「関東大震災」と聞いて、あなたが思い浮かべる被災地の様子はどのようなものですか?
地震が起きてからいつごろの様子?そして、場所はどこですか?
実は、①いつ②どこで③誰が撮影したのかが分かる当時の写真は、あまりないんです。
そうした中、見つかったのが写真のもとになるガラスの板=ガラス乾板。
これにより、高精細な写真データで被災地の様子が明らかになりました。
ガラス乾板が見つかったのは鎌倉市の旧写真館からです。
割れやすいガラス製にもかかわらず、28枚がきれいに保存されていました。
撮影者は、写真師として横浜や鎌倉で活動した西野芳之助。
この孫に当たる女性が自宅を整理していたところガラス乾板を見つけ、2021年に横浜開港資料館に寄贈されました。
寄贈されたガラス乾板を調査したのが、横浜都市発展記念館の吉田律人さん。
およそ20年、関東大震災の研究をしています。
これまで、自治体の災害誌などに記録された関東大震災の写真は、ほとんどが不鮮明でした。
しかし、今回見つかったガラス乾板の多くは、こうした写真のもとになったものであることが分かりました。
写真資料の検証が進んだのは、実は東日本大震災のあとのここ10年くらいで、関東大震災で分かっていないことはたくさんあります。
不鮮明なほか、加工された写真もたくさんある中で、写真の原板に当たるガラス乾板が見つかったと聞いた時は鳥肌が立ちました。
ガラス乾板は、写真のもとになるガラスの板で、写真のネガにあたります。
吉田さんは、高解像度で撮影できるカメラを使って撮影し、写真データにしました。
すると、細部まではっきりと分かる写真となりました。
2枚を並べてみると、その違いがよく分かります。
これは、横浜市中区松影町と石川町を結ぶ「亀之橋」の写真です。
橋は地震で落ちてしまったので、仮の橋を架けて人々が行き交う様子がよく分かります。土砂崩れの場所や規模がはっきりと見てとれます。
また、これまでの写真では不鮮明だった部分が、実際は人が荷車を押していることが分かりました。
さらに、詳細なデータを拡大してみると、写っていた船の種類が判明しました。
この船が入港した時期を、横浜市の文献資料などと照らし合わせた結果、写真は地震からおよそ2週間後に撮影されていたことが分かったのです。
船の形や色が分かったことで、港に停泊していたのはイギリスの巡洋艦『ホーキンス』でした。
横浜市震災誌を見ると、『ホーキンス』は、9月10日に入港して、24日に出航した記されていることから、写真はこの期間に撮影されたということが分かってきます。
ほかの写真資料も、同様に文献資料と照らし合わせた結果、寄贈された写真はおよそ2週間後に撮影されたとみられます。
また、ガラス乾板には撮影場所が記載されていたほか、英文が付け足されたものもありました。
国内外に横浜の被災状況を発信する目的があったとみられています。
高精細な上、①いつ②どこで③誰が撮影したのかが分かった今回のガラス乾板の写真。
地震学などを研究する国立科学博物館の室谷智子さんに、これらの写真を見てもらいました。
おそらく崩れたものを山にしているので、量をはかればどれだけの土砂が崩れたかが分かると思います。
関東大震災では、地滑りも相次いで起きたことが分かっているので、どのぐらいの滑り具合だったのかや、どの程度だったのかを調べるのに貴重な写真だと思います。
隣接した建物があって、一方は崩れてしまって一方は割と残っているということは建築の方法など何かしらの違いがあると思います。
強い建物を作るという意味でも、こうした研究をすることは非常に重要だと思います。
横浜開港資料館には、ガラス乾板以外にも、近年も100年前の写真は寄せられ続けています。
このなかで、吉田さんが注目したのは鉄道の技術者のひ孫から寄贈された写真です。
住宅や斜面が崩れている様子が分かります。
被害を写した写真が少ない、神奈川県の西部を写したとみられるということで、詳細な撮影場所を調べています。
ことし3月、吉田さんはJR御殿場線の山北駅を訪れました。
文献などと照らし合わせると、この付近の写真ではないかとある程度の見当がついたからです。
ほかの研究者らと、写真と同じ場所を探して沿線を歩くこと1時間。
山北駅近くの歩道橋から見える山並みや駅舎などが写真と一致しました。
知られていなかった被害を伝える、貴重な1枚だと分かりました。
当時は、山北駅は旧東海道線として東西を結ぶ交通の拠点だったので、線路の数も今より多かったですが、後ろの山並みなどからもこの場所で撮影されたものだと分かりました。
写真を拡大すると、駅構内には人の姿が写っていて、住宅が崩れて住めなくなったことからここに避難したのだと思われます。
吉田さんは、今回の調査で回りきれなかった場所も含めて、引き続き写真資料を調べて被災の実態を明らかにしていくことにしています。
また、9月1日で関東大震災から100年となるのに合わせて、研究内容などを資料館に展示して大勢の人に見てもらうことにしています。
今後起こりうる災害について考えるという意味でも、過去の災害を知ることは重要です。
今まで知られていなかった災害を明らかにするとともに、200年300年たっても、大きな災害があったことをずっと伝えていってもらえる、そういった材料を残す仕事を今後もしていきたいです。
写真資料の研究をする吉田さんは、研究から分かるのは、被害だけではないとこちらの資料を見せてくれました。
写真をもとにした絵はがきには、火や煙が加えられています。
この絵はがきは、全国から被災地の救援に駆けつけた人へのお土産として販売されていたもので、時間がたつにつれて売れなくなっていくので、大げさに加工したフェイク画像になっていったということです。
当時の震災被害がどう伝わっていったかという過程を知ることができる、貴重なものだということでした。
100年の年月を経て明らかになることの多さに驚くとともに、他分野への研究にどのように活用されているかについても取材していきたいと思いました。