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“ともに、生きる”とは
障害者殺傷事件から見えてきたもの

2018年10月5日

2016年7月、相模原市の津久井やまゆり園で起きた障害者殺傷事件。元職員だった植松聖被告は、「意思疎通のできない人間は生きる価値がない」という理不尽な理由で19人もの命を奪った。あれから2年。今、被害者やその家族のもとで、大きな変化が生まれ始めている。悲劇を乗り越え、1歩踏み出そうとする人たちの姿を追った。

行きすぎた合理主義が弱者排除の風潮を生む

2016年7月、相模原市の津久井やまゆり園で起きた殺傷事件。現在、拘置所にいる植松聖被告は、自分を批判する人などに向け、300通を超える手紙や手記を発信している。「生産能力のない者を支える余裕はこの国にはない」と主張する植松被告。いまなお、社会に自らの主張を広めようとしている。

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社会が事件を乗り越えるカギを探ろうと、植松被告と直接面会する人も出てきている。事件直後から新聞やインターネットで発言を続けてきた社会学者で、和光大学名誉教授の最首悟さん。娘の星子さん(41歳)はダウン症で、重度の知的障害がある。最首さん夫婦は40年にわたって星子さんを自宅で介護してきた。

最首さんは新聞の論評の中で、植松被告は社会が作り出した病だと指摘していた。経済的に役に立つかどうかだけで人を判断する、行きすぎた合理主義の風潮を感じ取ったからだ。

今年4月、そんな最首さんのもとに、論評を読んだ植松被告から突然手紙が届いた。

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「最首さんは問題解決を目指していないよう映ります。周りに多大な迷惑をかけ続けても、生きていたいと考えていますか。」(植松被告の手紙より)

19人を殺害し、裁判を控える植松被告。拘置所で新聞記事や本を読み、自分の考えを否定する人やメディアに対し、手紙を送り続けている。最首さんは、植松被告が作り出したというあることばに目を留めた。

「心失者(しんしつしゃ)」。
「意思疎通ができない人は心を失っている」と植松被告は決めつけていた。

娘の星子さんは、これまでことばを話したことはないという。それでも、海や公園に連れて行くと、豊かな表情を見せてくれた。最近は外出する機会が減り、星子さんの表情の変化を読み取ることは難しくなった。しかし、夫婦は星子さんのちょっとしたしぐさや声から、心の内を感じ取ろうとしている。

「人間には心がある、あるいは最終的には意識とか意思がある。生きるということのなかでの、本当のさびしさとか、悲哀、そして、幸せと感じる瞬間もあるということについては、彼は本当に薄っぺらい。そういうことについての体験がない。『殺してやったほうが、この子のためでしょう』と、これが一番の大きなお世話。そんなこと言えるわけがない。」(最首さん)

事件から2年がたつ2018年の7月。最首さんは植松被告からの手紙を受けて、拘置所で直接話すことにした。接見で植松被告は、淡々とした口調で最首さんを批判した。

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植松被告「大学で指導する人が、社会の負担になる心失者と暮らすなんてありえません。」

最首さん「星子と暮らすのは大変ではありません。大変ならば、一緒に暮らせないでしょう。私はあなたの手紙に返事を書くつもりです。長い期間にわたってのやりとりになるかもしれません。」

手紙を書くにあたり、最首さんの念頭にあったのは、植松被告だけではない。ネット上に今なお存在する植松被告のことばに同調する声。社会に潜むそうした“声”にこそ、自分が感じてきたことを伝えたい。最首さんは植松被告への手紙の内容を公表するつもりだ。

「植松青年に向かって、書くとか語るというのをこえていきますね。むしろ、もっと多くの人たちに向かって、答えていくということになるでしょう。重度の寝たきりの障害者とか、認知症老人というのは、意思疎通ができなくなったら、人間としては疑わしくなるんじゃないか。そういう考えは非常に多いと思う。それは違うということは指摘しなきゃいけない。」(最首さん)

被害者とその家族に訪れた大きな変化

なぜ、19人を殺害するにいたったのか。NHKは植松被告に接見を繰り返し、それを探ってきた。

「『この年になって、このままじゃ何もないなあ』と思っていました。自分の人生は有意義だと思いたくてやりました。彼らの存在自体が不幸を作るという考えは変わっていません。」(植松被告)

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2年前の7月26日未明。植松被告は車で乗りつけ、かつて働いていた施設に侵入。ねらわれた津久井やまゆり園には当時、およそ150人が入所していた。植松被告は入所者が眠る部屋をまわり、意思疎通ができないと見ると刃物で次々と刺し、19人を殺害、27人に重軽傷を負わせた。犠牲者は、差別や偏見を恐れる遺族の意向などから、今も名前は明かされていない。

惨事に見舞われたやまゆり園の人たち。
事件から3週間後に、傷を負った息子を見舞った夫婦がいた。尾野剛志さんと妻のチキ子さん。息子の一矢さんは首や腹など5か所を刺され、一時、意識不明となる重傷を負った。事件のショックから、一矢さんは情緒不安定で興奮状態になることもあったという。

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しかし、事件から2年がたち、一矢さんに大きな変化が生まれている。事件後、やまゆり園は建て替えが決まり、別の場所で生活してきた一矢さんたち入所者。

以前は、尾野さんの仕事も忙しく、親子が会えるのは月に1回程度だったが、事件のあと、傷ついた一矢さんのそばにできるだけ寄り添ってきた尾野さん。親子で多くの時間を重ねるなか、一矢さんはこれまでにない表情やしぐさを見せるようになった。

(スタッフ)「ごはんはおいしかった?」
一矢さん「おいしかった。おにぎりおいしかった。」
剛志さん「初めてだよ、聞いて、ちゃんと答えてくれたのは。」
チキ子さん「初めてです。びっくりした、私。このうれしそうな顔。」

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「こうやって一矢としょっちゅう接するようになってから、一矢も変わってきたし、僕も一矢に、ちゃんと気持ちを入れて、心を入れて、一矢と接するようになったから、そういう点で変わったと思う。」(尾野さん)

見えづらくても確かにある「意思」

植松被告に意思疎通ができない「心失者」と決めつけられ、命をねらわれた人たち。事件のあと、新たな1歩を踏み出した人がいる。

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20年以上やまゆり園で生活していた、松田智子さん。事件のとき隣の部屋にいた女性は、植松被告に殺害され、母親の恵実子さんは、大きな衝撃を受けた。

「生産性がない人とか、名前が書けないとか、話せないとか。そういう人は生きている価値がないというのは、やっぱり、智子たちは社会に生かされているところはあるから、とてもしんどいなと思います。」(恵実子さん)

智子さんは、歩き回ることが好きな活発な子どもだった。しかし、突然外に飛び出すなど徘徊がひどくなり、家族だけではみられなくなり、17歳でやまゆり園に入所した。その後、足をケガしたことをきっかけに、行動を制限されるようになった。やまゆり園がつけていた智子さんの支援記録によると、事件前は、ほぼ毎日車いすに拘束され、長い日は、12時間以上に及んでいた。人手が限られるなか、「見守りが難しい」とされたためだった。

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智子さんは次第に意思を示さなくなっていったと言う。

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「しかたないと思ってきました。今は、もうしかたないと。他の方法は考えられなかったから。引き取ることもできなかったし。」(恵実子さん)

事件後、神奈川県は障害者の支援について新たな方針を打ち出した。やまゆり園の入所者が、どのような暮らしを望むのか。今後は家族や周りの人の考えではなく、「本人の意思」を尊重して決めることにしたのだ。

今年3月、母親の恵実子さんと智子さんは、この取り組みを進めている施設を訪れた。

職員「はじめまして。智子さん、どれ飲みます?」

職員に、好きな飲み物を選ぶよう勧められた智子さん。見つめるだけで手を伸ばすことはない。しかし、飲み物を口元に運ばれると、飲み始めた。専門性のある職員が智子さんの意思を丁寧にくみ取っていく。職員たちは生活のあらゆる場面で、智子さんの意思を見ていくことになった。

あるとき、智子さんは突然立ち上がって、どこかに行こうとした。職員は行動をむやみに制限せずに付き添う。

職員「どこ行くの? 一緒に行こう。」

職員が特に意識してみるのは、目の動き。智子さんは何に関心があるのか、時間をかけて探っていく。重度の障害者を「心失者」と決めつけた植松被告。現場では、丁寧にその意思をくみ取る日々が続いていた。

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「そもそも、心失者という思想とか、そういうのは分からないですけど、1つ言えるのは、意思は、日常と切り離せないものなんですね。日常の中に意思があるので、本当はどうなのか、というのを問いかけてみる。」(障害者支援施設「てらん広場」施設長 大川貴志さん)

支援が始まって3か月がたったある日。智子さんは近くのカフェに出かけた。智子さんの39歳の誕生会だ。

職員「どれがいい?」
職員「見てるね、どれが、いいだろうね。今どこ見てる?ここらへん見てる。」
職員「これ?」

智子さんがビーフシチューを見ていることに気付き、職員が注文した。

職員「智子さん、お誕生日、ちょっと早いけど、おめでとうございます。」

智子さんにビーフシチューをつけたパンを渡し、食べる智子さん。食事が終わりかけたころ、智子さんが自らパンをシチューの皿にいれた。その行為から智子さんの「意思」を感じ取った職員。

職員「あれ?見てた?」
職員「つけるっていうことかな。つけてってこと?パンにつけるってことなのかな。見てて、覚えたんだ。すごい、智子さん。つけたほうがおいしいって分かったね。」
職員「食べた、すごい。やっぱり、分かってたんですかね、今の。つけたほうがいいって。」

3か月前は目の前の飲み物に手を伸ばそうとしなかった智子さん。見えづらくても、確かにある意思。ともに探る模索は続いている。

事件が突きつけた社会への問い 人生を変えた人も

事件から2年。障害のある人や支える人たちにはさまざまな変化が生まれている。一方、NHKのサイトに寄せられた声からは、今なお事件が突きつけた問いに戸惑う社会が垣間見える。

「根底にあるのは、『障害者が嫌』という思いではないでしょうか?自分の中の『差別』を取り去っていくしかないと思います。」(30代女性 福祉職)

「障害者がいなくなればいい、とは思わずとも、できればあまり関わりたくないと思ってしまいます。」(20代女性 学生)

「技術が進んで出生前診断とかしてますよね。それってこういう話につながっていく気がするんです。」(30代男性 会社員)

社会は事件とどう向き合っていけばいいのか。事件はそれまで障害者と無縁だった人たちにも変化をもたらしている。

愛知県に住む勝田雄一さんは、事件当時、自動車の部品工場で働いていた。単純な作業の繰り返しで、生きる意味に悩むことさえあったという勝田さん。殺人という行為は許せないものの、植松被告のことばが自分自身にも重なったと言います。

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「もし自分が障害者になったときに、果たしてそれでも自分は生きていたいと思うかなって。そのときの僕の答えはノーだったんですよ。これは、そういう状態で生きている人たちの人生をある意味否定しているんですよね。自分自身にも向けられた感じがしたんですよね。自分自身に生きている意味があるのか、価値があるのかという。」(勝田さん)

ところが、事件の5か月後。ラジオに出演していた障害者と共に働く男性のことばを偶然、耳にする。

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「容疑者は障害者なんていないほうがいいみたいなことを言ってるんですが、いたほうがいい。容疑者のことばをことばで批判することは簡単なんです。それよりもやっぱり一緒に生きていったほうがいい事実を作ってく。」(NHKラジオ深夜便 平成28年12月16日放送より)

このことばの意味を知りたいと思った勝田さんは、ラジオで話していた、横浜でパン屋を営む高崎明さんを訪ねた。

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高崎さんの店では、重度から軽度の知的障害がある人およそ40人が働いている。養護学校で30年以上教員を務めた高崎さん。8年前、障害のある人が働きながら、地域との接点を持てるように店をオープンした。高崎さんに勧められ、1日、一緒に働いた勝田さん。気付かされたことがあったという。

「一緒の時間を楽しむということに、それでいいんだなと。それまでの自分の意味とか価値とかに対する視野が広がった感じがあって。」(勝田さん)

そして2017年10月。勝田さんは重い障害のある子どもたちを支援する仕事につくことを決めた。障害のある人と毎日、接するようになった勝田さん。折にふれ、高崎さんに悩みを相談している。

勝田さん「本当に重度の子たちとかもいて、ちょっとどう接したらいいか分からないみたいなところがあるんですよね。正直なことを言えば、その生きる意味というか、そういうものがやっぱりよぎりましたよね。」

高崎さん「初めは分からなくて非常に混乱すると思うけども、苦労したほうがいいと思う。そんな深刻な顔で悩まずにさ。相模原事件を越える社会をどうやって作るかという、ああだこうだと理屈っぽい話じゃなくて、やっぱり彼らとのいい1日をどこまでこつこつと作り上げていくかということでしかない。」

一日一日を作り上げていった先にどんな風景が見えるのか。模索は始まったばかりだ。

「きれいごと」を実現させる 発想の転換が必要

重い障害のある人たちにどんな意思があり、どこまで近づくことができるのか。最首さんは娘との41年間で、自ら問い続けてきたことをつづり始めている。

「わからないからわかりたい。でも1つわかるとわからないことが増えているのに気付く。人にはどんなにしても、決してわからないことがある。そのことが腑に落ちると、人は穏やかなやさしさに包まれるのではないか。」(最首さんの手紙)

映画監督の森達也さんは、さまざまな人たちが共生する社会を「きれいごと」だと片付けてしまわないことが大事だと言う。

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「社会の成熟とは何か、1つはきれいごとをいかに実現していくか、かつてであれば、年老いた人、病気の人、社会的弱者は、どんどん死んでいった、そんな社会状況もあったわけです。でも今はどんどん変わってきている。それは、どんな人でも価値があるんだと、命は平等なんだと、きれいごとですよ、当時からすれば。でもそのきれいごとを、僕たちは実現してきた。そして現在がある。いろんなものをみんな抱えているし、そのグラデーションの中で、生きているわけです。そうした意識をみんなが持てば、少し社会もステップアップできるんじゃないかなという気がします。」(森さん)

自身も障害のある東京大学准教授の熊谷晋一郎さん。立場の弱い人を排除し、多数の意見が正しいとする今の社会には発想の転換が必要だと指摘する。

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「不要な存在とか、肩たたき(リストラ)とか、それを今、マジョリティも、潜在的に感じ始めていて、生き残ろうと思って、視野狭窄に陥れば、自分がいかに能力があるか、人は能力がないかを証明することに躍起になる。そっちにいくのか、それとも、連帯のほうにいくのか、そもそもマジョリティも含め、こんなにみんなが安心して、暮らせない世の中のほうがおかしいんじゃないというふうにして、マジョリティと、マイノリティが連帯するというオプションもありえるわけです。」(熊谷さん)

社会に芽生えた兆しを私たちは確かなものにしていけるのか。障害者殺傷事件から2年。問いかけは続いている。

この記事は、2018年7月21日に放送した 「NHKスペシャル “ともに、生きる” ~障害者殺傷事件 2年の記録~」 を基に制作しています。
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