「みつけてくれて ありがとうー」2022年も“すずさん”を 探しています。映画「この世界の片隅に」のすずさんのように戦時中、懸命に暮らしていたエピソードを教えてください。
あなたも“すずさん”をみつけて投稿してみませんか?
エピソード投稿はこちら!
“すずさん”イメージイラスト
“すずさん”イメージイラスト

投稿されたエピソード

戦時中のアイドル

投稿されたエピソード「戦時中のアイドル」挿絵

8人きょうだいの長女だった母方の祖母から聞いた話です。
祖母はすずさんとひとつ違いの大正15(昭和元)年、横浜生まれ。戦局が悪化していたある日、たまたま一人で留守番することに。浮かれた祖母はこっそり母親の口紅を借り、当時大人気だった李香蘭のメイクをまねしようと思いつきました。
ところが折悪く、大学生だった長兄の友人が出征のあいさつにやって来ました。軍刀を鳴らし、気をつけの姿勢で「お父様、お兄様はいらっしゃいますか」とたずねる友人に、李香蘭とは大違いの顔に塗りかけの口紅を見られるのが恥ずかしい祖母は、玄関で顔を伏せたまま「あいにく家の者は皆留守でして……」と答えるのが精いっぱいでした。

もっと読む
片渕須直監督 顔写真

映画『この世界の片隅に』
片渕須直監督

世界中から戦火が絶えることがないのは悲しむべきことなのですが、今年は特にウクライナでの戦争で、それまでふつうの生活を営んでいた人たちが、突然戦火の中に投げ込まれてしまった姿が、SNSなどを通じて目の当たりにされてしまっています。
80年近く前の戦争がどんなものだったのかも含めて、「『戦争』が自分の身の回りにやって来る」とはどういうものなのか、感じていければと思います。

番組情報

「#あちこちのすずさん2022
 今、戦争を見つめてみる」


【放送日時】 8月12日(金) 午後7:30~8:42 [総合]
【出演者】片渕須直(映画監督)、千原ジュニア(芸人)、伊野尾慧(Hey! Say! JUMP)、黒柳徹子、池田エライザ(俳優)

“すずさん”イメージイラスト

新着情報

    らじらーバナーあさイチバナークローズアップ現代バーNHK for schoolバナー
    戦争証言アーカイブスバナー沼にハマってきいてみたバナーラジオ深夜便バナー今夜も生でさだまさしバナー
    ×閉じる

    投稿されたエピソード

    • 戦時中のアイドル

      投稿されたエピソード「戦時中のアイドル」挿絵

      8人きょうだいの長女だった母方の祖母から聞いた話です。
      祖母はすずさんとひとつ違いの大正15(昭和元)年、横浜生まれ。戦局が悪化していたある日、たまたま一人で留守番することに。浮かれた祖母はこっそり母親の口紅を借り、当時大人気だった李香蘭のメイクをまねしようと思いつきました。
      ところが折悪く、大学生だった長兄の友人が出征のあいさつにやって来ました。軍刀を鳴らし、気をつけの姿勢で「お父様、お兄様はいらっしゃいますか」とたずねる友人に、李香蘭とは大違いの顔に塗りかけの口紅を見られるのが恥ずかしい祖母は、玄関で顔を伏せたまま「あいにく家の者は皆留守でして……」と答えるのが精いっぱいでした。

    • 忘れられないカレーの味

      投稿されたエピソード「忘れられないカレーの味」挿絵

      親愛なる母は大正3年生まれ。12人兄弟の長女でした。
      家業は飲食業(鰻屋)。比較的恵まれた環境だったのでしょうか。戦時中の配給は「身欠きニシン」だったそうです。商売柄、お米には不自由しませんでした。店の前にはその配給品と交換で、母が作るカレーライスに人々が並んだそうです。
      あまりに多くの人が並び、カレールーが足りなくなること、数知れず。料理人としての知恵を活かし何とか多くの人々に振舞いたい。答えはお米農家さんが持ってきてくれた「南京かぼちゃ」。蒸かして裏ごしにし、赤い缶のカレー粉と混ぜ、量を増やしたそうです。今は一人だけ残る妹が以前にぽつりと言いました。
      「あのカレーライスの味が忘れられないと」

    • 苦手だったゴリ先生

      投稿されたエピソード「苦手だったゴリ先生」挿絵

      少し朧気ですが、亡くなった祖母から子供の頃に聞いた話です。
      祖母は女学校に通っており、そこにはとても厳しくてゴリラみたいな男性教師がいたそうです。女生徒の多くが彼を嫌い、「ゴリ」とあだ名を付けて、姿が見えると走って逃げたとか。祖母もゴリ先生の事が苦手で毎回逃げようとするのですが逃げ足が遅く見付かってしまい、いつも掃除や雑用を一緒にやらされたと愚痴ていました。
      ある日学校のテストが行われた時、監督をしていたゴリ先生が教室内を見回っており、祖母の席まで来ると祖母の消しゴムを答案用紙の上に置いたそうです。祖母は意図がわからずそのままにしていると、また同じところに消しゴムを置きました。それはゴリ先生が暗にそこの答えが間違えていると教えてくれていたのだそうで、祖母は消しゴムを置かれた場所の回答を消して考え直したと言っていました。
      そんなゴリ先生も戦地へと駆り出される事になり死んでしまったけどね…、と語った祖母の声がとても寂しそうだったのが印象に残っています。

    • ハワイから来た同級生

      投稿されたエピソード「ハワイから来た同級生」挿絵

      私の父から聞いて、ずーっと忘れられずにいる話しです。
      世の中が戦争に向かっているキナ臭い頃、父の広島2中に通っていました。ハワイから来た同級生がいたそうです。広島からハワイへの移民が多かったそうです。
      戦争になるかもしれないとゆう不安の中、父の友人の「このラジオ買ってくれんか?ハワイへの旅費にするんじゃ。」と言ってきたそうで、父は祖父に相談し、ラジオを買ったそうです。
      話しはここまでで、その後父の友人がどうなったのか分かりません。無事にハワイの家族の元へ帰れたのか? 帰れたとしてもしんどい生活だったのではないかと想像するばかりです。

    • 痔で命拾い

      投稿されたエピソード「痔で命拾い」挿絵

      今96歳の祖母から聞いた亡き祖父の話です。
      祖父は小さい頃から毎日便秘に苦しんでいて、周りから『男のくせに便所が長い』と笑われたりして、短所に思って長年悩んでました。
      その体質のまま大人になり徴兵。ですが終戦の数ヶ月前に便秘をこじらせ、急に重度の痔になり前線から外され地元の病院に送り返されたのです。
      祖父が病院に入ってほどなくして、ソ連軍が参戦。樺太千島は占領され、同地で一緒に戦っていた隊の戦友達は捕縛、シベリア抑留へ。シベリアで殆どの方が亡くなりました。
      長年悩んでいた体質(便秘、痔)に、まさか命を救われるなんて。と、父や祖母に語ったそうですが、『痔で命拾い』という話は恥ずかしいので。本人伏せたがっていたようです。(が、祖母は本当の事だからたと遠慮なく家族に話してました)

    • プレイボーイだった祖父

      投稿されたエピソード「プレイボーイだった祖父」挿絵

      わたしの亡くなった祖父は香川県の小豆島という離島出身で、貧乏だったため病弱な両親と妹を支えるため学校に行かず、若い頃から漁師の仕事をしていました。
      幼かったことで戦争には行きませんでしたが、祖父は二人の兄は戦争に行き、戦死しました。祖母も同じで7人姉弟の長女で一番下の妹をおぶりながら、小学校5年生まで学校に通い、そのあとは家の仕事を手伝っていました。そんな祖父と祖母が出会い結婚してわたしの母が生まれました。
      祖父は、島ではプレイボーイとして有名で瀬戸内海の島毎にガールフレンドがいてとても青春時代を楽しんでいたようです。そんななか祖母と出会い恋に落ちました。
      祖母の両親は祖父がプレイボーイだったのを知っていたため結婚に猛反対。でも、二人はとても愛し合っていたため、大阪に駆け落ちしたそうです。これは祖父母が亡くなったあと母から聞きました。戦時中~戦後の話です。
      祖父母が大阪に駆け落ちしたことで、母が父と出会い、わたしが生まれました。祖父がプレイボーイだったのはあんまりよろしくないけれど、とてもロマンチックな話だと思いました。わたしもそんな恋愛を人生でしてみたいです。