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ガダルカナルの真実
組織の論理が生んだ悲劇の指揮官

2019年10月25日

太平洋戦争の転換点となったガダルカナルの戦い。日本陸軍の精鋭部隊916名が1万人を超えるアメリカ海兵隊に戦いを挑み全滅する。部隊を率いた指揮官の一木清直大佐は、無謀な突撃作戦にこだわり、部下の命を奪ったとして非難を浴びてきた。しかし、大敗北の裏には共同作戦に打って出た陸軍と海軍の不協和音があったのだ。今回アメリカで見つかった膨大な戦闘記録から、「地獄の戦場」となった戦争の実像に迫る。

明らかになる精鋭部隊全滅の全体像

日本からおよそ6,000km、南太平洋のガダルカナル島は、日米が初めて総力戦を行った戦場だ。今から77年前、日本軍が作った島で唯一の飛行場を巡って日米は激突する。

真珠湾攻撃によって連合国との全面戦争に突入した日本は、米軍の拠点ハワイとオーストラリアを結ぶ線上にあるガダルカナル島に着目した。ここで制空権を得れば連合国を分断し、さらに優位に立てると考えたのだ。800mの滑走路を備えた飛行場は、重要拠点となるはずだった。

危機感を募らせたアメリカは飛行場を占領し、制空権を奪おうと計画する。そして、血で血を洗う戦いが繰り広げられ、のどかな南の島ガダルカナルは死者2万人以上の「地獄の戦場」となったのだ。

米軍の飛行場占領作戦を記録した未公開フィルムが残されている。10時間に及ぶ傷ついたフィルムをデジタル処理で復元し、高精細の4K映像で作戦の実態がよみがえった。

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1942年8月7日、アメリカ海兵隊がガダルカナル島に上陸し、1万人の兵力で完成間近の飛行場を占領。米軍機を迎えるため整備を進めた。そして、飛行場奪還に現れた日本軍を圧倒的な火力で撃退。日本兵はわずか900人で10倍の米軍に挑み、“全滅”した。

このとき全滅したのは、陸軍屈指の精鋭と言われた一木支隊。兵を率いた一木清直大佐は、敵を侮り無謀な作戦を強行したとして、非難を浴びてきた。

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一木大佐の遺族、長女の安藤淑子さんは現在90歳。父が一木大佐であることをひた隠しにして生きてきた。今回始めて、これまでの思いを語る。

「社会に出てから私はひと言も、父のことを話したことがないんですよ。(父は)亡国の民の代表だっていう風潮が強かったですからね。だから私は身分を探られるというのは一番怖かったんですよ。」(安藤さん)

本格的な陸海軍共同作戦が実現

なぜ一木大佐の部隊は、全滅へと至ったのか。そこには、日本軍の組織が抱える問題が影を落としていた。

8月7日、米軍のガダルカナル島上陸の知らせは直ちに大本営にもたらされた。そして、陸海軍の作戦参謀が一堂に会して、飛行場奪還作戦を練る緊急会議が開かれた。この会議で海軍は、陸軍との共同作戦を提案する。

この2か月前、海軍はミッドウェー海戦で敗北。空母4隻を失い、報復の機会をうかがっていた。一方の陸軍は、中国やアジア各国で連戦連勝を重ね、向かうところに敵はないと自信を深めていた。陸軍は海軍の提案を受け入れ、ガダルカナルの米軍から飛行場を奪還すべく、本格的な陸海軍共同作戦を行うことが決まる。

陸海軍はそれぞれ、連合艦隊と第17軍に作戦準備を命令。海軍は艦隊と航空隊を、陸軍は歩兵部隊を派遣し、連携して飛行場を奪還する作戦を立てる。このとき、白羽の矢が立ったのが、中国戦線で名を挙げた一木大佐が率いる総勢2,000名の一木支隊だった。

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隊員の多くは、北海道旭川近郊の農家出身。20代の若者たちは厳しい訓練を経て精鋭部隊に生まれ変わった。ほぼ全滅だった一木支隊で数少ない生存者の元隊員、101歳の工藤喜一さんが当時を振り返る。

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「米軍は実戦経験に乏しく、一木支隊の勝利は確実と皆が感じていた。必ず飛行場を奪還しなきゃならない。とにかくね、負ける気持ちは一つもなかった。戦えば勝てると思って、その信念がね、あったから。」(工藤さん)

亀裂が始まる海軍と陸軍

飛行場の奪還をめざした陸海共同作戦で、海軍の側はどう動いたのか?

海軍の作戦は、アメリカが飛行場を占領したその日のうちに始まった。指揮官の三川軍一中将は闇にまぎれた奇襲を決断する。攻撃目標は、米軍の占領部隊に武器や食料を届ける輸送船団。空母や巡洋艦に護衛されていた。

夜10時50分、連合艦隊はアメリカの艦隊を発見。夜襲に参加した元海軍兵士の荒木政雄さんが当時の様子を語る。

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「やっぱり怖いですよね。真っ黒い、本当に真っ黒い先、一寸先は分からないぐらいですね。探照灯落として、ばーっと途中明るくなったんです。敵の船がそこにいるじゃないですか。それと同時に打ち方はじめ、大砲打ち方はじめ、魚雷発射はじめですもんね。」(荒木さん)

夜11時38分、攻撃開始。連合艦隊はクインシーなど巡洋艦4隻を沈め、他3隻に大ダメージを与えた。ミッドウェー海戦の敗北以来、久々の大戦果を挙げた海軍の勝利は大々的に報じられる。

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しかし、海軍はこの戦いで大きなミスを犯していた。空母や巡洋艦への攻撃を優先すべきと判断し、当初の目標だった輸送船団を見逃していたのだ。米軍は補給が途絶える危機を脱し、飛行場占領部隊は武器や食料を受け取る。

ラバウルの陸軍第17軍司令部はこの海軍の判断を非難した。一木支隊の作戦を担当する参謀長の二見秋三郎少将は、今回初めて公開された手帳に、海軍への痛烈な批判を綴っている。

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「(海戦勝利の)ニュース海軍大々的に報ず。やり方なまぬるきこと多く全くキガシレズ」(二見少将の手帳)

海軍のミスで米軍の戦力は増強され、戦いに向かう一木支隊にとって不利な状況が増していた。共同作戦と言いながら、攻撃の優先順位が食い違う海軍と陸軍。大勝利の影で亀裂が生じようとしていたのだ。

陸海軍を包む楽観の空気

8月18日、一木支隊の先遣隊、916名が無血上陸に成功する。米軍が占拠する飛行場までおよそ35kmの道のり。しかし、行く手に残酷な運命が待ち受けていることを、兵士たちはまだ知らなかった。

これまで謎に包まれてきた一木支隊の島での行動だが、その詳細を示す新史料がアメリカで見つかる。合わせて1,000ページを超える米軍の機密文書だ。米軍陣地の突破を図った一木支隊が反撃を受けて殲滅されるまでが、分刻みで記録されていた。

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陸軍屈指の精鋭部隊だった一木支隊の全滅。その始まりは、作戦を立案した大本営陸海軍の参謀が米軍の兵力を見誤ったことだった。

海軍航空隊による偵察で米軍艦艇は1隻も見当たらなかったことから、参謀たちは「米軍の主力部隊は撤退した」と判断。米軍の数を2,000人と見積もる。ところが、実際の米軍の兵力は10,900人。致命的なミスが生まれていた。

謎をさらに深める史料も見つかっている。日本海軍が、アメリカに潜入したスパイから得た極秘情報だ。

「今朝、大船団が戦車や軍隊を乗せて、南太平洋方面へ向かった」(スパイの極秘情報)

海軍は偵察にあたった航空機の情報からも、米軍輸送船団の動きを掴んでいた。海軍参謀の佐薙毅は、輸送船団の数から米軍は1個師団15,000人だと、ほぼ正確に見積もっている。それを狂わせたのが、連合艦隊が夜襲でアメリカ艦隊を撃破した海の戦い(第一次ソロモン海戦)の勝利だ。戦果を受け、陸海軍の参謀は米軍兵力の見積もりを削減。輸送船団は大部分の兵を乗せて撤退したとみて、残る兵力は2,000人と考えた。

だが、一木支隊が所属する陸軍第17軍司令部は、見積もりに疑問を持つ。二見参謀長は、すでに上陸を果たして空港の占領を続ける米軍が8,000人はいると見ていた。初公開の手帳にも記している。

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「海軍急ぐも不安。一木隊ヤレズ」(二見参謀長の手帳)

二見参謀長は敵の数がはっきりしない中で攻撃をせかす海軍に不安を抱き、一木支隊の進軍に待ったをかけようとしていた。ところが、陸軍参謀本部のナンバー2、参謀次長から電報が入る。

「速やかに(飛行場を)奪還することを考えよ」(参謀次長からの電報)

米軍機が配備され、戦況が不利になる前に飛行場を奪還せよというのだ。二見参謀長は大本営が命じるまま、一木支隊の進撃を認めるしかなかった。

囮(おとり)になった陸軍部隊

これまで無謀な作戦を強行したと非難されてきたガダルカナルの陸軍だが、部隊を率いる一木大佐は作戦を続けるべきかどうか司令部の判断を仰ごうにも、連絡できない状況に置かれていた。

陸軍司令部があるラバウルはガダルカナルから1,000kmと遠く、無線が届かない。そのため、海軍の潜水艦が中継することになっていた。ところが、この共同作戦中に潜水艦は任務を放棄し、持ち場を離れてしまう。いったい何が起きていたのか?

連合艦隊の動きを記録した戦時日誌に、潜水艦が離脱した原因が書かれていた。

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「9時40分。空母を含む敵機動部隊を発見」(連合艦隊の戦時日誌)

この日の朝、偵察にあたっていた海軍機がガダルカナル島の沖合でアメリカの空母を発見。連合艦隊は周辺にいた全艦に出撃命令を下した。潜水艦もこの命令に従ったため、一木支隊は無線連絡ができなくなったのだ。

連合艦隊参謀長の宇垣纒は、ミッドウェー海戦でアメリカ艦隊に大敗した復讐に燃えていた。宇垣の日記には、アメリカの艦隊をおびき出すため、ガダルカナルの陸軍部隊を利用する策が記されている。

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「陸軍を種とし、囮(おとり)となす」(宇垣の日記)

陸軍が米軍と戦えば、救援のためアメリカの空母が駆けつける。そこを叩こうというのだ。

アメリカの空母部隊を誘い出し、殲滅することを最優先に考えた海軍。一木たちの陸軍部隊をおとりにすることも作戦のうちだった。

米軍のワナにはまり全滅する精鋭部隊

無線を中継する潜水艦が姿を消し、孤立無援の状態になった一木支隊。一木大佐は、この作戦にあたって事前に大本営から命令を受けていた。

「戦機ヲ重視シ速(すみやか)ニ奪回セヨ」(一木大佐の日記)

何より重要なのは、敵が利用する前に飛行場を奪還すること。このとき、ガダルカナルにいた一木支隊は先遣隊の916名のみ。遅れていた後続部隊1,000人の到着を待たず、命令に従って攻撃を急いだ。だが、目標の飛行場に到着する直前、恐れていた事態が起きる。

「8月20日16時、飛行場に味方の戦闘機が到着した」(アメリカ軍の戦闘記録)

米軍機31機が飛行場に配備され、制空権は米軍の手に渡る。状況が悪化する中、一木支隊は飛行場奪還の望みを捨てず進軍を続けた。決戦に臨む兵士の日記には、悲壮な決意が綴られている。

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「南十字星の下、はるかに故郷を思うとき、父母の笑顔が目に浮かぶ。父上母上見ていてください。決して情けない死に様は致しません。」(日本兵の日記)

8月20日夜10時30分、一木支隊は闇にまぎれて飛行場の米軍陣地に忍び寄った。そのとき、突然照明弾が光り、待ち構えた米軍から一斉攻撃を受けるのだ。

日本側からみると、米軍は川向こうの少し高くて見えにくい場所に陣を敷いていた。逆に米軍側にまわると、川で足止めされた日本軍を上から見下ろせる、天然の要塞のような地形だ。待ち構えていた米軍は、一木支隊に2方向から「十字砲火」を浴びせる。圧倒的な火力で攻撃する米軍の銃撃を避けようと、川べりのくぼ地に身を隠した日本軍。だが、それはワナだった。米軍はくぼ地めがけて、迫撃砲を雨あられと撃ち込んだのだ。

敵のワナを察知した一木大佐は部隊に突撃中止を命じる。そのとき、米軍の戦車隊が出現。逃げ道をふさぐように、一木部隊の側面から背後へと回り込む。日本軍を袋小路に追い込んだ軽戦車は、日本海軍が海の戦いで見逃した、米軍の輸送船団が運んだ兵器だ。

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行き場を失った一木支隊は狭い砂州を進む。だがそこは、米軍の攻撃が集中する最も危険な場所だった。

絶体絶命の窮地に立つ一木支隊。そのとき、日本海軍の基地からゼロ戦が緊急発進する。しかし、向かった先は一木支隊が苦闘する陸の戦場ではなく、海だった。米軍の空母発見の知らせが入り、攻撃命令が発せられたのだ。一木支隊が全滅の危機にあっても、海軍は空母攻撃を優先させた。

同じころ、島の飛行場から米軍機が離陸し、わずかに残った一木支隊に容赦なく機銃掃射を浴びせかける。

午前10時25分、空母を見失ったゼロ戦がようやく一木支隊の上空に現れた。だが、時すでに遅かった。一木大佐と部隊は全滅。兵士のほとんどの777人が命を落としたのだ。

陸海軍の分裂で泥沼に向かう敗残兵

作戦失敗の知らせがラバウルの陸軍司令部に届く。一木支隊の派遣に不安を抱いていた参謀長の二見は、日記に「夜12時。一木全滅の報あり。寝られず、寝られず」と綴っている。

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一方、海軍側の反応はまったく異なるものだった。宇垣参謀長の日記には「陸軍が敵を軽視したことが、作戦失敗の原因」と記している。海軍は、自分たちの行動が一木支隊の全滅に関わったとは受け止めなかったのだ。

陸海共同作戦とは名ばかりに、それぞれまったく別の戦いを進めた陸軍と海軍。部隊全滅の原因を見極めようとはしなかった。

ガダルカナルの空港奪還作戦は、一木大佐が責任をとって自決したとして幕引きが図られる。一木大佐の長女、安藤淑子さんは、父の部隊が全滅したと知らされたが秘密を守るよう軍に口止めされていた。

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「とにかくね、誰にもそういう話はできませんから。表に出たらただ普通の顔をしているだけで。一番つらかったのは母だと思いますね。連隊の部下の方たちのご家族なんかも旭川に帰ってくるはずが帰ってないけれど、『何かご存じでしょうか』っていう問い合わせがしょっちゅう来るんですけど、母は『ちょっと分かりません』ってお茶を濁して返事をしていましたね。」(安藤淑子さん)

大本営はその後もガダルカナルに小出しに部隊を送り続ける。敗北を重ねるたび人数を増やし、結局、延べ3万人以上が戦った。一木支隊で辛くも生き延びた敗残兵は帰国も叶わず密林で戦い続け、さらなる悪夢が始まるのである。

悲劇を生んだ組織の論理

ガダルカナル周辺の海底に、日本軍の輸送船・宏川丸が当時の姿を保って沈んでいる。艦内には戦車のキャタピラや軍用車のタイヤがのこされており、輸送船は武器や食料を積んだまま撃沈されていた。一木支隊が全滅した後、米軍は飛行場をさらに拡張して戦闘機の数を増やし、日本軍の輸送船が島に近づくたびに襲い掛かったのだ。

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食料の補給が途絶え、生き残った一木支隊の兵士たちは地獄を見ることになる。戦いで重傷を負った工藤喜一さんは、手当を受けるうちにまわりの兵士の異常に気付いた。

「怪我をしてない者がね、私より弱くなってるんだな、食わず飲まずで。もう食い物もなくなってねえ。ミミズ、ミミズまで食べた。目の前で死んで、かわいそうで。」(工藤さん)

兵士たちは次々と飢餓に倒れ、命を落としていく。

そんな状況の中、大本営では陸海軍が決裂していた。ガダルカナルに関わっている場合ではないとする海軍はガダルカナルを放棄。島で戦っている将兵は見捨て、米艦隊との戦いを優先させた。

日本軍がガダルカナル島から撤退したのは、一木支隊全滅の半年後。この間に15,000人が飢えと病で命を落とす。

米軍はその後も次々と太平洋の島々に上陸し、日本軍を追い詰めた。日本は陸海軍の対立が続く中、人命を軽視する戦いを続ける。そして終戦までに、犠牲者は300万人を超えた。

毎年夏になると一木大佐の長女、安藤淑子さんは千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れる。部隊全滅の責任を問われ続けてきた父。兵士たちと共に、この場所に祀られている。組織の狭間で「無謀な戦い」を強いられた一木支隊。父たちの冥福を今年も祈る。

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祈りを捧げる安藤さん

「父は最後を迎えるときを、いったいどいういう気持ちでいたのかなと思いますね。いろいろ犠牲になられた方々の、どんな思いでみなさん亡くなっていったのかなと思うと、本当にやりきれないという感じですね。」(安藤さん)

日米の激闘で「地獄の戦場」と化したガダルカナル島。日本軍の組織の論理が悲劇の指揮官を生んでいた。

この記事は、2019年8月11日に放送した 「NHKスペシャル 激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官」 を基に制作しています。
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