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川崎出身 友風関 大ケガを乗り越え いよいよ幕内復帰へ

  • 2023年10月2日

横浜局発の全国放送のラジオ番組「はま☆キラ!」。
大相撲・川崎市出身力士の友風関にゲストにお越し頂きました。 力士生命を脅かすほどの右足の大けがから4年。 来場所いよいよ幕内復帰が濃厚となりました!
これまでの道のり、支えてくれた人たち、今後の目標などを伺いました。

アナウンサー小郷知子

横浜局に関取登場!

184センチ182キロという大きな体! 簡単に私がすっぽり隠れてしまうほどでした。 
生まれて3か月で10キロ、5歳のころには50キロに達していたという小さいころから力士向きの体だったんですね。

食べるのが大好きで、苦に感じたことは一度もありません。その点では天職ですね(笑)

秋場所の結果は・・・

友風関は二所ノ関部屋に所属している十両3枚目の28歳。 
十両に復帰して4場所目となる秋場所の結果は、11勝4敗という好成績を収めました。
十両では4場所連続の勝ち越し、さらに先場所に続いて二桁勝利。
十両上位での二桁勝利で、来場所で幕内復帰が確定的になりました。

先場所よりも良い相撲が目立って、お客様に拍手を頂くことが多かったので、先場所の10勝より今場所の11勝の方がすごくためにもなりました。
 強い相手にも良い相撲が取れるということが一つの自信につながったと思います。 やっとここまでこられたという感じがありますけど、まだまだケガする前の位置には遠いので、ここからしっかり稽古を積んでまた上を1つ1つ目指していくという感じです。

これまでの歩み

▼川崎市の向の岡工業高校で本格的に相撲を始める。 
▼日本体育大学では全日本大学選抜宇和島大会優勝を果たす。 
▼大学卒業後、2017年尾車部屋(元大関 琴風)に入門。
▼2017年夏場所で初土俵。
▼2018年初場所で幕下 同年11月九州場所で新十両。 
▼2019年3月春場所で初入幕。

スピード昇進で快進撃を続けました。この時の心境は?

しっかり稽古や努力を重ねた結果がスピード昇進につながりました。
 自信をもって土俵に上がっていました。負ける気しないじゃないけど、
さらに上を上をというハングリー精神で相撲を毎日とっていましたよね。

2019年名古屋場所(7月)、横綱初挑戦で金星。さらに翌場所の2場所連続で金星獲得となりました。

相撲界の頂点・横綱に勝つということは何よりも違う。
喜びも、周りからの反応も。景色がガラッと変わりましたよね。
 金星はすべての相撲取りが目標にしていること。それを初土俵から14場所目という最速でとれた、しかも二場所続けて、自分の中で最高の自信になったし、かけがえのない経験のなりました。

快進撃を続けている最中の悲劇・・・

2019年11月の九州場所、2日目の取組で土俵下へ転落した際、右ひざに180キロの体重がのしかかりました。車いすで病院に運ばれました。

落ちた時に、体の中から聞いたことのない音がして、右ひざから下が考えられない方向に曲がっていたんです。それを見た瞬間受け入れられないというか、終わっちゃったかもなという考えで、痛みよりそっちが先にきましたね。
 一本のじん帯を残してその他全てのじん帯が切れてしまって、筋肉断裂、脛の骨折など、交通事故にあったようなケガだと言われました。

医師からはどんなことを言われたのでしょうか?

血管が切れていたら右足を切断しなきゃいけないと言われたんです。 
大ケガだということはわかったけどまさか切断するかもしれないという検査になったので、どうなっちゃうのかなという不安がすごく大きかったです。 
最初、復活したいと、相撲を考えてるという話をしたら、そんなどころじゃないと言われて、歩けるかもわからない。日常生活もまともに送れないから、
どうにか歩くことを考えた方がいい、相撲なんかとれないよと言われましたね。

引退も頭をよぎったのでしょうか?

復活してやるぞという気持ちにはなれなかったですよね。終わったなと。
 相撲人生はここで幕を閉じたなと思いましたね。
なんとか普通の生活をできるようにしようと思いました。

4度の手術、5か月に及ぶ入院生活

ケガしたことももちろん辛かったですが、この5か月は本当にしんどかったですね。体がどんどん衰えていって、筋肉がなくなっていって、体重がどんどん減っていくと、心がもたいないですよね。
どんなに相撲で鍛えてきても 5か月入院生活するとなると本当につらい日々でした。 心の方がやられてしまうのが大きかったですね。

そんな時、支えとなったのは?

母がつきっきりで看病してくれて、個室で一緒に寝泊まりしてくれました。
全く動けなかったので、体を拭いてもらったり、トイレの世話をしてもらったり、何もかもすべて母にしてもらいましたね。申し訳なさもいっぱいでしたけど、母の力って大きいなと思いました。

気持ちが変わっていくきっかけは?

リハビリで自分よりも体の不自由な男の子がいたんです。
僕と同じ足のマヒが両足にある子だったんですけど、
その子がすごく明るいんですよね。僕は悲壮感漂わせて落ち込んでいたんですけど、その子は「お相撲さんだー」って近寄ってきてくれて、2,3歳くらいだったけど、こんなに明るいんだなと、落ち込んでる自分の方が情けないなと思って、それで前向きにリハビリして、復帰というか元気に生活を取り戻そうという感じになりました。
その男の子に励まされてリハビリを続けようと思うようになりました。
もう一度土俵に上がらなきゃなという気持ちもここで生まれたかもしれません。

ふるさと川崎でのリハビリ生活

ちょうどコロナで行動が制限されていた時だったんですけど、
川崎に戻ってきて、自分のかかりつけの治療院にかかりながら、
リハビリや筋力を戻すトレーニングを続けて、自分の慣れた場所、心の許せるところで復帰を目指せたというのが何よりも励みになったのかなと思います。

ケガは今も完全に治ったわけではない?

ひ骨神経という足首を動かす神経が切れてしまって、足首が全く動かなくなっています。
右ひざ下の感覚もなくなって、相撲を取るときはテーピングや装具で固定、
日常生活でも装具をはめてから歩くということをしなくてはならなくなってしまいました。けれど、相撲で頑張ったら励ましになるんじゃないかと。リハビリで出会った男の子みたいに。
その子から僕は励まされたので、障害を負ってる僕がコンタクトスポーツ・相撲で頑張っていると、他のスポーツ選手や何か不自由な子供たちに勇気とか元気を与えられるんじゃないかなという思いがあります。

関取復帰までの2年間

周りからは早かったねと言われたけど、僕からしたらとてつもなく長い2年間でしたね。
歯がゆくて、上がれたり上がれなかったりを繰り返していたので、
人生の中で一番長い2年間だったんじゃないかなと思います。
 心が折れるようなこともありましたし、どうにか続けなきゃという
だましだましやっていた2年間でした。

いよいよ幕内復帰へ

4場所勝ち越せたというのは何よりも大きい結果かなと。
先場所と今場所の2桁勝利で幕内復帰が見えてきましたが、感謝しきれない。
いろんな人に感謝をしなければいけないなと、どんな関取よりも感謝が必要な関取なのかなと思います。

ピアノ力士としても有名♪

「指はそれほど太くはないんです笑」

物心つく前から家にあったピアノに触れて育ち、小学2年生からピアノを本格的に指導を受けるようになりました。今も趣味で弾いています。
 ピアノを弾いてるとずっと3~4時間没頭して鍵盤触っているので、良いリフレッシュになっていますね。
 高校から相撲を始めましたけど、指のケガが多くて、ピアノを何週間も触れなくなるのが嫌で、当時はスポーツよりもピアノの方が好きだったのでピアノが弾けなくなるなら柔道相撲をやめようかなと思うときもありましたね笑。

小学校6年生の時に、学校で制作された運動会の歌「楽しい楽しい運動会」の作曲を担当した友風関。 今も母校の川崎市立宮前小学校で歌われ続けています。
 今年は10月に「今月の歌」になっていて、音楽の時間に歌ったり、中休みや給食の時間に校内放送で毎日かかるそうです。

川崎の皆さんにメッセージ

川崎の皆さん、いつも応援ありがとうございます。
 おかげさまで来場所は再入幕濃厚になりました。
後援会の皆様はじめ、多くの川崎市民の皆さんに支えて頂いたということだと思います。 
まだまだ川崎出身の関取として上をめざし頑張りたいと思いますので、
これからも応援していただけたら嬉しく思います。

今後の目標は?

再入幕でもまだ元いた幕内上位には程遠いのでこれからも精進していきたい。その先も皆さまにお見せできたらと思いますので、精一杯がんばります。

制作後記

番組後半コーナーの話題のお団子と月餅を持って

始めてお会いした瞬間から、気さくに明るくお話くださる友風関。
生放送が始まってからも音楽をかけている際など、ちょこちょこ「話足りてますか?」などと気にしてくださる気遣いの方でもありました。
お話を伺っていて印象的だったのが、「いろんな人に感謝をしなければいけない。どんな関取よりも感謝が必要な関取なのかなと思います。」とおっしゃっていたことでした。誰より感謝の気持ちを持ち、いろんな方に支えてもらったことを土俵で恩返ししたいと考えている強い思いが伝わってきました。
今後、幕内の舞台でどんな相撲を見せてくれるのか。楽しみなのと同時に応援できることを嬉しく思わせてくれる友風関でした。

  • 小郷知子

    アナウンサー

    小郷知子

    横浜局に来て1年目。

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