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世界同時ドキュメント 私たちの闘い

2020年6月3日

世界を覆ったコロナ危機。感染者は600万人を超え、死亡した人も37万人以上に上る。各地の都市は封鎖され、相次ぐ感染の爆発に医療機関はひっ迫した。そのなかでも人々はどう闘い、どう生きたのか。世界の各都市に住む人たちに自撮りを依頼し、その映像でつづった2か月間の記録。

2020年5月31日(日)に放送された内容を基にしています。
「新型コロナウイルス」に関する情報は日々、更新されています。最新の情報はこちらの特設サイトでもご確認ください。

ヨーロッパ感染爆発 3月上旬~3月下旬

3月半ば、感染爆発の始まったイタリア。ある男性がバルコニーで歌う映像がSNSを通じて世界中の話題となった。

バルコニーで歌うマルキーニさん

「今の私にできることは、歌でみんなに癒しを与えることです。再び外に出て日常に戻れることを信じて歌うんだ。」(オペラ歌手 マウリツッオ・マルキーニさん)

イタリアに続き、感染が広がったのがフランス。特に深刻を極めたのが、感染者の4分の1が集中していた北東部だ。この地域では病院がパンク状態に陥り、隣国ドイツに助けを求めるほどの事態に。なかでも、人口1万のある小さな町は、病院もなく感染者の数さえ把握できない、フランス最悪の感染地帯となっていた。

その町で自撮りに協力してくれたのが、役場に勤めるジャンルイさんだ。

消毒液を散布する様子

「いま消毒液散布の現場に来ています。心配なのは感染が急速に広がっていること。イタリアの次は僕たちだ。見えないウイルスへの対策に悪戦苦闘しています。」(町の役場に勤めるジャンルイさん)

ジャンルイさんの周囲では、仲の良い隣人や職場の上司、さらには高齢の両親も感染していた。

フランス 役場職員のジャンルイさん

「父は持病も多く抱えていてすごく苦しんでいる。なのに僕は何もしてあげられない。」(ジャンルイさん)

激震地ニューヨークへ 3月上旬~下旬

ヨーロッパから2週間ほど遅れて、ウイルスが猛威を振るったのがアメリカ。なかでもニューヨーク州は、1日に7千人が感染し100人が亡くなる最大の激震地となった。

「ニューヨークを助けに来てほしい。今すぐ。」(クオモ知事)

全米に向けられたクオモ知事の呼びかけに、看護師や医師などおよそ1万人が、続々とニューヨークを目指した。

「怖いし重圧もある。でも、やってやるわ。」(看護師 クリスティーナ・ファーガソンさん)

ニューヨークに到着した医療従事者たちが目にしたのは、感染者でベッドが満杯になり戦場の様相を呈した病院。そして家族も知らないうちにひとりで亡くなっていく患者たちの姿だった。

看護師 デレク・ラフィンさん

「覚悟していたし自分で手を挙げたことだけど、正直想像以上だった。」(カンザスシティからやって来た看護師 デレク・ラフィンさん)

4月には治療にあたっていた医師が、自らの命を断つという出来事も起きた。あまりに過酷な現場に耐え切れず、病院を去る看護師も続出した。

そんななかでもオクラホマからやってきた看護師のキムさんは、夜7時から朝7時までの夜勤を続けていた。

看護師 キム・ラングフォードさん

「最初の頃は同じマスクを5日間使い続けました。全然足りていませんでした。」(看護師 キム・ラングフォードさん)

感染の恐怖を押さえ込んで、多くの患者を担当していたキムさん。多いときには、10人以上の患者を担当していた。ベッドサイドを飛び回り、たったひとりで死に向かう患者のそばにいようと努めた。

病院の様子

「担当していた重症患者に、家族と話してもらおうと携帯電話を貸したんです。そのあと病室に戻ると、亡くなっていました。私は彼の妻や子どもとも話をしたことがあったので、とてもつらかったです。そんなことばかりです。去って行く看護師もいっぱいいましたが、21日間はここにいると決めたものですから、それだけは全うするつもりです。」(看護師 キムさん)

しかし病院からは期間延長をたびたび求められ、帰郷は先送りとなっていた。激務に加え、小さな体調の変化にも感染の不安を感じる日々。

「じつはこの数日のどがイガイガするの。少しでも体調が悪いと必要以上に不安になる。もしかして感染した?発症した?って不安になる。」(看護師 キムさん)

アメリカ全土で、4月上旬までに、医師や看護師など9千人が感染し、27人が死亡していた。

世界中でステイホームが呼びかけられるなか、ニューヨークでも外に出て働き続けなければならない人たちがいた。

「ハロー、こんにちは。私は地下鉄の運転手として働き続けています。地下鉄はとても厳しい状況です。」(地下鉄の運転手 ヤン・ヒックスさん)

地下鉄の車内で暮らすホームレスの人たち

地下鉄の車内で眠るホームレスの人々。収容されていた施設で集団感染が発生し、24時間動く地下鉄に逃げ込んでいたのだ。マスクを持たない人も多く、けっして衛生的とは言えない環境。実際、地下鉄などの公共交通機関では123人が死亡している。

地下鉄の運転手 ヒックスさん

「ウイルスは目に見えないので毎日怖いです。感染しないことを祈るしかありません。でも私は出勤しなければなりません。命を危険にさらしても、働かなければなりません。」(地下鉄の運転手 ヒックスさん)

感染の危険にさらされながら働く人たちを、助けようと立ち上がったのはウクライナ出身の現代アート作家のリューバさん。3Dプリンターを使って、ウイルスから顔を守るフェイスシールドを作っていた。

現代アート作家 リューバさん

「私は医者でもなく科学者でもありません。それでも私が持っている知識で誰かを守ることができるのなら、何もしないのは自分の技術を無駄にしているだけだと思った。何かできることがあるのなら、それをしない理由はありません。」(現代アート作家 リューバさん)

この日リューバさんは、80個のシールドを、地下鉄に届けた。

フェイスシールドを受け取った地下鉄の職員

「完璧です!素晴らしいよ。ソーシャルディスタンスだけど握手させてくれ。」(地下鉄の職員)

「1枚のシールドは1人の命を守るだけでなく、その人の友人や家族も守ります。ひとりひとりが集まって世界はできています。だからこそ私はすべての依頼になんとしても応えたいのです。」(リューバさん)

閉ざされた街の中で

人々を励まそうと、バルコニーから歌い続けてきた、オペラ歌手のマルキーニさん。しかしマルキーニさんは、歌う気力を失っていた。

オペラ歌手 マルキーニさん

「最初は多くの人々を元気づけられている実感がありました。しかし、あまりに多くの人が亡くなり、墓地や火葬場が対応できずに軍までもが棺を運ぶのを見てから歌うのをやめました。もう歌うことはできない。」(オペラ歌手 マルキーニさん)

持病を抱えているが病院に行きたくても外に出るのが怖く、痛みに耐える日々。さらに毎月精力的に行っていたコンサートは次々とキャンセルされ、5か月先までほとんど白紙に。オンラインで音楽レッスンを始めたが、対面での指導との違いに戸惑うことも多い。

オペラ歌手 マルキーニさん

「ロックダウン以前は音楽の生徒も多くいて、コンサートもたくさん決まっていましたが、すべてなくなりました。お金はどんどん減ってきています。音楽は生活に必要不可欠なものとは言えませんから。」(オペラ歌手 マルキーニさん)

ニューヨークでも、危機は容赦なく、人々の生活を奪っていた。人気のベーグル店を経営するクリストファーさん。イタリア系移民の3世だ。

クリストファーさんが営む店

「ビジネスの80%を失いました。従業員を50人から12人にリストラせざるを得ませんでした。彼らを愛しているし、家族も同然です。本当につらい。」(ベーグル店経営 クリストファー・パグリージさん)

さらに追い打ちをかけたのが、店の強盗被害。しかし絶望の最中にあっても、クリストファーさんは、ニューヨークのために役立とうとしていた。

「じつは新型コロナと闘っている医療者にベーグルを無償で贈っていたんです。そうしたらお礼のメッセージが届いたんです。」(クリストファーさん)

医療者からのお礼のメッセージ(Yelp HP より)
医療者からのお礼のメッセージ(Yelp HP より)

“おいしいベーグルで、幸せな気持ちになりました。コロナが落ち着いたあとに、また食べに行くのが待ちきれません。”(医療者たちからのメッセージ)

ベーグル店経営 クリストファーさん

「笑顔を見て、心が和み、とても幸せな気持ちになりました。私たちもまだ誰かを笑顔にできるということを知りました。とても感動して、じつは泣いてしまったよ。」(ベーグル店経営 クリストファーさん)

閉ざされた街で、誰もが希望となるものを探していた。イタリア、ナポリでは…。

イタリア ナポリ 食料をつめたカゴを下ろす姿

「どうぞ召し上がれ。」

エレベーターがない、古い建物が多いナポリ。カゴを介した伝統的な方法で、仕事を失い、生活に困る人たちに向け、食べ物を提供する人たちがいた。始めは空で戻ってきていたカゴ。それが次第に、お返しの品が入れられるようになっていた。

ナポリの市民

「パンを入れてくれた人がいるよ。素晴らしいよ。助け合いにあふれている。」(ナポリの市民)

ニューヨークで一人、フェイスシールドを作り続けていたリューバさん。その取り組みを知って、支援したいという連絡が入るようになっていた。

現代アート作家 リューバさん

「私たちは、お互いに会ったこともありません。人種も住む場所も違います。でも今こそ力を合わせるときなのです。私はこれを『自発的な連帯』と呼んでいます。みんな頼りになるし、こういうのも悪くない。」(現代アート作家 リューバさん)

“自発的な連帯” 見知らぬ誰かのために

世界のあちこちで見られた、連帯と勇気の連鎖。日本でも危機を食い止めるための動きが始まっていた。

日本屈指の精密機器メーカーでは、PCR検査用のキットの製造に乗り出しいていた。持てる技術力で、毎月30万回分のキットを大量生産する計画だ。

島津製作所 開発統括責任者 山本林太郎さん

「1日も早いコロナウイルスの終息に向けて、検査体制の構築に微力ながら貢献したいという思いをもちまして。科学技術で社会に貢献する。」(島津製作所 開発統括責任者 山本林太郎さん)

4月下旬、ニューヨークでは目に見えて、新たな感染者の発生が減ってきていた。看護師のキムさんも、45日間の勤務を終え、故郷オクラホマに帰ろうとしていた。以前、体調の変化に不安を感じていたキムさん。前日にPCR検査を受けていた。フライトの直前に届いた結果は陰性。45日間の闘いを終え、ようやく家族に再会することができた。

キムさんと家族

「ママに抱きしめてもらえないのが、さみしかった」(キムさんの娘)
「ママは他の街でたくさんの人を助けていたんだよ」(キムさんの夫)

フランス北東部で町役場に勤めるジャンルイさんにも、うれしい知らせが届いた。コロナに感染し苦しめられていた父親が回復したのだ。

ジャンルイさんの両親

「会えてすごくうれしいよ。顔を見られないのはすごくつらかった。」(ジャンルイさん)
「おまえには本当に助けられたよ。本当に私たちはラッキーだった。生きていて幸せだよ。」(ジャンルイさんの父)

「私たちはこれからもこのウイルスと付き合っていかなくてはいけない。数週間や数か月で解決する話ではない。だから色々な生活習慣を変えなくてはならないだろう。とにかく父の元気な姿が見られただけで、素晴らしいプレゼントだった。」(ジャンルイさん)

動き出した世界

雨上がりの5月18日。この日、イタリアでは、レストランやカフェが営業を再開、本格的に日常が戻りつつあった。歌うことをやめていたオペラ歌手のマルキーニさん。日常が戻ったら、その日に街に出て歌おうと決めていた。

広場で歌うマルキーニさん

「とにかく胸がいっぱいです。この歌がフィレンツェや世界中にとって祈りとなることを願います。」(マルキーニさん)

選んだのは、バルコニーから歌い続けた『誰も寝てはならぬ』。愛の力を信じ続け、最後には、勝利を勝ち取る物語だ。その姿はSNSを通じて世界中に届けられた。

フランス役場職員 ジャンルイさん

「ロックダウンからの再起の象徴だね」(フランス役場職員 ジャンルイさん)

フェイスシールドを作るリューバさん

「とても美しい。自発的な連帯の形はいくらでもあるのですね。」(フェイスシールドを作る リューバさん)

オクラホマの看護師 キムさん

「不幸ではあったけど、私たちは闘いを通じてひとつになったのですね。」(オクラホマの看護師 キムさん)

マルキーニさん

「私のたったひとつの願いは、この危機を経験したことで世界がよりよくなることです。私たちはけっして負けていないんだ。」(マルキーニさん)

私たちが重ねてきた無数の闘い。そのひとつひとつが、どうか新しい希望の回路につながりますように。


NHKスペシャルでは、今後も「新型コロナウイルス」に関する番組を放送予定です。

今後の放送予定

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この記事は、2020年5月31日に放送した 「NHKスペシャル 世界同時ドキュメント 私たちの闘い」 を基に制作しています。

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