大型シリーズ Large series
 
NHKスペシャル シリーズ 明治(5回シリーズ)
 
 
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 明治時代、混迷の中で日本は新しい国づくりに乗りだした。そして、驚くべき速さで改革を実行し、西洋資本主義社会への参入をはたした。
 明治の人びとは何を思い、どのようにしてこの国をつくったのか。
 近年、次々と発掘や再評価が進む膨大な資料を元に、明治の日本が持っていたさまざまな可能性を探る。また、錦絵や写真などの映像資料をアニメーション・グラフィックスの手法によって3D化・動画化し、当時の日本の風景を蘇らせる。
 四民平等の理想を掲げて始まった教育改革、近代文明を導入するための財源を求めた税制の創設、広く国民の声に耳を傾けるという宣言に応じた建白書の数々、そして、長い鎖国の眠りから覚めて国際社会の荒波に乗り出した日本と外国人たちとの出会い──。
 明治の日本はなぜ成功したのか。また、何を課題として積み残したのか。
 今、曲がり角に立つ現代の日本に、新たな国づくりの示唆を得るため、明治の人びとの声に耳を傾け、その歩みを見つめなおす。

明治 第一集 ゆとりか、学力か
2005年4月10日(日)午後9時〜9時52分
 
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明治時代に流行した「出世双六」
(CG加工)
 学力低下やゆとり教育の見直しなど、さまざまな教育問題に揺れる現代の日本。近代教育の原点である明治の教育改革を見つめなおし、現代へのヒントを得る。
 今日のような近代教育の制度が始まったのは明治時代のこと。人びとは、教育によって国を立てるという理想に燃え、官も民も力をあわせて、教育の普及と学校の建設に力を入れた。番組では、貴重な資料をもとに明治初期の授業や試験のようすを再現し、熱心に勉学に励んだこどもたちの姿を描き出す。また、当時流行した出世双六をCG加工し、勉強次第で立身出世が可能になった能力主義社会への憧れを浮き彫りにする。
 ところが、学歴を重視する世の中の到来は、教育の現場に、いつしか、試験に受かることだけを目的とする風潮を生み、競争激化などの弊害をもたらすようになった。明治の作家、永井荷風は受験に失敗して父親に罵られ、二葉亭四迷は詰め込みと暗記に偏った勉強に追われた。
 新進の文部官僚として初等教育の責任者となった澤柳(さわやなぎ)政太郎は、そうした風潮に歯止めをかけ、こどもたちひとりひとりに目を向けようと、思い切った教育改革に乗り出す。
 授業時間の短縮や、試験の廃止などを断行した澤柳だったが、その改革は、学力低下という新たな問題の前に後退を余儀なくされた。
 こどもたちに必要な教育とは何か。個性と学力のどちらを重視すればよいのか。
 澤柳政太郎の行動を軸に、今と変わらぬ難題に直面した明治の教育改革のようすを描き、教育問題の根源を探る。

明治 第二集 模倣と独創 〜外国人が見た日本〜
2005年4月16日(土)午後9時〜9時52分
 
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写真提供 横浜開港資料館
 短期間で急速な近代化を果たした明治の秘密とは何か?
 明治期に日本を訪れた多くの外国人たちの記録から、その秘密を解きあかす。
 日本の開国は、「東洋の神秘の国」がそのベールを脱ぎ素顔をさらけ出した時でもあった。以来、多くの外国人が日本を訪れ、さまざまな記録を残した。
 日本人の技術力に早くから気づいていたアメリカの提督ペリー。時間に追われない職人の仕事ぶりを記録したフランス人ブスケ。そして、日本の民衆が見せる素朴で温かな人柄に魅せられたイギリスの女性旅行家バード。
 これらの記録には、異文化の目でこそ捉えることができた日本人の特質が描き出されている。
 なかでも、注目に値するのは、日本に土木技術を教えたイギリス人ヘンリー・ダイアーである。ダイアーは、日本人は優れた独創性を持っていると評価し、「東洋の小国がわずか30年で近代化を果たした原動力は何か」を解きあかす書物を著した。ダイアーが教頭を務めた工部大学校は、建築家の辰野金吾やアドレナリンを発見する高峰譲吉など多くの人材を輩出する。
 ダイアーの愛弟子だった田邉(たなべ)朔郎は、師の教えを活かし、西洋の技術を日本の実情にあうように応用することで、近代化のための大工事をなしとげた。帰国後も田邉と交流を続けたダイアーは晩年、日本がその独自性を失いつつあることを心配する記述を残す。
 日本の近代化を見つめた外国人たちの記録から、「ものづくり日本」の原点にある智恵と工夫の実態を探り、日本人の独創性とは何か、日本人が近代化と共に失ってしまった美点とは何かを描く。

第三集  税制改革、官と民の攻防
2005年5月14日(土)午後9時〜9時52分
 
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逓信総合博物館所蔵
 明治のはじめ、新政府は、深刻な財政破綻に瀕していた。不便で不公平な年貢制度から得られる通常歳入は歳出の十分の一ほどにすぎず、不足分は借金と臨時紙幣発行によって賄っていた。財政の建て直しを図るため、政府は抜本的な税制の見直しに着手する。
 西洋諸国の税制の研究と日本の事情を考え合わせて導入されたのが、地券のシステムだった。民衆の不満と抵抗を和らげるため、農民に対しては、差し当たっては税額を明かさぬまま土地の所有権を認め、税額算出の基礎となる収穫量は自己申告という建前で、全国的な測量と土地所有者=納税者の確定がおこなわれていく。
 いよいよ税額を決定する作業がおこなわれる段になって、税収の確保と民衆の反発のはざまに立たされることになったのが、松方正義を中心とする実務派の官僚たちだった。
 もともとは民を慈しむことを信条としていた松方だが、「維新は非常の時」という覚悟にたって、改革を断行する。
 官と民のせめぎ合いのなかで、虚々実々のかけひきがおこなわれ、地租(土地税)や所得税などの新しい税制が導入されていった明治時代──。
 日本の近代化をなしとげるための財源は、いかにして確保されたのか。その過程で積み残された、民主的な税の理念とはどのようなものか。そして、これから後の改革の糧として汲み取らなければならない教訓とは何か。
 松方正義をはじめとする官僚たちと民衆との税をめぐる攻防を追い、制度の改革はどう行われるべきかを問い直す。

明治 第四集 国のありかたをどう決めるか
2005年5月21日(土)午後9時〜9時52分
 
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 「万機公論に決すべし」という宣言で幕を開けた明治時代。「これからは誰もが政治に意見を述べられる」という趣旨に基づいて設けられた建白書の制度は、津々浦々に空前の反響を呼んだ。
 民草の一人一人が記したおびただしい数の建白書のうち、現存するものの数はおよそ3000通。教育普及の提案から産業振興の方策まで、その内容は多岐に渡り、実際に政策としてとりあげられたものも数多い。明治のはじめは、政治というものが、こんにち想像するよりも国民の身近に存在していた時代だったのだ。
 建白書のなかには、やがて、議会や憲法を提案するものが現れるようになる。百数十年前、すでに、日本人は、民主主義を反映した国のありかたを自らの手で提起していたのである。
 新しい国家の建設に際して提出されたさまざまなアイデアは、どのようなものだったのか。福沢諭吉をはじめとする人びとは、この国のありかたをどう考えていたのか。
 建白書をもとに明治の人びとが抱いた民主主義の夢と理想を描き、現代へのヒントを探る。