、ひたすら走り続けた。

ロペスには「どんなに辛くても、絶対に後ろは見ちゃだめだ。前だけ見て走り続けるんだ」としった激励し、3日間走り続けた。
彼らは年少のロペスを励まし、空腹になると食べられる木の実や草などを探し、時にロペスを背負って走り続けた。

「生きるために必死に走った。進行方向に足を向けて寝て、日が昇ったらまた必死に走った。夜中に猛獣の鳴き声がして、とても怖かった」とロペスは振り返る。

ある日、必死で走る少年たちに兵士のジープが向かってきた。
殺される、と硬直する少年たちの前に現れたのはケニアの兵士だった。

幼いロペスはケニアのカクマにある難民キャンプに収容されたが、一緒に逃げた3人の少年はキャンプに収容するには年長すぎる、という理不尽な理由でスーダンに返された。彼らのその後の消息は分かっていない。

「あの3人がいなかったら、今の僕はいない。彼らは僕の天使なんだ。僕は彼らの分も頑張らないといけないんだ」とロペスは涙ながらに話す。

難民キャンプからアメリカへ

難民キャンプでは同じ地域から来た人たちとキャンプ内にコミュニティを作り、みんなとサッカーをしたりして、元気に過ごしていたが、スーダン政府とスーダン人民解放軍との内戦は悪化する一方で、一時は7万人以上のスーダン人が難民キャンプに収容されていた。

将来が見えない生活にロペスが悩んでいたころ、アメリカ政府は移住を希望する10代の孤児を対象にした「リセトルメント・プログラム」を発表。
身寄りのないロペスは選考の結果、アメリカ行きが決定した。2001年のことだった。

アメリカではニューヨーク州北部の里親家庭に住み、地元の高校に進学。陸上部に入ると、すぐに長距離で頭角をあわらした。「キャンプでは空腹をしのいで、サッカーの順番を待っている間に1日20km以上走っていたんだ」と話す。

レースではコーチから「とりあえず先頭を走れ。誰かに抜かれたら抜き返せ」と、なんともシンプルなアドバイスを受けて走り、タイトルを総なめにした。

難民キャンプでは十分な教育がなく、学力は大きく遅れていたが、日々の授業のほかに補修、宿題をこなしたロペスは、奨学金を受けてバージニア州のノーフォーク州立大学に進学。2年次からは陸上の強豪校、北アリゾナ大学に進学し、全米学生選手権で優勝、2008年には北京五輪のアメリカ代表になった。

両親と弟たちとの再会

ロペスが陸上に打ち込んでいたころ、ケニアの難民キャンプにいる一人の女性がロペスのことを必死に探し回っていた。キャンプ内の人が話していたロペスという少年が、自分の生き別れた息子ではないかと思ったからだ。

キャンプの人たちの協力を得て、ロペスの居場所を突き止めた母リタさんは、事務所の電話からロペスに国際電話をかけた。本当に自分の母親なのか疑心暗鬼の気持ちもあったけれど、当時の話をするうちに実の親子だということが判明。

2007年には家族がいるケニアの難民キャンプを訪れ、両親と涙の再会を果たした。

両親の後ろで好奇の目でロペスを見ていたのが11歳のピーターと9歳のアレックスだった。家族が生きていたことはもちろんだが、かわいい弟が2人もいることにロペスは大喜びだった。

アメリカに戻った後、ロペスは大きな決断をする。

弟たちをアメリカに連れてきたい、と。十分とは言えない食事、教育。免疫力のない子供たちは次々と病気になって死んでいく難民キャンプ。彼らを救い出したかった。

母リタさんは涙ながらに大反対したが、ロペスは「難民キャンプにいるよりも彼らのためになる」と説得し、アメリカでの学校、里親、ビザの手続きなどを済ませ、再会から1年後、北京五輪のあとに再びケニアに飛んだ。

3人にとって走ることは生きること

ピーターとアレックスを受け入れたのは、ロペスの大学時代のコーチの知り合い家族。親元を離れ、アメリカで学校に通い始めた2人は、最初は言葉、環境、文化、すべてが異なる状況にとまどっていたが、すぐに友達を作り、必死に勉強し、そして憧れの兄、ロペスのように走り始めた。

アメリカに来たばかりのころは、体も小さく、言語の壁もあり、引っ込み思案な性格だったけれど、陸上で結果が出るにつれ、明るい表情を取り戻した。

高校時代に州の大会で活躍した2人は、奨学金を得て大学に進学。
ピーターは昨年の全米学生クロスカントリーで8位に入賞する快挙を成し遂げた。
アレックスは中距離で適性を見出し、今季は800mで自己ベストを2秒も更新している。ロペスは中距離から長距離に移行し、来年の世界陸上ドーハ大会を目指す。

スーダン内戦に人生を翻弄された3兄弟は、走ることで自らの道を切り開いてきた。
そして、これからも走り続ける。真っ直ぐに前を向いて!

及川彩子

スポーツライター。NY在住10年。
陸上、サッカー、ゴルフなどをメインにオリンピック・パラリンピックスポーツを幅広く取材。

                   
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