Event Report

「映像の世紀」シリーズ どう読み解く

司会 伊東敏恵アナウンサー

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伊東 : 水道橋博士さん、「新・映像の世紀」どうご覧になっていますか?

水道橋さん : 旧シリーズから20年たって、なんか僕、スターウォーズの新シリーズが始まるようなね、期待と不安と。

伊東 : 不安もあり。

水道橋さん : 誰がこれを、もう一度つくるんだ、というのがあるじゃないですか。歴史は変わらないわけだから。それを新たに新シリーズというのは、何を掘り起こして、何を描くんだろうかということで注目していまして。ほんとに20年ぶりですから、もう、日本国中見てくれというような気持ちです。

伊東 : ツイッターで「圧倒的なスケール感」「ぜひ教材にして授業で見るべきだ」と発信しようと思ったのはなぜですか?

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水道橋さん : 僕が旧シリーズを見たのは1995年なんです。阪神淡路大震災があり、そしてオウムの事件があり、そしてそのあと初めて見たんです。

水道橋さん : そのとき、これだけテレビの中に死体出てくるのを見て、「俺は現実を切実に見つめてなかったんだ、何も知らなかった」と本当に思ったんですね。震災のあとだっただけに。100年の世紀の「負の歴史」というか、実は「戦争の世紀」だよっていうこと、繁栄だけが語られてきて戦争が100年間続いてきたんだっていうことに対して、目をそらせてきたという思いがあった。

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水道橋さん : そしてその10年後、2004年に再放送を全部見直して、そのときも改めて「忘れていたよ」と思ったんです。あのとき見つめて気がついたことを人はまた忘れる、俺も忘れていたと思って。だからその時にもっと拡散しようと思ったんですね。ブログでも呼びかけて、「ここから目を離してはいけないよ」というのがありました。それからまた10年過ぎましたけども、今回の「新・映像の世紀」は変奏曲であるわけです。

水道橋さん : 基軸は歴史だから同じストーリーが流れているけれども、時代が変わって視点も変わってくるじゃないですか。だから変奏曲をもう一度聞き直さなきゃいけないよっていうことを強く思いました。

伊東 : 瀬地山さんは、前シリーズから番組を見てくださって大学院や大学の授業にも使ってくださっています。

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瀬地山さん : 前作はやっぱり、NHK史上最高のドキュメンタリーだと思います。放送人の意地みたいなのを感じるんですね。すばらしい作品で、私は大学の授業で学生に見せるときに、「一生かかってこれを超えるものをつくれるかどうか考えてみろ」といつも言うています。それぐらい、きちんとつくられている。要は識者のコメントを一切入れずに、映像、映像、映像でつなぐというのは、論文の世界でいうと資料だけで全部語るという、ものすごく難しいやり方なんです。

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瀬地山さん : そこにこだわって、あくまでそれだけで語ろうとする姿勢というのは、ほんとにすごいことだなと。あのつくりによって、ものすごく深い番組になっていると思っていて、それをわかってほしいと思うので、学生さんにも伝えています。そういうことと比較しながら新シリーズも期待して見ています。

伊東 : 「新・映像の世紀」、寺園慎一エグゼクティブ・プロデューサー。これまでの反響はどうですか?

寺園 : NHKスペシャルのような、重厚なスタイルの番組は、今の時代たくさんの人たちに見て頂くのが難しくなってきていますが、思った以上にたくさんご覧いただけているようです。それは、やっぱり20年前のシリーズがどんなふうに生まれ変わっているんだろうかということで、たくさんの人が見て下さっているからだと思いますし、いろいろな反響をいただきます。一番うれしかったのが、ある方が、子供さん、多分6歳ぐらいの女の子に、第3集の「時代は独裁者を求めた」という第二次世界大戦の回を見せたんだそうです。するとその6歳のお子さんが「政治家になりたい」と言ったそうなんです。それは「私が政治家になって、戦争を止めなければならない」という気持ちになったからというんです。すごく驚いて、とってもうれしかったです。

番組トレーラー

「新・映像の世紀」 そのねらい

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伊東 : 寺園さん、前シリーズとの違い、「新・映像の世紀」の特徴、ねらいは?

寺園 : この資料映像だけでつくっていくというフォーマットで、2015年、2016年に放送する価値や意味がどこにあるのかということを考えてきました。そしてたどり着いたのが、手触りのある人間ドラマというか、歴史の表舞台の裏側で活躍した、動いていた人たちに迫りたいなというのが1つです。

寺園 : もう1つは、今の私たちが住んでいる世界と歴史というのがどういうふうにつながっているのか、連鎖していっているのかということを大切にしたいと思っていました。例えばアラビアのロレンス。彼の置かれた立場上、もちろん仕方のないところもあったのかもしれないけれども、裏切りというのが今の中東の混乱をつくり出している1つだと思うんです。そういう今の世界と歴史が、どのようにつながっているのかということを出していきたい。歴史を学ぶ意義というのは、今、どうしてこうなんだろうかということですよね。そこに力を注いで、ちゃんと調べて番組つくっていければなと思っています。

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伊東 : そのねらいは届いていますか。

水道橋さん : 旧作は11話で描いていたのを、今回は6話になったので、フォーカスを絞るというか、また同じことをやるのではない、ということで、今回は歴史の中に翻弄された人間像というのに迫ってくる。旧シリーズでは事象を描いていますが、そうではなく、個人に深くいこうとしているなあと思いますね。そのフォーカスが何人かに当たっていると思います。

瀬地山さん : 前作が巨人である分だけに、どう差異化して、新しいものを出していくか、難しいと思うんですよね。相当苦労されただろうなという気がしました。前作に「おいしいところ」をとられていますからね。それを乗り越えて、どうやって新しいものを出していくかというときに、個人にフォーカスを当てる、ストーリー性を持たせる、そうして切り抜けようとしてきたというのは伝わってくる。それでいて前作よりも深く描き出せている部分がいくつも見られるところがすごく印象的に思っています。

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伊東 : 前シリーズが巨人だから難しいだろうという…。

寺園 : そうなんです、難しいです。20年前に旧シリーズを作ったボス、僕が大変尊敬しているプロデューサーですが、瀬地山さんがおっしゃったように、資料映像、アーカイブス映像だけで、ほかにインタビューとかを入れないというこのフォーマットを作りました。これはものすごい発明なんです。彼から聞くところによると、実はディレクターはそれぞれ、ロケやインタビュー取材をたくさんやっていたそうなんです。

寺園 : それをある時点で、全部捨てたというんです。その試行錯誤の末に、アーカイブス映像だけで全部やり切る、「時代の空気」感は、そのときに書かれた朗読で表現していく、というすごく思い切った手法をとった。イメージショットに頼らず、本当の映像だけでつくる、そして映像がないものはないとして紹介するとした。それが見事にリアリティ持った。その割り切りというか、その覚悟の仕方というのが同じ制作者としてみていてもすごいです。

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水道橋さん : 3つの決め事っていうのがあって、世界史に残る有名な出来事でも、映像で描けないものは落とす。新たな証言者へのインタビューは行わない、全て資料映像に語らせる。完成した作品ではなくできる限り映像の一次資料に語らせる、という3つの方針というのがあるんですよね。

瀬地山さん : だから色あせないんですよね。20年前の放送なんですけれども、全然色あせないのは、そのせいですね、やっぱり。
時代によって、識者の発言は受け止められ方が変わることがある。

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瀬地山さん : この番組は識者に語らせなかったために、番組として残るんですよね。20年前のものなのに全然古びないのはそのためなんですよ。この「新・映像の世紀」は、ぜひ録画して、ご覧になるとよいと思うんです。皆さん、お子さんたちが大きくなって見ても、多分色あせてないんです。一級の資料として残っている。恐らく22世紀になっても、この番組は資料性を持つだろうと思うんです。そういう、すごく深みのある、奥深さを持った仕事ができているというのはすごいことだなと思いますね。

インターネット時代の「新・映像の世紀」

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伊東 : 旧作と今シリーズの大きな違いの1つが、放送だけではなくて、インターネットで映像を見ること。こうしたウェブサイトを立ち上げたねらいは?

寺園 : 番組を73分や49分でやっていますが、せっかくたくさん、恐らく放送時間の数十倍を世界から集めて、それをもっと使いたいのに放送時間の制約の中で断腸の思いで編集しています。

寺園 : でも貴重な映像を私たちだけで独占するのはもったいないということで、ぜひ、いろいろな権利をクリアした上で、たくさんの人たちにできるだけ未放送の映像も見て欲しいなと。それでこういう形にしています。

瀬地山さん : 私もいつも授業でも、この1分をつくるために、何十時間むだなリールを見たか想像できるかということは伝えているんですが、その一端だけでも見られたら、意味があると思いますよ。

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伊東 : 旧シリーズと比べて、新シリーズの映像の量の多さは、比較できますか?

寺園 : 海外のアーカイブの映像をたくさん使っていますけど、使用権を得るために交渉が必要で、費用もかなりかかります。それをクリアしているプロジェクトチームの1人から。

池上 : 前作の、大体、10倍ぐらいの量があります。

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伊東 : 第11集ある前作の10倍ですか?

池上 : 前作から20年たつ間に、映像がすごく検索しやすくなり、貴重な映像もどんどん公開されています。アーカイブに直接足を運ばなくても、ネットでいろいろ検索できます。データベースが充実してきたので、いろんな情報をしらみつぶしに探して、映像をかき集めています。ですから使ってない映像が山ほどありまして、少しでもこういったサイトでご紹介できたらと。でもウェブサイトに掲載しているのは、まだ一部です。

「映像の世紀」の未来

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伊東 : 前回の放送が20年前で、いわゆる「映像」が発明されてちょうど100年でした。それから20年たった今、「新・映像の世紀」としてお届けしています。これから、映像の存在、力は、どのようになっていくと思いますか?

水道橋さん : 今は個人個人がカメラマンになっていて、しかもYouTubeに上げられる。監視カメラもある。だから映像の量は莫大になっている。「世紀の瞬間」が常に映像で記録されるようになってきた。

水道橋さん : でも映像が大量になればなるほど、大量の映像をどう編さんするか、事件が起こったときに客観的にどう伝えていくかを考えると、厳しい時代になったのではないか。例えば、いろいろな映像が手に入るようになったので、映像による「証拠」で、「中立性」を保とうとすることは、昔に比べて難しくなっていると思う。しかもインターネットで世界中で見えてしまうという時代なので、そこからどういう歴史を編んでいくんだろうかと思います。

瀬地山さん : 多分、未来の教科書では、タブレットで、「非暴力不服従運動」をクリックしたらその様子が流れ、あのヒトラーの演説をクリックしたらその様子が流れ、というふうになっていくんだろうと思うんです。そちららのほうが多分意味があるはず。
「中立性」という問題でいうと、「映像の世紀」は、前作から新作まで、誰が、どこのカメラがどの立場から撮っているかということを説明している。

瀬地山さん : 映像というのは「事実」ですが、「真実」であるとは限りません。あるフレームを切ったときに、意図的に映さなくしているものがあって、その「映さないもの」に意図があるんですよね。だから、映っている部分だけをうのみに信じてもだめで、このカメラは何を映さなかったのかということが読み解けないと本当の意味では、その「事実」と「真実」の違いを読み解けないと思うんです。それを映像が重なり合っていく中から見つけていけるのか、というとすごく難しいことですよね。

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伊東 : 映像は、それこそ6歳の子供が「政治家になりたい」という感想を抱いたように、見れば伝わるものがある。でも、見る側もさらに問われていくような時代になるということですね?

水道橋さん : インターネットで映像を共有できるようになって、しかも個々人が発信できる。例えば20年前に比べてNHKが発信しているものに対して、意見を持つ人たちもすごく増えている。映像の編集についても、すごくたくさん、いろいろな意見が出てきて、作る側がおびえてしまうこともでてくると思うんです。

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水道橋さん : だからこそ、今の時代に敢えてこの新シリーズを始めることに意義がある。また10年たって、今度は100周年でまた新しいものを作って欲しい。そこはひるまないで欲しいなと思いますよね。

瀬地山さん : 「21世紀こそ真の映像の世紀」という言葉が出てきますが、誰でもどこからでも撮影できる時代だからこそ、逆に何が真なのかがわからなくなると思うんですね。事実を語って真実を曲げるということができるようになる。さらにやっかいなことには、今や映像をデジタルで加工できてしまう。そうすると、我々は、目の前の映像を見ながら、これがどういう角度で誰がつくり、どのような手が加えられているのかということまで含めて見なきゃいけなくなる。

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瀬地山さん : 「21世紀こそ真の映像の世紀」なのですが、その意味では「真」に届くまでの距離がものすごく長くなったような、そんなちょっと呆然とするような感じもしますね。

伊東 : 映像を生み出す側として、どう受け止めますか?

寺園 : 番組の中で私たち制作者の個人的見解、歴史観を語ることには、全く意味がないと思っています。表現をするべきことは、ファクトです。歴史上のファクトとファクトがどう結びついているのかを映像や文献を徹底的に調べるしかない。

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寺園 : 映像を通じて私たちが住む世界というのはこうやってできているということを感じてもらって、私たちはこれからどこへ向かえばいいのかということを、みんなで考えるきっかけにしていただければ一番いいなと思います。

Q&A

SNSで寄せられた質問にお答えしました。

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A : 多くの方からDVD化、ブルーレイ化のお問い合わせをいただいており、検討中です。NHKオンデマンドでは、新旧、両方、配信しております。

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A : 金額は、申し上げられませんが、予算の中で、いかに良いコストパフォーマンスを達成していくかということが大事だと思っています。そのため権利料のディスカウント交渉を一生懸命やっています。10秒のカットであっても、これがあるとないとでは番組のグレードが全く違うというカットもあります。それがあまりにも高い権利料であれば、あきらめるということはあります。アラビアのロレンスにしても、ドイツのフリッツ・ハーバー博士にしても、映像が本当に残ってないんです。しかしあのストーリーはものすごく豊かに広がっている。制作者としては、それをどうやってしのぐのか、泣く泣くあきらめるのか、ということを一番考えるところです。

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A : 鋭いご指摘。その質問の意図は、第1集は少々演出過多ではないかということなのかもしれません。もちろん私たちは、視聴者のみなさんの反響を見ながら、みなさんが一番望んでいるものを臨機応変に出していきたいということが基本です。
けれども、ある矜持はあります。20年前の番組のコピーを作ってもしょうがないですよね。「いかに20年前と違うものを作っていくのか」という試行錯誤はしています。第一次世界大戦の第1集は、それ以降に比べて絶対的に映像の量が一番少ない時代ですから、そのために工夫や演出のような部分は多くなっています。「こうした感じで大丈夫かな…」と思いながらやっていますが、20年前のファンのみなさんからしたら、ちょっと演出が過ぎるのではないかという意見もいただいています。
かといって、それを見てものすごく反省して第2集以降をつくったというわけでもないんです。各回のテーマごとに最もふさわしい編集を心がけています。皆さんの意見も聞きつつ、省みつつ、みなさんの「こういう番組が見たい」という声を受けとめながら、試行錯誤しています。

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A : 山田孝之さんは、回を重ねるたびに、圧倒的にうまくなっています。何で山田さんかというかというと、映画「バクマン」という神木隆之介君と佐藤健君が出ている映画を見たのですが、これに漫画雑誌の編集者役で山田孝之さんが出ていたんです。映画のオープニングで、電話がチリリリンとなって、「はい、もしもし」と寝ぼけまなこで発する山田君の声が、映画の第一声なんです。その声が、すごくよく聞こえて、色っぽかったんですね。
山田さんは、あまりナレーションの経験なかったんですけれども、すごく滑舌もよくて、耳に届いて、心にも届く感じがあって、その映画見ながら、「山田孝之さんは声がいいな」と思っていました。それですぐにお願いしました。
NHKの伊東さんに全部読んでもらえば簡単なんですが、見ている側も作っている側も、わくわくするというか、そんな感じが作るときには大事ですから。

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伊東 : 山田さんの収録に私も時間の許す限り立ち会わせていただいているんですが、ナレーションを収録するブースの中を暗くして、台本と向き合われたりとか、すごくこう体調を整えて、とっても実直に番組に向き合ってくださっている、まさにその姿勢が、あの厚みのある声につながっていると思います。

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A : NHKにとって今大事なことの一つは、いかに番組を若い人たちに見てもらうかということです。「Nスペ」というのは重厚な番組で、「新・映像の世紀」というのは、その中でも相当重厚感があります。気軽に見られる番組ではない。若者はあまりみてくれないのではないかとさえ思います。ではどういうものを作れば若い人たちが見てくれるだろうかと考えるんですが、答えは出ていません。でも見てもらえたらおもしろく感じてもらえるんじゃないかな、とも思うんです。だからいまは自分たちが得意なこと、骨太なドキュメンタリーということになりますが、そこの能力を伸ばしていくことの先にしか答えはないんじゃないかな、と思いながらやっています。