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アウシュビッツ 死者たちの告白

2020年8月26日

第二次世界大戦中、ユダヤ人の大量虐殺が行われたアウシュビッツ強制収容所。そのガス室跡の地中から発見された“謎のメモ”。書き残したのは、ユダヤ人でありながらナチスの大量虐殺に加担させられた「ゾンダーコマンド」と呼ばれた人たちだった。未だ多くの謎が残るホロコーストの実態。地中に埋もれていた「死者たちの告白」に迫る。

大量虐殺の実態に迫る鍵

第二次世界大戦中、ナチスドイツが組織的に行った「ユダヤ人の大量虐殺」。その犠牲者は、600万人に上るといわれている。中でもポーランド南部にあった「アウシュビッツ強制収容所」では、およそ110万人がガス室などで殺されたとされる。しかし、現場は終戦間際、証拠隠滅を図ったナチスによってほとんどが破壊された。アウシュビッツの跡地では、大量虐殺の実態の検証が今なお続けられている。

犠牲者の遺品や資料を修復する技師
犠牲者の遺品や資料を修復する技師

「犠牲者の遺品や資料から分かった事実を世界に伝えなければなりません。大量虐殺の実態は、未だ多くの謎に包まれているからです」(犠牲者の遺品や資料を修復する技師)

検証を進める専門家たちが、大量虐殺の空白を埋める手がかりとして期待しているのが、ガス室近くの地中から見つかった手書きのメモだ。ナチスによって破壊されたガス室の周辺では、1945年以降、8回にわたって“謎のメモ“が発見されていた。

ガス室の跡地周辺で発見されたメモ
ガス室の跡地周辺で発見されたメモ

ガラス瓶や箱に入れられた状態で見つかったメモはインクがにじみ、長年判読することができなかった。しかし近年、デジタル技術の進歩により一気に解読が進んだ。

最新のデジタル技術でメモの解読が進む様子
最新のデジタル技術でメモの解読が進む様子

「ここを見て下さい。文字が読めるようになっています」

浮かび上がってきたのは、イディッシュ語のアルファベット。当時、東ヨーロッパに住むユダヤ人が使っていた言葉だ。さらに筆跡などから、3人の人物に辿り着いた。

ナチスの協力者「ゾンダーコマンド」

メモを書いたと思われる人物の1人、名前は「レイブ・ラングフス」。書き残された手がかりから調査を進めると、彼はポーランド東部出身で、当時30代前半だったことや、ユダヤ教の指導者として人望の厚い人間だったことも見えてきた。

ラングフスが残したのは、合計150ページ以上にのぼる3つのメモの束。その一つ、「移送」と名付けられたメモは、1942年の秋、運命を大きく変えた日の出来事から始まっていた。

メモを残した レイブ・ラングフス
メモを残した レイブ・ラングフス

「静寂に包まれたマクフの町。夕刻前にナチスがやって来て命令が下された。それは、『アウシュビッツへ移送する』というものだった。息子は妻をじっと見つめていたが、大声で泣き始めた。『パパ、僕は死にたくない!何が何でも僕を助けて!』健康で溌剌はつらつとした小さな我が子を、迫り来る死から守ってやる術もなく、ただ涙を流すしかない状況が、親にとってどれだけつらく苦しいことか」(レイブ・ラングフス)

その日から1か月後の1942年12月6日、ラングフスは妻や息子とともに、望ましからざる目的地・アウシュビッツ強制収容所に到着した。そこで待ち受けていたのは「死の選別」。労働力になりそうな人間と、そうでない人間を“選別”するのだ。労働力にならないとみなされた人々は、ガス室へと送られる。

ラングフスは、労働を命じられた。しかしそれは、特殊部隊を意味する「ゾンダーコマンド」として、大量虐殺へ加担することだった。

大量虐殺に手を貸すことで生き延びるか、殺されても拒否するのか。究極の選択を迫られたラングフスは、ナチスの協力者「ゾンダーコマンド」となった。

「ゾンダーコマンド」の任務とは?

ゾンダーコマンドの任務を隠し撮りした唯一の写真
ゾンダーコマンドの任務を隠し撮りした唯一の写真

ゾンダーコマンドの任務を隠し撮りした唯一の写真には、地面に並べられた遺体らしきものが焼かれており、傍らで作業しているのがゾンダーコマンドたちだという。

「ゾンダーコマンドに関する公式資料は、実は一切残っていません。ナチスは大量虐殺の目撃者だった彼らの存在を知られたくなかったからです」(アウシュビッツ博物館 資料部部長 ヴォイチェフ・プウォサ)

これまで、謎に包まれてきた「ゾンダーコマンド」の実態。メモを残した人物の1人、当時20代だった元兵士「マルセル・ナジャリ」が書いたメモには、ゾンダーコマンドの残酷な任務と高度にシステム化された大量虐殺の実態が記されていた。戦後見つかったガス室の図面と彼の記述をもとに、ゾンダーコマンドの任務の様子を可視化した。

図面とメモをもとに可視化したガス室内部
図面とメモをもとに可視化したガス室内部

「地下には巨大な2つの部屋があった。1つは脱衣所で、もう1つは『死の部屋』と呼ばれていた。1つ目の任務は、送られてきた人々を迎え入れることだった。自分の運命も知らずに叫んだり泣いたりしていた」(マルセル・ナジャリ)

すべての人を地下に運ぶと、待機している次のゾンダーコマンドに引き継がれる。

「次の任務は、人々にシャワーを浴びるのだと言って服を脱がせ、ガス室に誘導することだった。何も分からないふりをして」

全員がガス室に入ると、天井から「チクロンB」と呼ばれる殺虫剤が投入された。人々はおよそ20分間もだえ苦しみ、窒息死させられた。しかし、作業はそれで終わりではなかった。

「30分後、次の任務が始まる。ガス室の扉を開けて、罪のない女性や子どもたちを運び出すのだ」

任務の中には、遺体から髪の毛を刈り取る作業や、金歯を抜き取る作業もあった。髪の毛はクッションなどに、金歯は延べ棒にされ売られていた。その後に行われたのは、大量虐殺の痕跡を消すための作業だ。

大量虐殺の痕跡を消すための作業 イメージ図
大量虐殺の痕跡を消すための作業 イメージ図

「ガス室の上には焼却炉があり、次の任務は遺体を焼くことだった 。人々は体の脂によって焼かれた。残った骨は叩きつぶして灰にするよう命じられた。1人当たり640グラムほどの灰が残った。その後、灰は近くの川に捨てた。あらゆる痕跡を消すために」

ガス室内部の実態を、一切外部に秘していたナチス。その実態を告発したナジャリのメモ。そこには、苦悩とともに生き延びようという決意が記されていた。

メモを残したマルセル・ナジャリ
メモを残したマルセル・ナジャリ

「いったいどうすれば仲間を焼くなどということができるだろうか。私は何度も一緒にガス室に入ろうと考えた。しかし、その度に復讐心が押し留めた。殺された父と母、そして姉の復讐のため私は生きる」

ユダヤ教の指導者として人々に道徳を説く立場だったラングフス。自らに向けられた非難の言葉を、隠すことなく綴っていた。

「幼い少年はこう言った。『あなたたちもユダヤ人でしょう。仲間をガス室に送って自分だけが助かるなんて、どうしてそんなことが平気でできるの?殺人者として生きることが僕たちの命よりも大切なの?』」

アウシュビッツに到着した日に妻や息子と引き離されていた彼は、思いがけない形で再会していた。

「遺体が五層にも六層にも積み重なっていた。女たちは子どもを抱えて、男たちは妻を抱えて死んでいた。ガスの影響で体が青くなった者もいれば、眠っているかのような者もいた。私は、この中に、妻と息子がいたことを後から知った。私の恥はどれほどか」

メモを残したザルマン・レヴェンタル
メモを残したザルマン・レヴェンタル

発見されたメモから名前が判明した3人目の人物「ザルマン・レヴェンタル」。ポーランド出身のユダヤ人で、当時20代だったことだけが分かった。

「私はごく普通の人間だ。根性が腐った人間でも、残忍な人間でもない。そんな私がこの任務に慣れていく。誰かが泣き叫ぼうが、毎日のことだと無関心に傍観する。生きるためには仕方がないと、自分を納得させるようになる。今生き残っているのは、二流の人間ばかりだ。自らの命はどうでもいいと理由を探して取り繕っているが真実は、何が何でも生きたいのだ」(ザルマン・レヴェンタル)

「ゾンダーコマンド」はなぜ組織されたのか

同胞の手による、大量虐殺の遂行。なぜナチスは、このような非人道的なシステムを作り出したのか。

戦後、ナチスの元親衛隊員に聞き取り調査を行い、メモの分析にも携わった歴史家、アンドレアス・キリアン氏。注目したのは、大量虐殺のプロセスが細分化されていたという記述だ。彼は、ゾンダーコマンドの存在が、ナチスの隊員から罪の意識を取り除く効果を果たしていたのではないか、と指摘する。

歴史家 アンドレアス・キリアン氏
歴史家 アンドレアス・キリアン氏

「弱り切った人々がガス室に運ばれるところを監視していたナチスの隊員がいます。しかし、人々がその後どうなったのか、次の過程を見ることはありませんでした。隊員たちはガス室で行われていることを間違いなく知っていましたが、自分たちの手を汚すことはなかったため、虐殺の事実を意識せずに済んだのです」(歴史家 アンドレアス・キリアン氏)

さらにメモの分析からは、ナチスがゾンダーコマンドたちを巧妙に支配していた実態も見えてきた。専門家の調査で、ゾンダーコマンドは少なくとも14か国のユダヤ人とソビエト軍の捕虜から組織されていたことが分かっている。年齢も、15歳から56歳まで異なる世代の人間が、意図的に選ばれたとみられる。

「“ユダヤ人”と一言で言っても、ヨーロッパの南から来たユダヤ人と、東から来たユダヤ人とでは、歴史も伝統も異なっていました。互いに“真のユダヤ人”だとは認めていなかったのです」(ノーサンブリア大学 ユダヤ人問題研究 ドミニク・ウィリアムズ氏)

「ナチスには、ゾンダーコマンドをあえて様々な国のユダヤ人で構成し、反乱を防ごうという意図がありました。言語の違いなどから意思疎通ができなければ、連帯感が生まれにくいと考えたのです。ゾンダーコマンド同士に対立があってこそ、彼らを支配することは容易になります。“人間が違いを受け入れられない生き物”だということを、ナチスは熟知していたのです」(歴史家 アンドレアス・キリアン氏)

大量虐殺の事実を世界へ

ユダヤ人絶滅を水面下で進めていたナチスドイツ。表ではソビエトとの激しい戦いを繰り広げていた。しかし、1942年の終わりを境に各地で敗戦を重ねていく。収容所内のゾンダーコマンドたちも、情勢の変化に気付いていた。

「東ヨーロッパでは、ソビエト軍の猛烈な反撃が始まっていた。私たちは毎日ソビエトの接近を注視していた。ここで起きている出来事を今こそ、私たちの手で外の世界に伝えなければならない。世界がこの事態に関心を持つよう、私たちは万難を排して収容所内の諜報員に情報を流した」

ポーランドの亡命政府と諜報員たち イメージ図
ポーランドの亡命政府と諜報員たち イメージ図

彼らが情報を託したのは、ポーランドの諜報員たち。密かに収容所に潜入し、ゾンダーコマンドに接触していた。送り込んだのは、国外に逃れていたポーランドの亡命政府。諜報員を通して大量虐殺の証拠を掴むことで、世界を味方に付けようと考えていた。ゾンダーコマンドの任務を記録した唯一の写真も、歯磨き粉のチューブに隠され、収容所の外に届けられたものだった。

しかし、ゾンダーコマンドたちの決死の訴えは世界に届かなかった。今回見つかったイギリス政府の内部文書によると、大量虐殺の事実はポーランドの亡命政府からイギリス政府へと知らされていた。イギリスはアメリカに、次のような懸念をひそかに伝えていた。

1943年1月 イギリス外務省がアメリカ国務省に送った電報
1943年1月 イギリス外務省がアメリカ国務省に送った電報

「大量虐殺の阻止に動けば、ドイツはユダヤ人を絶滅ではなく他国に追いやる方針に転換する恐れがある」

「我々がユダヤ人を積極的に受け入れることになれば、人々の不満が政府に向くことになるだろう」

イギリスやアメリカでは、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人によって仕事を奪われたと感じる国民の不満が高まっていた。大量虐殺を阻止しようとしたゾンダーコマンドたちの望みは、各国の思惑の中で空しくついえたのだ。

ゾンダーコマンドたち 最後の決断

1944年の夏、ゾンダーコマンドたちは、最後の手段に訴えようとしていた。全員で反乱を起こし、「死の工場」であるガス室を破壊しようというのだ。ナチスによって分断されたかに見えたゾンダーコマンドたちは、ひそかにネットワークを作り上げていた。

「反乱は、金曜日に実行することになった。開始は午後4時。まず最初に私たちは、10人の見張りを皆殺しにし、武器を奪う。5時になると、夜勤の見張り20人が位置に着く。1人に対し5人のゾンダーコマンドが一斉に襲いかかる計画だ。仲間の中には、銃を使える者もいる。見張りの20人を殺したら、私たちのうち一部はさらに他の見張りを襲い、残りはガス室の外へ向かう。バラックに火を付け、仲間たちを逃がすためだ。誰も自分が助かろうなどと思ってはいなかった。それどころか、確実に殺されることも分かっていた。それでも、誰もが満足だった」

ところが、計画はナチスによって阻まれた。

「最悪の事態が起きた。仲間の300人がどこかへ連れて行かれることになったのだ」

「ナチスは私たちを消すつもりだ。なぜなら私たちは、大量虐殺の一部始終を知ってしまったから」

メモが埋められていたガス室の跡地
メモが埋められていたガス室の跡地

死を覚悟したゾンダーコマンドたち。ガス室に送られてきた人々の持ち物から紙とペンを盗み出し、大量虐殺の一部始終を書き残し始めた。メモはいつの日か、日の目を見ることを願って、ガス室近くの地中に埋められた。それは、世界に向けた大量虐殺の告発であり、裏切り者として生きた彼らの「告白」だった。

「私は死を恐れてなどいない。ただ、復讐できないことが悔しいのだ。私の唯一の望みは、このメモが皆の手に渡ることである」

「何百万人もの命が奪われたアウシュビッツの歴史が、このメモを通じて世界に伝えられることを願う。そして、いつまでも人々の心に留まり続けることを私は願う」

「私たちは、これからどこかへ連れて行かれる。殺されるのだろう。私は強く求めたい。これまでに書いたいくつかの文書にイニシャルを記し、瓶や箱に入れガス室の近くに埋めた。それを拾い集めてほしい。今日は1944年11月26日」

最後のメモの日付から、2か月後。アウシュビッツは、ソビエト軍によって解放された。組織的な大量虐殺を裏付けるものは、ナチスの手で既に燃やされていた。ゾンダーコマンドも、そのほとんどが口封じのために殺されたとみられている。わずかに生き残った人々も同胞からの非難を恐れ、戦後は口を閉ざした。

ゾンダーコマンドの戦後

今回の取材で、メモを残した人物の1人「マルセル・ナジャリ」の娘が、ギリシャに暮らしていることが分かった。

マルセル・ナジャリと娘ネリーさん 1971年撮影
マルセル・ナジャリと娘ネリーさん 1971年撮影

「父は私に亡くなった姉と同じ“ネリー“という名前を付け、とても可愛がってくれました」(ネリー・ナジャリさん)

ナジャリは、アウシュビッツ解放の直前、別の収容所へ移送される集団に紛れ込み、奇跡的に脱出を果たしていた。戦後ほどなくして結婚し、2人の子どもをもうけていた。ナジャリが亡くなったのは1971年、54歳だった。ガス室での体験は、生涯口にすることはなかったという。

娘のネリーさんは、今回メモを通じて初めて父親の壮絶な体験を知った。父が綴っていた「復讐のために生きたい」という言葉が、強く印象に残ったと話す。

「父にとっての復讐とは、あの地獄を生き延びること、自分が見た事実を書き残すこと、そして2度目の人生を幸せに生きることだったと、私には思えてなりません」(ネリー・ナジャリさん)

残されたメモ
残されたメモ

人類の負の遺産となったアウシュビッツで、「裏切り者」の烙印を押されたゾンダーコマンドたち。人は、自らが生き延びるために、どこまで残酷になり得るのか。そして、他者の痛みにどこまで無関心でいられるのか。メモの最後は、こう締め括られている。

「ここには、全てが記されているわけではない。真実はもっと悲劇的で、計り知れないほど恐ろしい。メモはいくつも埋められている。探し続けてほしい。まだまだ見つかるはずだ」

この記事は、2020年8月16日に放送した 「NHKスペシャル アウシュビッツ 死者たちの告白」 をもとに制作しています。
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