NHKスペシャル

調査報告 アスベスト なぜ放置されたのか

労働災害の枠を越えて住民にまで広がっていることが明らかになったアスベストによる健康被害。日本では、1年間に3千人近い人たちが命を落とし、今後ますます増えると予測されている。

アスベストの発がん性は遅くとも1972年には、世界的に知られていた。にも関わらず、なぜ使用をやめることができなかったのか。

当時の労働省が発がん性物質として労働現場の安全衛生対策を行った1975年前後、アメリカの研究所で学んだ二人の研究者が、工場周辺の対策も合わせて行うよう指摘していた。しかし、国は1989年まで規制に踏み切らなかった。国際会議の場でアスベストの使用が議論された1986年には、欧米先進国は既にアスベストの使用量を急激に減らしていたが、日本政府は管理使用の方針を貫き世界第二位のアスベスト使用国になった。

75年と86年の国と業界の対応に共通するのは、将来多数の被害者が出る危険性を認識していながら、健康や環境より豊かさや便利さを優先させ、問題を先送りにしてきた構図だ。国や業界は、どのような情報に基づきどう判断してきたのか。アメリカで見つかった文書や日米の関係者の証言を通して、日本で警告が見過ごされ続けてきた構図を検証していく。