Director's Cut

第3集 時代は独裁者を求めた

チーフ・プロデューサー 伊川 義和

独裁者と愛人エヴァ

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  この映像は、アメリカ公文書館から入手した4時間に及ぶエヴァ・ブラウンのプライベートフィルムの一部です。プロパガンダ映画では見せないヒトラーの柔和な表情や、エヴァの健康的で活発な姿が印象的です。

  ヒトラーがエヴァ・ブラウンと出会ったのは、ヒトラーの専属カメラマンであるハインリヒ・ホフマンの写真館でした。エヴァは、このスタジオで働いていたところを、23歳年上のヒトラーに見初められます。エヴァは写真館で働いていただけに、カメラが趣味でした。自分でもカメラを回して、このプライベートフィルムを撮影しました。ドイツ敗戦時、エヴァがヒトラーと過ごしたドイツ・バイエルン州の山荘はアメリカ軍によって占領され、そこに残されていたエヴァの遺品はアメリカに送られます。

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しかし、その中にプライベートフィルムがあることを、この時は誰も気付きませんでした。戦後、あるドイツ人研究者が、エヴァがムービーカメラを構えている1枚の写真を見て、プライベートフィルムがどこかにあるはずだと考えます。そして1972年の春に、アメリカ公文書館に保管されているエヴァの遺品の中から、このプライベートフィルムが発見されました。

独裁者と愛人エヴァ

日本とドイツの「新しき土」

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  この映画の映像は、ドイツの連邦アーカイブから入手しました。日独合作映画「新しき土」は、編集が異なる日本版とドイツ版があります。この映像はドイツ版で、正式タイトルは「Die Tochter des Samurai(侍の娘)」です。監督は、日本版が伊丹万作(映画監督・伊丹十三の父)、ドイツ版がアーノルド・ファンクです。

日本版のタイトルである「新しき土」とは満州のことを意味し、日本の満州進出を喧伝する内容となっています。ベルリンでヒトラーとともに封切りに立ち会った宣伝大臣ゲッベルスは日記の中で、「我慢できないほど長い」と不満を述べています。

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この映画が初主演作となった原節子は、映画の宣伝のためにドイツに招待され、ドイツ各地の劇場で舞台挨拶を行いました。ここで使われているゲッベルスとの写真は、ベルリンの日本大使館で行われたパーティーで撮影されたものです。映画とは違う妖艶な表情がとても印象的です。

日本とドイツの「新しき土」

独裁者  幻のラストシーン

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映画「独裁者」のメイキングフィルムは、1999年にスイス・レマン湖の側に建つチャップリン邸の地下で発見されました。このフィルムの価値を高めたのは、映画本編が白黒なのに対して、メイキングはカラーで撮影されていたことです。その30分に及ぶカラーフィルムの中で最も貴重なのが、兵士たちが踊る「幻のラストシーン」です。

最初はチャップリン家のエージェントから映像の使用を断られたのですが、チャップリンのご遺族に番組の趣旨を手紙に書いて送り、さらにフランス在住のコーディネーターに交渉をしてもらって番組での使用を認めていただきました。

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  番組では時間の都合で描けなかったエピソードをひとつご紹介します。ラストの有名な演説シーンの撮影がハリウッドで開始されたのは、1940年6月24日。それは、ヒトラーがパリに入城した翌日でした。チャップリンは1000枚以上も原稿を書き直して演説に挑みました。主人公にプロパガンダを語らせるこの演説によって映画の興行収入は100万ドル減るとまで言われましたが、チャップリンは500万ドル減っても構わないと言いました。そして、映画は空前の大ヒットを記録します。

独裁者 幻のラストシーン

アニメ映画でもプロパガンダ

ドイツが作ったプロパガンダ映画の最高傑作がレニ・リーフェンシュタール監督の「意志の勝利」だとすれば、アメリカが作ったプロパガンダ映画の最高傑作はこのウォルト・ディズニー作品「総統の顔」ではないでしょうか。アメリカで1943年1月に公開され、アカデミー賞短編アニメ賞を受賞しました。主人公のドナルドダックは、「ナチランド(狂気の国)」という独裁国家に暮らしています。

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「ナチ」は狂気(nuts)とナチ党(nazi)をかけたものだと言われています。映画だけでなく主題歌も大ヒットして、ミリオンセラーを記録しました。

歌はドイツ語なまりの英語で、ドイツを嘲笑する内容となっています。戦後アメリカでは、この映画は半世紀以上に渡って公開されることのない幻の作品となりました。日本では一度も公開されたことがない貴重な映画です。

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アニメ映画でもプロパガンダ

あなたたちは知っていた

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これは、第3集の編集のために集めた2000クリップ以上の映像の中で、最も強烈な印象を受けた映像です。ドイツのあるアーカイブが所蔵している第二次世界大戦時のカラーフィルムをすべて確認していた中で、この映像を見つけました。

ドイツの降伏直前に、ブーヘンヴァルト強制収容所はアメリカ軍によって解放されました。その惨状を目の当たりにした連合国軍最高司令官アイゼンハワーは、まずアメリカの報道関係者を呼び寄せました。さらにアメリカ軍は、地元のドイツ人に強制収容所を見学させることを決めます。その数は2000人でした。この映像は、その時に撮影されたものです。

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この時、アメリカ人の女性カメラマンのマーガレット・バーク=ホワイトもいました。雑誌「LIFE」創刊号の表紙を飾ったことで知られる敏腕カメラマンです。バーク=ホワイトが撮影したブーヘンヴァルト強制収容所の写真も「LIFE」誌に掲載されました。彼女は写真だけでなく、その時の収容者たちの声を手記に残しました。それが、「あなたたちは知っていた」です。なお、この時にブーヘンヴァルト強制収容所から解放されたユダヤ人の中に、後にノーベル平和賞を受賞する作家エリ・ヴィーゼルがいます。

あなたたちは知っていた