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小手伸也さん 大河ドラマ どうする家康 ゆかりの小田原を訪問

家康・信康に思いをはせて
  • 2023年10月7日

大河ドラマ「どうする家康」。第37回は、神奈川・小田原が舞台に。家康の家臣団で、後に小田原城の城主となる、大久保忠世を演じる小手伸也さんがゆかりの地を訪ねました。

“「どうする家康」一の色男”が城主となった小田原城

小手さん

「どうする家康」一の色男、大久保忠世こと小手伸也です。小田原城に来ております。たいこう秀吉のむちゃぶりで、不本意ながら、わが殿・家康公と共に小田原攻めに参戦をいたしまして、手に入れたお城です。

大久保忠世の肖像画  所蔵 小田原城天守閣

5代にわたる北条氏が関東支配の拠点とした小田原城。秀吉による小田原攻めで北条氏が滅亡した後、この城を任されたのが家康の家臣団の1人、大久保忠世でした。

秀吉の“一夜城”が すぐ目の前に!

小田原城の天守閣から一夜城の方向
小手さん

秀吉って人は、この小田原城の目と鼻の先にいきなり一晩でお城を建てちゃって、北条の軍勢を絶望のふちに陥れるという“恐ろしい作戦”を思いついちゃったんですよね。

秀吉は、小田原城の近くに城を建て、出来上がったところで周辺の木々を一斉に伐採。まるで一夜にして現れたかのような”一夜城”で北条氏を驚かせたそうです。

一夜城が出現したのは ここ!
小手さん

ちょうどいちばん手前の鉄塔の部分が、一夜城だったわけですね。思いのほか近いですね。北条としては、かなり厳しいと思ったんでしょうね。

“戦利品の名刀を手土産に?!”

相州住康春作  所蔵 小田原城天守閣

秀吉の一夜城を筆頭に、家康も大久保忠世も、小田原攻めのために、それぞれ陣馬を建造しました。
大久保忠世の陣馬の出来栄えは、秀吉にも賞賛されるほど立派だったと伝えられています。陣馬建設のために土地を借りた網一色村の名主に、感謝のしるしとして授けたと伝えられている、1ふりの刀があります。天守閣の展示では、ふだんは一般公開されていないお宝ですが、特別に見せていただきました。

天守閣の学芸員 岡潔さんの解説では...
小手さん

いいですか、おお、ずしんときますね。

岡さん

刀の作者、康春って言うんですけれど、小田原北条三代の氏康の“康”をもらったという名工なんですね。小田原合戦の後にですね、もしかすると戦利品という形で忠世の手に渡ったのかもしれないかなというものですね。

小手さん

へぇ、なるほどね。忠世がぶんどった戦利品を“まぁ、手土産にどうぞ”的な。”これ取ってきたからあげるよ”みたいな。

岡さん

そうですね、まぁ、せっかく小田原ゆかりのいい刀ではありますのでね、地元の人に残したというのも言えるかもしれないですけれどもね。

小手さん

いい刀は、いい刀なんですね。

岡さん

そうですね。

大久保忠世に 羽が生えている?!

大久保忠世の肖像画 羽が生えている?! 所蔵 小田原城天守閣

いつもは展示されていない秘蔵のお宝が、ほかにもありました。大久保忠世の肖像画や、馬に
乗って戦う姿を描いたものも見せてもらいました。

”衝撃!羽が生えている?!"

初めて拝見したときに衝撃的だったんです。”羽が生えている?!”。

岡さん

戦場では目立たないと、いけないですよね。

小手さん

目立たないと。

岡さん

家臣のためにも戦場で目立って恩賞を勝ち取ってあげないといけませんから。忠世の場合はやっぱり“美学”があって、こういうスタイルになったのかなっていうふうには思いますけどね。武功派っていうイメージもあるかもしれませんけど、そういう華やかな一面もあったのかな、というふうに思いますけどもね。

小手さん

なんか実直一辺倒じゃない感じが、やっぱり人間的でおもしろいですよね。自身の“美意識”に忠実である、ダンディズムみたいなものが、彼にとっての“色男”っていうことなのかな、と思いながら演じましたね。

今回、見せていただいた忠世ゆかりのこの品々、特別に天守閣にて2024年1月まで展示されることになりました。

家康・信康に思いをはせて

小手さんは、このあと、ゆかりの土地を訪ねました。ドラマでも演じられた、あの印象的な出来事が、その後の忠世の人生に深く影響を与えていたことが分かりました。

大久保忠世が建立した 萬松院

それは、徳川家康の息子、松平信康の自害です。大久保忠世がかつての自分の城、二俣城に信康をかくまったときに悲劇は起こりました。武田との内通を疑われた信康は、徳川家の行く末を思い、みずから腹を切りました。自分の城の中で信康を死なせてしまったことを一生悔やみ続けた忠世は、信康を供養するために、萬松院を建立しました。

萬松院 住職 安藤道隆さんと
安藤さん

忠世公はですね、このお寺を建てて2年後に亡くなりました。

左側が大久保忠世の位はい 右側が信康の位はい
安藤さん

信康公のお位はいは、ふだんは本尊様の右側にご安置しております。そして左側が大久保忠世公のお位はいとなってます。

小手さん

おぉ

安藤さん

信康公が自害された日も9月15日、忠世公がこの世を去りましたのも9月15日。

小手さん

そうなんですか、同じ日に!

安藤さん

大久保忠世の気持ちがですね、一生涯ずっと続きまして、その特別な思いが同日のご命日というご縁を引き寄せたのではないでしょうか。

小手さん

演じていて、信康自害のシーンは、すごく心に残っているんです。僕が劇中で感じてた思いと、もうなんか“同じだな”という。不遜な言い方をてしまいますけど“答え合わせ”ができたような気がして、なんかすごく感慨深いですね。

忠世の魂が宿る場所はほかにも。こちらは大久寺。忠世が建てた大久保家の菩提寺です。

大久保家の菩提寺 大久寺

副住職の小林さんとお会いするのは、実は2度目。

ドラマ収録の前に 副住職の小林正行さん家族と

小手さんが大久保忠世役に決まったときに、小林さんがSNSで“小田原に来てくれないかなぁ”と投稿。それを目にした小手さんが、お墓参りにうかがったのでした。

大久保忠世の墓

忠世と、その家族の墓。息子たちに囲まれて、真ん中で忠世が眠っています。

忠世は死後、「了源院」という戒名を与えられました。

小林さん

完全に個人的な思いでありますけども、“了”という字が“悟る”という意味を持つ字でもありまして。“源を悟る方”という意味でつけられたのではないかと、私個人的には思っております。

小手さん

忠世公にとっての原点と申しますか“源”というのは、やはり家康公である、殿であったと。死ぬまで殿に忠義を尽くして、この小田原を商いも盛んで、のちのち宿場町になっていく、そういう平和な街づくりっていうものに関して殿と同じ志で、頑張ったんだろうな。

ドラマ収録が終わって再び小林さんご家族と

忠義と優しさの武将、大久保忠世の心が息づく小田原の町でした。

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