NHKスペシャル

“終戦” 知られざる7日間

8月15日の玉音放送で終結したと思われてきた太平洋戦争。しかしその後も各地の部隊が特攻作戦を続け、米軍上陸に備えてゲリラ戦の準備も行われるなど、本土決戦への意欲を高めていた。
一方、日本進駐を進めようとしていた米軍は、日本の部隊が戦闘をやめない事態を想定。武力で日本上陸を行うことを計画していた。再び戦闘が起きれば本土が戦場となり、私たちが知る戦後と違う道を歩む可能性もあったのだ。当時、政府・軍中央の統制は弱まり、空白期間とも言える状況に陥っていた。この危機を乗り越える原動力となったのは、「終戦の詔勅」に向き合い、部下にどう行動すべきかを説いた前線の名も無き将校たちだった。
玉音放送から戦闘が停止するまでの“緊迫の7日間”を追い、今に至る戦後へと踏み出した日本人の姿を見つめる。
ナビゲーター 二宮和也

放送を終えて

学生時代に旧日本海軍の研究をしていたこともあり、高知県に展開していた海軍の特攻部隊「震洋」と海軍中枢という2つの分野の取材を担当しました。
防衛研究所等で当時の公文書や軍人のメモを見る中で、軍の中枢は戦闘配置にある部隊に武器を置かせる方策を事前に検討した形跡がほとんどないことが分かりました。
実際に停戦命令を下す軍の中枢の対応は後手にまわります。ある海軍部隊の司令長官は8月21日以降になって管内の特攻部隊を訪れ戦争終結は天皇の決断であることを伝えました。
もしも、ポツダム宣言を受諾する方針が決められた8月10日頃から軍の中枢が降伏後の対応を検討していればよりスムーズに戦闘停止を実現することができたのではないかとも思えました。
この時期の軍部を研究しているある研究者は、こうした軍中枢の対応について本来なすべき行動をしない「不作為」と評価しています。この「不作為」が終戦直後の混乱を招きました。その混乱を乗り越える要因の一つが、現場の指揮官の決断でした。
予想しない大きな混乱の中で自らの判断で適切な行動を取ることができるのか、今に生きる私たちに問いかけているように思います。

(高知局放送部(現:札幌局放送部)記者 森山睦雄)