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認知症の第一人者が認知症になった

2020年2月19日

認知症医療の第一人者である医師の長谷川和夫さんが認知症になった。そして、「自分の姿を見せることで、認知症とは何か伝えたい」と、自らの認知症を公表する。家族に支えられながら講演活動を続けるが、そこには当事者としての不安、さらに家族の葛藤があった。長谷川さんとその家族の姿から、認知症を生き抜くための「手がかり」と「希望」をつむぐ。

認知症とは何かを伝えたい

認知症医療の第一人者である医師の長谷川和夫さん(90歳)には、かつての先輩医師から授かった言葉がある。

「君自身が認知症になって初めて君の研究は完成する」

そして、生涯をかけて認知症と向き合ってきた長谷川さん自らが認知症になり、2年前に公表した。

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「自分の姿を見せることで、認知症とは何か、伝えたい。」(長谷川さん)

長谷川さんの認知症は「嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症」で、進行が比較的緩やかだ。調子が良いときは自宅の書斎でひとり研究を続け、自ら「戦場」と呼ぶ場所で自分の考えをまとめている。

長谷川さんの医師としての歩みは、日本の認知症医療の歴史そのものだ。戦後間もない頃に精神科医となり、40代で認知症を専門にした。まだ認知症が「痴呆」と呼ばれ、差別や偏見の対象となっていた時代である。

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40代の頃の長谷川さん

具体的な診断基準すらなかった時代に、記憶力などをテストする「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発。日本で初めて認知症の早期診断を可能にした。

さらに、認知症の人の尊厳を守るため、病名を痴呆から「認知症」へ変更することを提唱。86歳まで診療を続けたのである。

自身が認知症になって分かったこと

認知症医療の第一線に立ち続けて半世紀。長谷川さんは、認知症になった今も各地で講演活動を行っている。この日訪れたのは、名誉教授を務める大学。長谷川さんは認知症への理解を深める原点となった出来事を語り始めた。

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「忘れられない患者さんがいらしたんですよ。その人はね、五線紙があるでしょう、音符を書く。そこに彼は『僕の心の高鳴りはどこに行ってしまったんだろうか』という悲痛な叫びが書いてある。それを心にずっと秘めて、これはもう絶対にこの道は認知症に対する研究、診療っていうのは何がなんでも続けるぞと思った。」(長谷川さん)

五線紙に思いを綴っていたのは、長谷川さんが主治医を務めていた岩切健さんだ。健さんは50代でアルツハイマー病を発症し、亡くなるまでその胸の内を明かすことはなかった。唯一残していたのが、五線紙に書かれた言葉だ。

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「僕にはメロディーがない。和音がない。共鳴がない。帰ってきてくれ。僕の心よ、全ての思いの源よ。再び帰ってきてくれ。あの美しい心の高鳴りは、もう永遠に与えられないのだろうか。」(五線紙に書かれた岩切さんの言葉より)

健さんが亡くなったあと、妻の裕子さんが五線紙のことを長谷川さんに打ち明けた。

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「先生がハンカチ出してポロポロ泣かれて、黙って私を抱きしめてくださって。先生も自分は勉強として、脳がどんなふうになっていくというのはいっぱい研究してきたけども、『本人の心の中を見たのはこれが初めて』とおっしゃった。」(裕子さん)

長谷川さんは認知症の人の心に寄り添い診療を続けてきた。しかし、自身が認知症と分かったとき、想像以上の不安に襲われたと打ち明ける。

「もうだめだとか。もう僕はあかんとか。もう何もできなくなるのかとか。どんどんひとりになる。自分が認知症になってみたら、そんなに生やさしい言葉だけで、人様に申し上げることはやめなくてはならないと。こんなに大変だと思わなかったな、ということだよね。」(長谷川さん)

奪われたのは「確かさ」

認知症になって初めて分かった当事者の胸の内。長谷川さんは、それを忘れないために日記をつけている。

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「僕の認知症も確かなものと自覚した。3時頃にこちらに来るという伝言をすっかり忘れ、そのことも自覚しないという点で立派な dementia(認知症)と思った。」(2018年2月15日の日記より)

「昨日、池袋駅でJR山手線の乗場が分からず、人に聞いたりした。僕の認知症、少しずつ進行している。」(2018年3月24日の日記より)

長谷川さん自身も認知症が進行していることを自覚している。

「いつも確認していなくちゃいけないような、そういう感じ。自分自身が壊れていきつつあることは、別な感覚で分かっている。十分に分かっているつもりではないけども、ほのかに分かっている。確かさ、確かさっていう生活の観念が。生きている上での確かさが少なくなってきたように思うんだよね。」(長谷川さん)

日々失われていく「確かさ」。長谷川さんはそれに抗うようにできるだけ外出し、これまでと同じ日常を送ろうとしていた。そして、いつも行くお気に入りの喫茶店でリラックスするが、日記には複雑な心情を吐露する。

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「一生懸命、一所懸命やってきた結果こうなった。どうも年をとるということは容易ではない。僕の生きがいは何だろう?」(日記より)

何気ない会話が絆を取り戻す

認知症と向き合う長谷川さんを支えてきたのが妻の瑞子さんだ。しかし、瑞子さんの負担は日に日に大きくなっていった。

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瑞子さんは持病の腰痛が原因で自らも要介護認定を受けているが、夜眠れないことが増えた長谷川さんに深夜まで付き添うようになった。

二人が結婚したのは60年前で、3人の子どもに恵まれる。仕事一筋で生きてきた夫。家事や育児は瑞子さんがひとりで担ってきた。

そして今、認知症になった夫を支える日々。それは、ようやく訪れた夫婦二人だけの時間でもあった。

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「とにかくあまり嫌な思い出を作らないようにしようと思いますよ。上の空に行って、『あのときは…』なんていうことになると困るから。『のんびりできてよかったね』くらい言えるようにね。」(瑞子さん)

長谷川さんの日記には瑞子さんへの感謝の思いが綴られるようになった。

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「僕の体や、精神、心のすべてに瑞子がいてくれる。この感覚は初めてだ。なんというのだろう。いつも瑞子と共にいる喜びだ。幸せだと思う。」(日記より)

瑞子さんの存在は、長谷川さんにとっての「確かさ」にもつながっている。

「朝起きて『今日は何をするんだろうな』『俺は今どこにいるのかな』、自分自身のあり方がはっきりしない。で、彼女が側にいて朝、言葉を交わしてくれる。『おはよう、調子はどう?よく眠れた?』お互いにそういう言葉を交わし合ったりするんだけど、それで『あっ、大丈夫なんだな、良かった』、だんだん(不安が)薄れていって、確かさが戻ってくる。」(長谷川さん)

父親の尊厳と向き合う 娘の葛藤

長谷川さんの講演活動や研究を支えているのが、娘のまりさんだ。この日は新たに出版する本の打ち合わせに臨んでいた。

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企画の打ち合わせの途中のことだった。長谷川さんは打ち合わせとは関係のない話を次々と始めたのだ。

まりさんは話を戻そうと口を挟むが長谷川さんは、戦時中の話などを止めない。認知症の父とどう向き合えばいいのか、まりさんは不安が募っていった。

1週間後、主治医との面談があった。そこで長谷川さんは現在の状況を説明する。

「僕の感じでは確かさがあやふやになってきた。具体的にいうと、よくお話しするんですけど、外出しようと鍵をぱしっとかけるだろう。何回もそれを繰り返して時間がどんどんたっちゃう。」(長谷川さん)

長谷川さんが離席したあと、まりさんは主治医に悩みを打ち明け始めた。

「さっきの鍵の話ですね。あれも取材のたびに何回も何回もするんですけど、実際、今は自分で鍵を閉めて出かけるなんてほとんどないんですね。経験がなくてもその話を繰り返しするんですね。そういうのって、私が余計なことを言わない方がいいんでしょうか。」(まりさん)

主治医は、周囲のサポートが大切だとアドバイスする。

「おそらく言ったところで、『そうだったのか』とは先生は解釈されないと思うんですね。権威とか威厳とかそういう部分も、こういうことで潰されないように周りがね、サポートしてあげることは重要だと思う。」(主治医)

認知症医療の第一人者である父親が認知症になったことを、まりさんは受け入れることができずにいた。

「認知症になって、どんどんもの忘れがひどくなって。間違ったことを言ったりとかね、医師として、そういうのを残したくないというのは正直ありましたね。今までせっかく順調にきていたものが崩れてきちゃう。尊厳が。」(まりさん)

自らが提唱したデイサービスで感じた孤独

症状が少しずつ進行してきた長谷川さんは、日記に複雑な心の内を英語で綴っていた。

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Where are you?
Where am I?
Where is Mizuko?

そして、日帰りでさまざまな介護を受けられるデイサービスに通うようになっていた。瑞子さんの負担を減らすのが目的である。

約40年前に認知症のデイサービスを提唱し、実践した1人が長谷川さんだ。家族の負担を減らし、認知症の人の精神機能を活発化させ、利用者が一緒に楽しめる場所の重要性を訴え続けてきた。

しかし、この日、利用者全員で行うゲームに参加した長谷川さんに笑顔はなかった。

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「医者のときは『デイサービスに行ったらどうですか?』って、そういうことしか言えなかったよね。少なくとも、介護している家族の負担を軽くするためには非常に良いだろうくらいな、素朴な考えしか持っていなかったよ。『今日は何がしたいんですか?したくないですか?』っていうことから出発してもらいたい。ひとりぼっちなんだ、俺。あそこに行っても。」(長谷川さん)

自宅で、長谷川さんは娘のまりさんに本音を漏らした。

まりさん「行ってもつまらないの?」
長谷川さん「そう。」
まりさん「自分ではじめたところでしょ。家族のためにもデイサービスはいいって。」
長谷川さん「そうだね。デイサービスに行けば、瑞子の負担が軽くなることは確かだからさ。」
まりさん「そうでしょう。でもやめちゃうの?おばあちゃんまた大変じゃない。」
長谷川さん「そうねえ、しょうがないよ。」
まりさん「しょうがない?」
長谷川さん「・・・・・。」

かつて自ら提唱したデイサービス。そこで感じた孤独…。長い沈黙のあと、長谷川さんはこう切り出した。

長谷川さん「僕は死んでいくとき、どんな気持ちで死ぬのかな。」
まりさん「死ぬとき?どんな気持ちになるか?なんでそんなこと聞くの?」
長谷川さん「僕が死んだら、(周りが)やっぱり喜ぶのかなと思って。」
まりさん「誰が?」
長谷川さん「お前が。」
まりさん「そんなことないでしょう。」
長谷川さん「でも周りはホッとするとよね。きっと。それくらい俺はみんなに負担をかけているということは自覚しているつもり。」

驚くような行動には理由がある

この日は町内会の会議が終わったあとに、長谷川さんの講演が控えていた。しかし、出番がやってくると、長谷川さんは思わぬ行動に出る。

「どういうふうにしてはじめようかなと思っているんですけどね。まあ、歌を歌うところからはじめます。」(長谷川さん)

講演の最後に予定していた歌を最初に歌い始めたのだ。同行したまりさんは慌てて長谷川さんに駆け寄るが、振り払ってそのまま「ふるさと」を歌い続けた。

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帰宅後、まりさんは父親に本心を尋ねた。

まりさん「みんなに(歌詞の)紙を配る前に歌いはじめちゃったからさ。私が止めようとしたら『嫌だ』ってやったじゃない。なんではじめに歌ったの?」
長谷川さん「気分が変わると思って。みんなあそこに座って、難しいことを議論していたんでしょう。しょうがないから、ふるさとの歌をやったの。でもよかった。あれでみんなときほぐれた。」
まりさん「そうだね良かったね。」

まりさんは、父親の思いを受け止めはじめていた。

父親の話を聞くまりさん

「今思うと、自宅のリビングにいたときから、しっかり歌詞カードを握っていましたから、歌からはじめようと決めていたのかなと思います。父なりの判断だったんだ。無理に止めないでよかったのかなとは思いました。」(まりさん)

認知症になっても変わらない笑顔

父親の心にどう寄り添っていけば良いのか、悩み続けるまりさん。長谷川さんが家に引きこもりがちにならないよう、外へ連れ出すようになった。手をつなぎ歩いて訪れたのは、長谷川さんのお気に入りの喫茶店。

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二人の会話も自然と弾む。

長谷川さん「いやー、まりがいてくれて助かるわ。」
まりさん「でも、うるさいときもあるでしょう?」
長谷川さん「まあ、あるけど。」

まりさんには気づいたことがあった。

まりさん「私のこと、いくつだか分かる?」
長谷川さん「分からない。」
まりさん「分からないのー?」
長谷川さん「あなたはね、35。」
まりさん「嬉しい、やったー!」

昔から家族を楽しませることが大好きだった長谷川さん。その人柄は、今も決して変わらないということだった。

「楽しいときは『楽しかったね。本当に今日は良かった』と言う。昔からわりと感情表現をするタイプだったんですね。認知症になっても変わっていないなって思うんです。30年前、40年前からずっと変わっていないなって思えるようになってきた。」(まりさん)

認知症になっても変わらない景色

長谷川さんは、1日の終わりに瑞子さんに「ありがとう」の言葉を伝えるようになった。講演会でも、瑞子さんへの感謝を忘れない。

「今日も家内が一緒に来ていますけれども。家内と一緒に暮らして、同じ苦しみ、楽しみをわかちあって過ごしておりますけれども。家にいるときでも、毎日毎日ひとつひとつのことに笑っているということが、とても大切だと思います。」(長谷川さん)

認知症とは何か。それは、ひとつの救いだと長谷川さんは言う。

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「余分なものは、はぎとられちゃっているわけだよね、認知症になると。(認知症は)よくできているよ。心配はあるけど、心配する気づきがないからさ。神様が用意してくれたひとつの救いだと。」(長谷川さん)

取材の最後、長谷川さんに尋ねたいことがあった。「認知症になって見える景色はどんな景色か」―。

「変わらない、普通だ。前と同じ景色だよ。夕日が沈んでいくとき、富士山が見えるとき、普通だ。会う人も普通だ。変わらない。」(長谷川さん)

傍らでは、瑞子さんがいつものようにピアノでベートーヴェンの「悲愴」を弾く。長谷川さんの大好きな曲だ。

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しかし、途中で弾き間違えて止めてしまう。

瑞子さん「全然だめ、だめだわ。どこを弾いているか分からなくなってだめでした。」
長谷川さん「いいよ、いいよ。今よかったじゃないの。」
瑞子さん「だめなの。少し練習しておきましょう。本当の『悲愴』になるんだから。」

二人の変わらない景色はこれからも続く。

長谷川さんと瑞子さん
この記事は、2020年1月11日に放送した 「NHKスペシャル 認知症の第一人者が認知症になった」 を基に制作しています。
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