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「息子は撃たれ、動物のように扱われた」 息子を亡くした父の叫び

撃たれて亡くなったカン・ニャー・ヘインさん(17)

弾圧の実態を伝えるために決死の覚悟で撮影され、SNSへ投稿されてきた無数の映像。中でも大きな衝撃を与えた動画がありました。3月14日、デモに参加していた17歳の医学生、カン・ニャー・ヘインさんが銃弾に倒れたあと、どのように扱われたのかが記録されたものです。息子を亡くした父は、その死をどう受け止めたのか―。

抗議活動をリードした医学生たち

2月1日の軍によるクーデター以降、抗議活動はミャンマー全土に拡大しました。
クーデターから3週間後には抗議活動の参加者は数百万人に膨れあがったといいます。
いち早く立ち上がったのが医学生たちでした。白衣を着て街頭に出て、クーデターに反対する意志を鮮明にしたのです。掲げたのは暴力に訴えない平和的な抵抗でした。

しかし、2月28日以降、事態は一変します。軍が本格的な弾圧に乗り出し、国連は1日で少なくとも18人が死亡したと発表。その後、さらに弾圧は激しさを増していったのです。

3月14日の悲劇

こうした中、悲劇が起きます。3月14日、この日も最大都市ヤンゴンではデモが行われ、カン・ニャー・ヘインさんも医学生の仲間とともにタームエ地区での抗議活動に参加していました。そこに警察が次々と発砲したのです。銃撃がやんだあと、横たわる若い男性の姿がありました。それが、カン・ニャー・ヘインさんでした。

逃げ遅れた無抵抗の女子学生に対し、警察が暴力を加える様子が映されています。カン・ニャー・ヘインさんは横たわったまま動きません。周囲には血が流れ出ているように見えます。近づいてきた警察は、助けようとするそぶりも見せず、思いもよらぬ行動に出ました。

意識のないカン・ニャー・ヘインさんを警察官2人が引きずっていったのです。このとき、すでに息を引き取っていたかどうかはわかっていません。この動画は、瞬く間にSNS上で拡散されていきました。

その頃、父親の元にカン・ニャー・ヘインさんが撃たれたという一報がもたらされました。
その後、父親はこの動画を目にし、息子に何があったのかを知ったのです。

父親
「人を連れて行くという様子ではありませんでした。息子は人間で、動物ではありません。そうでしょう?まるで犬や牛、動物を引っ張っていくような様子でした。親にとってはとてもつらいものです。胸が張り裂けそうでした。」

“貧しい人々へ医療を届けたい” かなわなかった息子の夢

医師を志して大学で学んでいたカン・ニャー・ヘインさん(右端)

カン・ニャー・ヘインさんは幼い頃から動物が大好きな心優しい子どもだったと言います。やがて医師になることを志し、医学部のある大学へと進学しました。学業に打ち込んだカン・ニャー・ヘインさんは、将来の夢について父親にこう語っていました。

父親
「私の息子は賢くて、暴力が嫌いで、とても優しい子でした。ミャンマーは貧しいため、田舎で医師として働くのが夢だったのです。治療費が払えない人たちに対して、無料で医療を届けようとしていました。でも、もう息子の夢がかなうことはありません。」

クーデターをめぐって 父と子の葛藤

クーデター後、仲間とともにデモに参加し、抗議の声を上げるようになったカン・ニャー・ヘインさんを父親は複雑な思いで見つめていました。息子の身を案じて、デモに参加することに反対していたのです。

ミャンマーでは、軍の独裁のただ中にあった1988年、民主化を求める大規模な反政府運動が巻き起こりました。当時、中学生だった父親は、軍が武力によって反政府運動を弾圧し、多くの学生たちが犠牲になったことを鮮明に記憶しています。息子を心配するが故に、抗議活動とは一線を画してほしいと願っていたのです。

しかし、カン・ニャー・ヘインさんは聞き入れることはありませんでした。時には、口論になることもあったと言います。

カン・ニャー・ヘインさん(中央) 両親と弟と
父親
「息子はとても物わかりがいい子でしたが、時には言い返してきました。『お父さんたち大人は何をやっているの?』『自分たちのような若者たちが抗議をしなければ誰がやるの?』『お父さんたちは勇気がない』と。彼らには将来があり、誰かが彼らの心を支配することはできないのです。それは若者たちが何よりも耐えられないことなのです。」

受け入れらない息子の死

3月14日の朝。カン・ニャー・ヘインさんは服を着替えて、居間にやってきました。父親はどこへ行くのか問いかけましたが、答えは返ってきませんでした。

一緒に朝食をとる間に、デモに参加しようとする息子の気持ちに気づいた父親は「デモには行かないでほしい」と伝えました。しかしカン・ニャー・ヘインさんは、ただ黙ってうなずくだけだったと言います。

その後、父親は部屋に戻ったはずの息子がいなくなっていることに気がつきます。家族には知られないように、そっと家を出て行ったのです。父親は、急いで自転車に乗って息子を探し回りました。

結局、見つけることができないまま帰宅した父親のもとへ、息子の友人から急を知らせる1本の電話が入りました。デモのさなかに息子が撃たれたと告げられたのです。

父親は病院を片っ端から訪ねましたが、息子は見つかりません。ようやく、軍が運営する病院に運ばれたことを突き止めました。しかし、病院を訪ねても会わせてもらうことはできませんでした。

医師の説明は「銃で撃たれたことから司法解剖をする必要がある。翌日再び来るように」との一点張り。父親は、息子との対面すら許されなかったことに憤りを感じながらも、引き上げざるを得ませんでした。翌朝、7時半に再び病院を訪ねた父親が息子と対面できたのは午後3時。そこで目にしたのは、変わり果てた息子の姿でした。

カン・ニャー・ヘインさんの葬儀 友人たちは軍への抵抗の意志を示す3本指を掲げた

息子の死から3か月・・・ 父親の思い

カン・ニャー・ヘインさんが亡くなって3か月あまり。ヤンゴンでは一時のようなデモ隊と軍の激しい衝突は影を潜め、一見、人々の暮らしは平静を取り戻したかのように見えます。しかし、軍が支配を強化するミャンマーの政治状況に変わりはなく、多くの人が国の将来に希望を持てずに暮らしているのだと父親は言います。ヤンゴンの寺院で眠る息子のことを忘れる日は1日もありません。

息子が眠る寺院 供え物を欠かすことはない

現地の人権団体AAPPによれば、クーデターからおよそ5か月の6月28日現在、ミャンマー国内で亡くなった人は870人。さらに、5,200人を超える人が拘束されているといいます。

ヤンゴンの街中ではカン・ニャー・ヘインさんの同級生をはじめ、抗議活動に参加していた若者たちの姿はほとんど見かけることはありません。ある者は命を落とし、ある者は弾圧を逃れて身を隠し、国の未来を担う若者たちが夢や希望を語り合うことはできなくなっているのです。

もう息子のように若者の命が奪われることはあってはならない。父親の叫びです。

父親
「犬を殺すように、豚を殺すように、簡単に人の命を奪うのは許されることではありません。簡単に銃の引き金を引き、人の命を奪わないでほしいです。私は息子を失ってしまいました。人々は息子は英雄だと言います。しかし、英雄と呼ばれるより、息子を返して欲しい。息子を愛しています。」

NHKでは連日のニュースを始め、NHKスペシャル『混迷ミャンマー 軍弾圧の闇に迫る』などの特集番組で現地の実態を伝えてきました。私たちは映像や情報の収集を続け、これからもクーデター後のミャンマー情勢について発信していきます。ミャンマーで今、何が起きているのか、下記のリンク先までぜひお寄せください。

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