Director's Cut

第5集 若者の反乱が世界に連鎖した

チーフ・ディレクター 春日 真人

宇宙中継 アワー・ワールド(われらの世界)

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1960年代末、若者の反乱が世界中に“連鎖”した大きな要因といわれる、テレビ。その象徴が1967年6月末(日本時間6月26日早朝3:55~6:30)、世界多元中継の先駆けとなったこの生中継番組です。イギリスBBCがキーステーションとなり、世界14か国が制作参加、24か国で放送されました。

生放送時、MC部分は各国で司会者を立て、独自の演出を行っていましたが、「新・映像の世紀」ではBBCが制作・放送したオープニングMCを採用しました。

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リレー中継では、ご紹介したオリビア・ハッセーの映画撮影やビートルズのレコーディング以外にも、世界的作曲家・指揮者レナード・バーンスタインのピアノ演奏やスコットランドの若者のゴーゴーダンスなど、3時間足らずの放送に世界の文化・風俗が贅沢に織り込まれ、今見てもワクワクするような番組に仕上がっています。

日本からはNHKが参加。札幌の北海道大学病院での新生児の出産の模様、さらに高松のエビ養殖場も紹介しましたが、こうした話題は、当時「人口爆発」や「食糧不足」が世界の緊急課題と考えられていたことの表れだそうです。北海道の病院で生まれたあの赤ちゃん、今年49歳になるはずですが、今どうしているのだろう。

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宇宙中継「OUR WORLD」

チェ・ゲバラの世界一有名な写真

1960年代末の、世界の若者たちのデモ映像を見ると、たとえ国が違ってもみな「ホ、ホ、ホーチミン!」という同じかけ声を叫び、チェ・ゲバラの肖像画を同じように掲げています。

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肖像画の元となった写真(タイトル「英雄的ゲリラ」)は1960年3月、ハバナ港で起きた爆発事件の追悼集会に参加したチェ・ゲバラの表情を、写真家アルベルト・コルダが捉えたもの。キューバは、この事件がアメリカCIAの陰謀だと非難しており、この写真は、キューバとアメリカの激しい対立の産物とも言えます。コルダは「ゲバラの思い出を伝えたいと望む人や世界の平和目的で複製される限り、写真からの利益はいらない」として著作権を主張しなかったため「20世紀、最も数多く複製された写真」となりました。

アンディ・ウォーホルほか多くのアーティストが作品化、Tシャツ等のデザインにも使われ、ハバナの革命広場では巨大な壁画となって人々を見下ろしています。ちなみに、2016年3月、アメリカ大統領として88年ぶりにキューバの地を踏んだバラク・オバマ大統領は、このゲバラの巨大壁画を見に訪れました。

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キューバ革命 若き革命家たち

ルディ・ドゥチュケと“1968世代”

1960年代のヨーロッパ学生運動の映像を見ていると、繰り返し登場する“キーパーソン”が何人かいます。その一人が、番組でベトナム反戦の演説を行っている西ドイツのルディ・ドゥチュケ。聴衆の心をわし掴みにする名演説で知られ、若者たちのカリスマ的存在でしたが、大人たちからは「演説の名手ほど危険な人間はいない」「ナチス親衛隊の再来」と恐れられました。

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壁の東側・社会主義圏へも精力的に出かけ、若者の連帯を訴えていましたが、1968年3月、チェコスロバキアでの講演からドイツに戻った直後に何者かに銃撃され、瀕死の重傷を負います。この悲劇が、彼と親交のあったフランス学生運動のリーダー、ダニエル・コーン・ベンディット(「赤毛のダニー」の愛称で親しまれた)の心に火をつけ、パリ5月革命の発端となるのです。

赤毛のダニーは70年代、ドゥチュケの後を引き継いでドイツ学生運動を率いたヨシュカ・フィッシャーと協力して市民運動に参加。環境保護や原発反対、女性運動など従来の政治家が敬遠してきた分野に力を入れて、市民政党の先駆けとされる「緑の党」を立ち上げます。その後フィッシャーはドイツ副首相に、ダニーは欧州緑の党の議長にまでのぼりつめ「1968世代」のパワーの象徴と言われています。60年代の反乱は、その後の世界に多くのものを残したと実感します。

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世界に広がる反戦運動

デビッド・ボウイの奇跡

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ロック・スター、デビッド・ボウイ(享年69)ががんとの闘病の末、亡くなったのは今年(2016年)1月10日。その直後にドイツ外務省が、こんなツイートを発表しました。“Good-bye, David Bowie. You are now among #Heroes. Thank you for helping to bring down the #wall.” (さよなら、デヴッド・ボウイ。あなたは我々のヒーローズの一人です。壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう。)

ボウイが1987年に西ベルリン(当時)でコンサートを開き、ヒット曲「ヒーローズ」を歌ったことへの感謝を込めたメッセージでした。なぜドイツ政府は異例ともいえる感謝のメッセージを発したのか。このニュースをヒントに番組の映像探索チームが見つけ出してくれたのが、87年のコンサート当日、東ベルリン側で撮影された「隠し撮り映像」でした。西ドイツのジャーナリストが、東ベルリン市民にカメラを渡して撮影したものです。東ドイツ秘密警察・シュタージが監視の目を光らせる中、現状からの脱出を訴える若者の叫びに鳥肌が立ちました。

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ボウイ自身、1976年から数年間、ベルリンに住み、ベルリンの壁の傍らで落ち合う恋人たちを見て作った曲「ヒーローズ」に強い思い入れを持っていました。後に87年のコンサートを振り返って「若者たちが壁に分断されていることを実感し、あれほどやり切れなさが込み上げてきたことはない」と語っています。

デビッド・ボウイの奇跡

ハベルを大統領にした学生運動

1989年、社会主義圏で連鎖的に起きた民主化運動の一つ、チェコスロバキアの「ビロード革命」。この革命で新大統領に選ばれた劇作家バーツラフ・ハベルが1968年、「プラハ侵攻」の混乱の際にラジオ放送で民衆を励ましたことはよく知られていました。

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しかし今回、映像探索チームは、貴重なハベル声明の「ラジオ音源」を発掘。ストーリーに大きな説得力を与えてくれました。大統領になった翌年、ハベルはアメリカ・コロンビア大学で講演し「1960年代末のあの時代の空気は、私に大きな影響を与えた」と語って聴衆の心を打ちます。

番組でご紹介したこのエピソードの裏には、実はもうひとつ、秘話があります。プラハ侵攻に先立つこと5カ月、1968年3月に自作の劇の公演のため偶然ニューヨークを訪れていたハベルは、コロンビア大学に立ち寄り「学生の反乱」を目撃しました。若者たちの奔放さ、自由な精神に衝撃を受け、その精神を祖国に持ち帰ったのです。ハベル大統領の講演には、若き日、アメリカで体験した“若者の反乱”への感謝が込められていたのです。

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劇作家ハベル 地下ラジオでの抵抗
リアルタイムで目撃された戦争