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取り残された被災者たち 震災から8年目の真実

2019年4月5日

東日本大震災から8年。国が10年と定めた復興期間は大詰めだ。家を失った人たちのための災害公営住宅はほぼすべてが完成予定で、形の上では新しい「終の住みか」が整いつつある。しかし、そこには時が経ったからこそ見えてきた課題も多い。支援の網の目からこぼれ落ちてしまった被災者たちは今も厳しい暮らしを強いられ、「復興」という言葉からは程遠い存在だ。国の復興政策から取り残された被災者の知られざる実態を伝え、真に求められる復興のあり方を考える。

壊れた家に住み続ける被災者

宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。

震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。

地震が起きたとき、男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波で生活に必要なものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。

「市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなたの場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、『あなたの場合、自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者の男性)

国は災害救助法の運用基準で、仮設住宅に入居できる対象を原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府の告示)

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男性は、住む家があると見なされたために、仮設住宅への入居が認められなかったのである。

限界に達した「自助努力」

さまざまな事情で避難所には行かず、壊れた自宅などで避難生活を送った人たち。その後、「在宅被災者」と呼ばれるようになった。

国の制度では、家を失った人と、家があると見なされた在宅被災者の間には、支援に大きな格差が生じている。家を失った人は避難所に行き、物資などの支援を受けやすくなる。その後は行政が仮設住宅を無償で提供。さらに災害公営住宅を建設し、住まいを保証する仕組みだ。

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被災者支援の仕組み

一方、在宅被災者の場合、私有財産の自宅の修理に使える補助金は最大で258万円。それで家が直しきれないと、後は自助努力するしかない。しかし、8年が経って、その自助努力も限界にきている現状が分かってきた。

年金暮らしの70代の男性もその1人だ。妻も子も既に病気で亡くなり、頼れる身寄りはない。男性の家は震災で1階の天井近くまで津波が押し寄せて全壊の判定。元々大工だった男性は、国からの補助金を使いながら自分で修理してきた。

在宅被災者を支援するボランティア団体「チーム王冠」も男性の自宅に訪問し、修理を手伝っている。しかし、家はまだ冬を過ごせるような状態までには直せていない。壁には穴が開いたままで、風が部屋の中に入ってきてしまう。

この日は家の寒さを少しでも和らげようと、畳替えを行う予定だった。そのために床板を外してみると、津波で水に浸かった床の材木が長期間放置されていたため、朽ちてボロボロになっていたのが新たに発見された。

震災から年月が経ち、家の傷みは進んでいる。男性は段ボールを切って、家の穴を塞ごうとしていた。これが、男性が8年間続けてきた「自助努力」だ。

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疲労の色が濃い男性の表情からは、諦めの気持ちが見て取れる。「チーム王冠」の伊藤健哉さんは、男性の苦しい胸の内を代弁した。

「たぶん『助けて』と言えないんだろうね。我慢してればいいというか。でも本当は直したいんですよ。直したいけれども、直せるお金が自分にはない。それを直すために使える制度がない。何をどうやってももう無理じゃんという感じで諦めてるわけで、『いや直さなくてもいいよ』って。『いいよもう』って言ってしまう。」(伊藤さん)

生きる力を失う被災者

石巻市は去年の秋から、津波で被災した家に今も住み続ける人たちへの大規模な実態調査に乗り出した。

対象は、自宅が大規模半壊以上の被害を受けた約4千世帯。これまでの調査で実に6割にあたる2,430世帯が、壊れた家を直したいと訴えていることが判明した。

石巻市は、家の修理のために国とは別に最大100万円を補助する支援制度を設けている。しかし、それでも直しきれない人が多くいることに、市役所で担当する阿部主査も限界を感じている。

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石巻市役所 阿部主査

「どうしたらいいんでしょうね。もう日々悩むしかないです。国に責任を押しつけるわけじゃないですけど、基礎自治体としてやるべきことを考えてやって、できないことも多々あるなと実感したのは間違いない。限界だなと感じることが多いですね。」(阿部さん)

70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。

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「うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性)

個人情報保護の壁

住まいを保証された被災者にも、深刻な事態が起きていた。

5年前、仙台市で最初に完成した災害公営住宅には、高齢者を中心に約300世帯が入居している。去年の暮れ、住民たちに衝撃が走った。入居者の男性が、死後数か月たった状態で見つかったのだ。隣人ですら名前を知らなかったと言う。

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孤独死があった部屋の扉を見つめる自治会長

「引っ越しをしたときにあいさつしたけど、ドアをたたいても開かないし、まったく会ったこともないし、見たこともないです。」(隣人の男性)

亡くなったのは1人暮らしの60歳の男性で、孤独死だった。自治会にも加入しておらず、どのような生活をしていたか、誰にも分からない。

自らも被災者の自治会長は、見守りが必要な住民を把握しようと務めてきた。しかし、今でも自治会には半数しか加入しておらず、残りの住民は名前すら分からない状況だ。どこに誰が住んでいるか教えてほしいと、行政にたびたび要望したが、個人情報の保護を理由に教えてもらえずにいる。

誰にも看取られずに亡くなる孤独死。岩手、宮城、福島の3県の災害公営住宅では、入居者の増加とともに増え続け、去年は76人。前の年に比べて4割も増えているのだ。

新たに生まれる健康被害

災害公営住宅で孤独死が増加しているという現状。そうしたなか、住民の健康に新たな異変も起きていた。

5年前に災害公営住宅に入居した90代の男性は、それまで経験したことのない不眠の症状に苦しんでいる。

男性は宮城沿岸の港町・名取市閖上で生まれ、賑やかに暮らしていた。しかし、震災による津波で自宅を流出。80年以上過ごした故郷を離れざるをえなくなった。息子や妹の家など5回も転居を繰り返し、災害公営住宅に入居後は不眠に悩まされるようになる。

2,000人以上の被災者を対象にした最新の調査では、転居の回数が増えるにつれて睡眠障害の疑いがある人の割合が高くなっていることが分かった。4回以上転居した人では、実に4割近くにのぼっている。

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出典:東北大学大学院「被災者健康調査」 宮城 石巻 平成30年度

調査を行った東北大学の辻一郎教授は、移転による健康被害「リロケーションダメージ」が起きていると指摘する。

「引っ越す回数が増えていくにつれて、人と人との関係が疎遠になってくる。あるいは、落ちこぼれていく人が出てくるわけですね。さまざまな地域のつながりが弱くなってきて、それが睡眠障害を呼んだりしていますけれども、それを放っておくと、もっと重度の鬱状態、あるいは本当の鬱病になっていく可能性が非常に強い。さらに問題は重度化していくと思います。」(辻教授)

「おせっかいの心」で被災者を支援する

岩手県釜石市には、被災者の見守りを住民たちが手探りで進めている地域がある。取り組んでいるのは、住民ボランティア「暖(だん)チーズ」だ。メンバーは震災前からこの地域に住む12人の主婦たち。名前には、暖かい団地にしたいという思いが込められている。

活動を行う野田団地は50年前に内陸部に造られた。現在は320世帯が暮らしている。

震災後、この地区に災害公営住宅が完成。周囲の一戸建てにも沿岸から被災者が移り住み、住民の1割を占めるまでになった。

暖チーズのモットーは「おせっかいの心」。見守りが必要な人を把握するため、ときには敷地内に入ることもある。住民の名前や暮らしぶりなどを把握して、支援につなげようとしているのだ。

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さらに暖チーズは、ひきこもりがちな被災者が他の人たちと交流できる場も設けている。おせっかいの精神で、被災者の孤立を防ぎたいという思いからだ。なかには被災者に4年間声をかけ続け、ようやく交流会への参加にこぎ着けたこともあった。暖チーズのリーダー千葉房子さんは、今後も地道に声をかけ続けていくと語る。

「被災した人たちに、すぐに地域に入っていきなさいと言ってもなかなか気持ちがいかないと思うんですよ。それには時間がかかると思う。諦めずに、私たちもやれることを続けていきます。」(千葉さん)

自宅の解体という苦渋の決断

「終の住みか」を考える上で、別の次元で見ていかなければならないのが、原発事故が起きた福島の人たちだ。浪江町は原発から8km。放射線量が下がり、2年前に避難指示が一部解除された。

しかし、町のあちらこちらで住宅の解体が進められている。現在の浪江町は居住率が約6%。長期にわたる避難で帰還を諦めた人の家を、国は無償で解体してきた。その支援制度の締め切りが迫り、申し込みが殺到しているのだ。

生まれも育ちも浪江町の60代の男性は、避難先の町に家族と暮らしている。男性は23年前に先祖代々の土地にマイホームを建てた。震災前は母親や子どもたちと3世代で暮らし、ここが「終の住みか」になるはずだった。しかし、子どもたちは震災前と同じ生活はできないと考え、戻らないと言う。

まだ十分住める自宅を解体するかどうか、男性は悩み続けた。家の維持費がかさむ一方で、帰還後の生活も思い描けない。男性は申込期限のぎりぎりに、断腸の思いで解体を決断した。この日は解体の立ち会いだ。

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自宅の解体工事が始まり、その様子を黙って見つめる男性。しかし、途中で体調が悪くなり、最後まで見届けることができずに現場から立ち去った。

「明確な喪失」という苦悩

国の帰還政策で故郷に戻るかどうか決断を迫られる福島の人たち。原発事故以来、福島で心の診療を続ける福島県立医科大学の前田正治教授は、さらなる喪失感が心に重くのしかかっていると指摘する。

福島の人たちは避難指示によって家はあるのに帰宅できない状態が続き、故郷を失ったのかどうか分からない心理状態に陥った。「あいまいな喪失」と呼ばれるものだ。それが、帰還して思い描いていた故郷とは異なる現実に直面すると、「明確な喪失」に変わると前田教授は言う。

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福島県立医科大学 前田正治教授

「直面しているのは『明確な喪失』です。これはもう自分の故郷のように思えないとかね。そのような感じが帰還しても続いている場合は、喪失感がだんだん強くなっていく。そのときこそ本当に『明確な喪失』ということになるかと思います。」(前田教授)

仮設住宅に暮らす福島の人たちも、「明確な喪失」に直面しようとしている。

南相馬市最大の仮設住宅では、この8年、毎朝みんなで体操をするのが日課だ。妻に先立たれ、1人で暮らしてきた90代の男性も体操には毎日欠かさず参加してきた。

しかし、仲間に支えられてきた男性の暮らしも、今月で終わりを迎える。仮設住宅の無償提供が打ち切られ、閉鎖されるからだ。仮設住宅を出ざるをえなくなった男性は、災害公営住宅に入る道もある。しかし、先祖代々の土地を守るため自宅に戻ることを決めた。

男性は、自宅がある集落の人たちとの思い出の写真を大切に持っている。地域のつながりが強く、どんなときも家族のように助け合っていた。

しかし、自宅の周囲は、除染廃棄物の仮置き場になっていた。この集落で帰還した人は1割ほどしかいない。ここで住み続けられるのか。変わり果てた故郷の姿を前に、男性の気持ちが揺らぎ始めた。

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除染廃棄物が積まれた自宅周辺

「限界集落以上になってる。終の住みかにはなりっこねえ。だって若い人が1人もいねえ。子どもも1人もいねえ。動かなくなったら誰も助けてくれる人がいねえ。」(90代の男性)

災害ケースマネージメントへの期待

壊れたままの家に住む「在宅被災者」を支援する「チーム王冠」。代表の伊藤健哉さんは今、およそ500世帯の相談に乗っている。被災者が抱える課題が多様化するなか、伊藤さんはさまざまな専門家集団と連携するようになった。

家の修理について相談に乗るのは建築士。法律上のトラブルや行政との折衝は弁護士が担当だ。専門家たちは、無償で協力している。この他にも、医療や福祉の機関、就労支援や心のケアに関わるNPOなど、15を超える団体がネットワークを形成。専門家が連携し、被災者の個別の課題に沿って生活再建を後押しする仕組みは「災害ケースマネージメント」と呼ばれている。

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災害ケースマネージメントの仕組み

この日、チーム王冠は70代の男性宅を訪問。男性は震災後に仮設住宅に入れず、体調が悪化して医療費がかさみ、苦しい年金暮らしが続いている。そこで伊藤さんはファイナンシャルプランナーを連れてきた。家計管理の専門家に、男性の収支を見直してもらおうというのだ。

年金は2か月でおよそ14万円。電気代などの固定費を差し引くと、わずか4千円しか残らない。専門家の目で収支を細かくチェックすると、支出を抑えるために、震災でけがをした脚の回復に欠かせないリハビリをやめているなど、さまざまな問題点が明らかになった。

相談の結果、新聞の購読や携帯電話の料金プランなどを見直すことで、リハビリを再開できる目処が立った。伊藤さんは、被災者の支援には生活を見ることが必要だと訴える。

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チーム王冠代表 伊藤健哉さん

「その人がどういう被災を受けたか。例えば仕事がなくなったのか、あるいは心のケアが必要なのか、すべてトータルで見て判断する必要がある。家の再建が終わったから、その人はもう、東日本大震災は終わりましたということではないです。見るべきは家ではなく、生活そのものだと思います。」(伊藤さん)

慣れ親しんだ暮らしを奪われ、決して望んだわけではない場所を、あるいは大きく変わり果ててしまった我が家を「終の住みか」とせざるをえない人たち。被災した膨大な数の人たちには、そのそれぞれに人生がある。貴重な人生の終盤は、誰であっても尊重される社会でありたい。震災からの8年という年月は、その理想を捨てずに持ち続けることの覚悟を、私たちに問いかけている。

この記事は、2019年3月10日に放送した 「NHKスペシャル シリーズ東日本大震災 終(つい)の住みかと言うけれど… ~取り残される被災者~」 を基に制作しています。
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