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“消えた労働者”ミッシングワーカー
「働く」と「介護」の狭間で

2018年8月3日

40代、50代の独身中高年は、650万人。しかし、いま、そのうち6人に1人が働いていない実態がある。親の介護などを理由に離職し、その後も仕事をすることを諦めてしまう「ミッシングワーカー」と言われる人がいま、増えているのだ。働き盛りの世代に何が起こっているのか。労働市場から消えた、彼らの実態を取材した。

親の介護が最大のリスクに

いま、働き盛りのはずの40、50代の中高年が働けなくなり、仕事を諦めてしまう「ミッシングワーカー」に陥ってしまう異常事態が広がっている。背景にあるのは非正規労働者の増加。その数、およそ800万人。収入が不安定で、些細なことで、働けなくなるリスクを抱えている。

最大のリスクは、親の介護だ。働けない期間が長引き、仕事を探すことさえ諦めてしまう人も少なくない。実は、こうした人たちは失業者の数に入っていない。失業者とはハローワークなどで求職している人を指し、40、50代では72万人に上る。一方、働くことを諦め、求職活動さえできなくなる人は、統計に反映されず労働市場から消えた状態となる。こうした人たちを、労働経済学の専門家は「ミッシングワーカー(消えた労働者)」と呼んでいる。その数は実に103万人。失業者の数を上回る。

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そんなミッシングワーカーに陥っている、独身の川本正さん(仮名・58)。母親の介護のために仕事を辞め、4年間働いていない。81歳になる母親の和子さんは、ほとんど寝たきりの状態だ。正さんが、食事や着替えなど、身の回りの世話をしている。

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正さんは、高校卒業後、金属加工の工場で働いていたが、長時間の重労働で体を壊し、退職。その後、非正規の仕事を転々とするようになった。収入が不安定で結婚はせず、両親と同居を続けてきた。しかし、4年前、母親が腰のケガで、寝たきりの状態に。同じころ、父親も心臓病が悪化し、寝たきりの状態になった。同時に両親の介護が必要になり、一人っ子の川本さんにのしかかった。そして、働けなくなった。

両親の年金を頼りに介護を続けた川本さん。当時の収入は26万円で、働かなくてもなんとか暮らしていくことができた。

しかし、その生活が予想以上に長くなり、正さんは仕事から遠ざかっていった。去年5月、父親が亡くなったことで年金収入は16万円になり、家計は一気に苦しくなった。母親の和子さんは、目が離せない状態で施設に預けるための預貯金もない。

働きたくても働けない川本さん。求職活動もしていないために失業者に含まれない、ミッシングワーカーだ。

「おふくろが亡くなるまでは面倒見たいというのもありますし。とにかくいまやれることだけをやっていきたいというのがあるものですから、先のことというと余り浮かんでこない。」(川本さん)

ミッシングワーカーは103万人 失業者の数を上回る

さらに親の介護が長期化し、問題が深刻化する人もいる。57歳で独身の佐々木哲夫さん(仮名)。7年前、介護をしていた父親が亡くなり、1人になった。しかし、介護の負担がなくなった後も、働くことはできていない。亡くなった親が残した貯金で、切り詰めた生活を送る。

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佐々木さんは、大学卒業後、電気機器メーカーで正社員として働いていた。しかし、2年後に母親が亡くなると、父親に「家業の布団屋を継いでほしい」と頼まれ、それ以来、父親と二人三脚で自営業の布団屋を営んでいた。

佐々木さんが40代半ばのころ、父親は足腰が弱り、認知症の症状も現れた。父親の年金は、月10万円。そのお金で入れる施設はなく、仕事と介護を抱えた佐々木さんは、追い詰められていく。

さらに佐々木さんは、ゆっくり食事もできないほど父親の介護に追われるようになった。仕事ができなくなり、布団屋は廃業。月10万の父の年金だけで、生活しなければならなくなった。その後、父親が亡くなり、介護の負担がなくなっても、すぐに仕事を再開する自信を持てなかった。体重は30キロ減り、体力も気力も奪われていた。

親の介護をきっかけに、働けなくなった佐々木さん。どうしたらいいかわからず、苦しんでいる。

「今のところ、生きていくのが精一杯です。もういまの状況を一変するという方法が見つからない。どう生きるとかいう目的は、ない状態、見つからない状態です。」(佐々木さん)

ミッシングワーカーとは、アメリカの労働経済学の研究者の間で提唱されている概念だ。きっかけは、リーマンショック以降、アメリカ経済がなかなか回復しなかった原因を探ったことだった。アメリカの失業率は、リーマンショック以降跳ね上がったが、その後、徐々に下がっていった。本来、失業率が下がれば、景気回復につながるはずだ。しかし、アメリカの景気はなかなか回復しない。

その原因として、働いていないにも関わらず、求職活動をしていない人がいることがわかった。求職活動をしないと、失業者に数えられないため、統計から消えた状態になる。こうした人を、ミッシングワーカーと呼び、数を試算したところ、多いときで、400万人近くに上ることが明らかになった。ミッシングワーカーの数を加えて失業率を計算すると、2015年9月の時点では、5.1%とされていた失業率は、なんと、7.4%に上っていた。

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日本でも、こうしたミッシングワーカーが増えているのではないか。NHKが今回、研究者とともに試算したところ、40、50代の世代で、実に失業者の72万人を上回る、103万人もの人が、ミッシングワーカーの状態にあることがわかった。

カギは早期での再就職

ミッシングワーカーの問題を深刻化させないために、何が必要か。カギは介護のために働けない期間をなるべく短くして、早い段階で再就職を目指すことだ。

名古屋市にある、生活困窮者自立支援センター。このセンターでは、働いていない中高年を、なるべく早く、再就職につなげる支援をしている。去年、センターに寄せられた相談は2,755件。そのうち、40、50代がいる世帯からの相談が972件に上る。

その多くは、中高年の子どもが介護のために働けなくなり、経済的に追い詰められているというものだった。

この日、担当者が訪問したのは、父親の介護のために、1年前に仕事を辞めた藤井健一さん(仮名・49)。倉庫会社で正社員として働いていたが、仕事を辞めた後、父の吾朗さん(仮名・75)の年金に頼って生活している。

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足腰が弱り、外出には車いすが欠かせない吾朗さんは認知症の症状も現れ始めている。さらに、心臓に持病を抱え、いつ発作で倒れてもおかしくない状態だ。しかし、自治体のスタッフから再就職を進められ、健一さんは父を施設に預けて、働くしかないと思うようになった。

幸い、父親の年金は月23万円。そのお金で特別養護老人ホームに入所できることがわかったのだ。

「親だから面倒を見たいというのもあるけど、自分の生活も大事だから。自分の親は、絶対先に亡くなるもんだから、ずっと甘えとるわけにいかんし。」(藤井さん)

父を施設に預けることに決めた、健一さん。施設に送り出す前日、健一さんが夕食のメニューに選んだのは、父の好物のカレーライスだった。

藤井さん「じいちゃん、御飯な。」
父「ありがとな。」
藤井さん「きょう最後な。家での御飯。」
父「おう、わかった。」

ところが、出発の直前。

父「どこいくんだ。」
藤井さん「施設。」
父「何で俺が施設いかなあかんだ。」
藤井さん「もうきょうは、あなたの新しいおうちへ行くの。」
父「バカヤロー、行けるか。行けせんわ!」
藤井さん「あなたのこれからの人生のために、新しいとこ行くの。」

藤井さんが、将来のために決めた選択だった。藤井さんは、ようやく一歩を踏み出した。

「これから自分のことをやってかないかんから。まず第1段階終わったなという感じ。(未来のことは)まだあしたもわかんないから、まだ暗い。暗いけど、それを明るくするだけ。自分自身で。」(藤井さん)

仕事を辞めて1年。早めの支援で、藤井さんはミッシングワーカーから抜け出そうとしている。

大きな社会的損失になるミッシングワーカー

各地の自治体で独身中高年の聞き取り調査を行ってきた放送大学の名誉教授、宮本みちこさんは、中高年が働けないことは、少子高齢化が加速度的に進み、労働力人口が減っていく中、大きな社会的損失だと指摘する。

「ミッシングワーカーの問題は、生産的な活動に従事できる人たちの少ない、生産性の非常に低い社会になる。もともとその子どもたちの数が少なくなっている。日本の社会は一人一人が非常に貴重な労働力であり、社会の担い手でなければならない社会ですけれども、その一方で、担い手になれない状況にある人たちの多い社会ということになります。」(宮本さん)

どうすれば、再び働くことができるようになるのか。その一歩を踏み出したある男性がいる。

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10年以上、働いていない状態が続いている秋山直樹さん(仮名)。大学卒業後、飲料品をあつかう会社で正社員として働いていたものの、営業の最前線で過労とストレスが重なり、30代半ばで退職。その後、非正規の仕事を転々としながら、親の介護もこなしていた。

しかし、秋山さんは、両親を相次いでなくし、介護の負担がなくなった後も、働く気力を失っていた。収入がなくなり、捨てられた食品を拾い集めるうちに、家はゴミ屋敷になっていた。

去年5月、そんな秋山さんの支援に乗り出したのが、三重県伊勢市の生活困窮者自立支援センターだ。このセンターでは、ケースごとに長期計画を立てて支援を行っている。その上で、重視しているのが、地域を巻き込んで支援すること。秋山さんのケースでまず取りかかったのは、ゴミ屋敷になった自宅の清掃。掃除には行政だけではなく、地域の住民にも参加してもらった。

「より多くの関係者と本人を見守っていくというか、支えていくのが大事かなと思っている。ずっと関わっていけば、どこかで解決の糸口がつかめるのではないかと諦めず支援しています。」(伊勢市生活サポートセンター 嶋垣智之さん)

支援センターの依頼で、秋山さんに関わるようになった民生委員の渡嘉敷倍枝さんは、ゴミ屋敷の清掃をきっかけに、近所の人にも、支援の輪を広げていった。

「ご近所の方にも、話しかけてあげてくださいと頼んで。いろんなつらかったことを、私は一生懸命、話を聞いてました。本当に孤独だったと思います。」(渡嘉敷さん)

当初、ほとんど会話もできなかった秋山さん。いまでは、別人のように明るさを取り戻した。

「声をかけてくれるようになって。『おはよう』『頑張りな』とか言って。そういう人らに元気もらって、僕は支えてもらった感じかな。」(秋山さん)

支援が始まって半年がたった、去年11月。秋山さんは、介護の資格をとるための研修に参加した。そうして秋山さんは、3か月間介護について学ぶうち、介護ヘルパーとして働きたいという思いを強くしていた。

そして今年3月。仕事を失ってから12年。秋山さんは、長いブランクを経て、高齢者施設で働くことになった。ところが、働き始めた途端、秋山さんの体調に異変が起きた。
仕事中に強い息苦しさを感じ、病院を受診。診断結果は重度の心筋梗塞。心臓の機能が低下し、全身もむくみ、すぐに精密検査を受けなければ危ないと医師は診断した。

秋山さんは、働き始めたばかりの高齢者施設を退職せざるを得なかった。

「これからと思うときに、またこんなになって。悔しい感情がどんどん、どんどん湧いてきて、普通に話してるのだけど、涙がとまらへんかった。」(秋山さん)

将来の見通しが立たなくなった秋山さん。それでも焦らず、確実に体を治してから、もう一度仕事につき、社会の役に立ちたいと思っている。

「諦めるという感じではないな。何か手はあるやろうと思ってさ。」(秋山さん)

本来、介護保険はこうした事態を起こさないための仕組みだ。しかし、急速に進む少子高齢化により、介護保険だけではカバーしきれず、家族にも介護の負担が重くのしかかっている。さらに、非正規で働く独身者も増え続けている。

「働く」ことは、人が社会とつながり、暮らしていくためにも、年金や保険など社会の仕組みを維持するためにも、とても重要なことだ。

誰もが陥る可能性のあるミッシングワーカー。どうすれば救うことができるのか、その現実を受け止め、目を背けずに考えなければならない。

この記事は、2018年6月2日に放送した 「NHKスペシャル ミッシングワーカー 働くことをあきらめて…」 を基に制作しています。
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