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大ケガから関取復帰の友風 支えてくれた人たちへの思い

川崎市出身
  • 2023年03月10日

3月12日から始まる大相撲春場所(大阪)。
神奈川県川崎市出身の「友風」が、右足の大ケガを乗り越え、3年4か月ぶりに十両の土俵に上がります。
初土俵から13場所連続で勝ち越し、2年足らずでの新入幕、2場所連続の金星獲得など、絶頂期を襲ったケガは、医師から「今後、歩くことは困難」と告げられるほどの重傷でした。
4度の手術、5か月にわたる入院。7場所連続での休場で、番付は、序二段まで転落しました。なにが友風を支えたのか、関取復帰までを取材しました。
(横浜局/カメラマン 鳥越佑馬)

川崎出身 大相撲力士 「友風勇太」

友風 勇太(ともかぜ ゆうた)
川崎市川崎区出身の28歳。
同市多摩区の向の岡工業高校で本格的に相撲を始め、全国選抜高校相撲弘前大会で準優勝(優勝は現在の逸ノ城)。
進学した日本体育大学では、全日本大学選抜宇和島大会優勝という実績を残しました。
2017年に大学を卒業後、日体大OBの嘉風(現 中村親方)の所属する尾車部屋(元大関 琴風)に入門しました。 

2017年4月 左から尾車親方・友風・嘉風(現 中村親方)

入門から11場所で幕内へ スピード昇進

強烈な突き押しを武器にスピード昇進

2017年夏場所(5月)で初土俵後、重い腰を生かした強烈な突き押しを武器に、2018年初場所で幕下、同年九州場所(11月)では、早くも新十両に昇進しました。
新十両の場所では、6日目から10連勝するなどし、最終的に12勝3敗で優勝を果たしました。
十両2場所目の翌2019年の初場所でも、2桁の星をあげました。
神奈川県出身としては、小田原市出身の「朝乃翔」以来、24年ぶりの幕内昇進を決めました。
入門から所要11場所での幕内昇進は*史上4位タイのスピード記録です。
*年6場所制となった昭和33年以降・幕下付け出しを除く。

2019年2月25日 新入幕決定を受けた会見

ピアノ力士としても有名に

母の影響で、物心つく前からピアノで遊んでいたという友風。
小学校2年生から本格的に指導を受けるようになり、川崎市立宮前小学校の時には、自分が作曲した曲が小学校の運動会で演奏されるほどの腕前になりました。その曲「楽しい楽しい運動会」は、今でも母校で演奏され続けています。力士になってからも、趣味としてピアノの演奏を続けています。

川崎市の実家でピアノを弾く友風 2019年5月撮影

2場所連続の金星獲得・殊勲賞受賞

得意の突き押しに加え、リズムよく繰り出す引き技、四つに組んでも力を発揮するなど幕内でも快進撃を続けました。
西前頭7枚目で迎えた2019年名古屋場所(7月)では、横綱初挑戦で鶴竜から金星を獲得するなど、最終的に11勝をあげ、初の三賞となる殊勲賞を受賞しました
続く、同年秋場所(9月)でも、鶴竜に勝利し、2場所続けての金星獲得となりました。 

2019年7月(名古屋場所) 横綱鶴竜から初金星

絶頂期を襲った大けが

入門後、一度も番付を下げることなく、快進撃を続けた友風。自己最高位の西前頭3枚目で迎えた2019年九州場所(11月)で運命は急転しました。
2日目の琴勇輝戦、土俵下へ転落した際、右ひざに180キロの体重がのしかかりました。自力で起き上がることができず、車いすで病院に運ばれました。

2019年11月(九州場所) 取組後車いすで運ばれる友風

右足は切断寸前 土俵復帰は絶望的

右ひざのケガは深刻で、前十字じん帯・後十字じん帯などほとんどのじん帯が切れていました。
さらに太ももの筋肉も断裂、半月板や大たい骨なども骨折していました。
医師からは「切断寸前の重傷で、一生歩くことができない可能性もある」と告げられました。

大たい骨をボルトで接合、じん帯の再建など4回の手術 2020年1月撮影
友風

ケガの深刻さは自分で見ただけで分かったんで、とにかく日常生活に戻れるのか、前と変わらない生活に戻れるのかだけでした。
相撲の事は一切考えてなかったです。
今後、歩けるか分からないですし、最初に行った病院では、「相撲なんか絶対とれませんよ、土俵にあがることさえ難しいですから、とりあえず歩くことだけ考えましょう」と言われていました。
引退するのかなじゃなくて、引退しかないと、完全決め切っていました。
相撲をやり直そうという考えはゼロでした。

5ヶ月に及ぶ入院生活 支え続けた母親

東京と大阪で3つの病院を移りながら、じん帯の再建手術や粉々になっていた骨をボルトで固定する手術など、4度の手術を重ねました。
5か月にも及ぶ入院期間中には、川崎から母親の奈美さんが駆けつけ、付きっきりで看病してくれました。

2020年3月リハビリ室で
友風

母親の存在は何よりも大きかったです。本当にずっと付きっきりで看病してくれていたので、手術の付き添いも母親にしてもらっていましたし、体が不自由で不便なことも多かったのでとても心強かったです。
母は偉大だなと思いました。

母の奈美さんと友風

厳しいリハビリ 勇気を与えた子どもたち

長期の入院生活では、日常生活への復帰に向けたリハビリが待ち受けていました。
手術の度にリハビリの強度は上がり、これまで厳しい稽古を重ねてきた、友風にとっても大変つらいものでした。
リハビリ中の友風が出会ったのは、病院や(足を支える)装具店などにいた小さな子どもたちでした。 

2020年3月リハビリを行う友風
友風

病院のリハビリ室や装具屋さんに行ったら、自分より小さい子どもが、車いすで頑張っていました。
足のない子どもとかもいて、すごいなと。2歳とか、3歳ですけど、装具を足にはめて、一生懸命、一生懸命じゃないですよ、たぶん、それはその子からしたら普通なんで、ニコニコしながら「お相撲さんだー」って話しかけてくれて。
大人は悲壮感を漂わせて、落ち込みを周囲に見せてしまいますが、子どもは、見せないじゃないですか。
その子を見て、勇気づけられましたね。地位は関係なく、もう一度、相撲を取る姿を見せないといけないなと思いました。

地元川崎で心も体も癒やした

退院後は土俵復帰を目指し、実家のある川崎市内の整骨院でリハビリを続けました。
本格的に相撲を始めた高校1年の時から通い続けている場所で、友風の体をよく知る人を頼ったのと同時に、ふるさとに戻り、心を落ち着けたいと考えたからです。

2020年4月 ふるさと川崎に戻り、リハビリを行う友風

2020年4月 ふるさと川崎に戻り、リハビリを行う友風

友風

川崎に戻って、相撲の話やケガの話もそうですけれども、世間話もたくさんしたりして、本当に心のケアとしても助けられました
今でも毎週、川崎に戻って来て、施術を受けてます。
ここに来るとみんながいるので落ち着くんですよ。

 2023年2月 母校・向の岡工業高校・清田英彦監督と話す友風

ケガから半年で部屋の稽古場に復帰

退院後、本場所復帰に向けたリハビリ続けた結果、右ひざは医師も驚くスピードで回復しました。そして、ケガをしてから半年、2020年5月からは尾車部屋の土俵に復帰し、少しずつ土俵でリハビリも兼ねた稽古をするようになりました。 

2020年5月 尾車部屋の土俵に戻ってきた友風

全く動かない足先 それでも本場所へ復帰

稽古に復帰しましたが、右足は神経が切れた影響で、足首から先を動かすことができません。
「ひ骨神経まひ」の後遺症が残りました
装具の支えがなければ、日常の歩行にも支障がある状態です。
そんな中でも、ケガをした取組からわずか1年4か月、2021年春場所で本場所への復帰を果たしました。長期の休場で番付は大幅に下がり、西序二段55枚目からの再スタートです。

右の足首を固める装具をつける友風

尾車部屋から二所ノ関部屋へ

師匠が日本相撲協会の定年になることから、2022年1月場所後、所属する尾車部屋(東京 江東区)は閉鎖となりました。
友風は兄弟子でもある中村親方(元関脇 嘉風)などとともに、茨城県阿見町に新設された二所ノ関部屋(元横綱 稀勢の里)に転属しました。
新弟子時代から慣れ親しんだ部屋からの移籍ですが、元横綱に稽古を付けてもらえる環境となりました。

引退から4年、今も胸を出す二所ノ関親方(元横綱 稀勢の里)

元横綱・二所ノ関親方の指導 勇気づけた言葉

横綱だった親方と肌を合わせ、直接教えてもらう経験は、友風にとってどんな指導よりも大きな学びになりました。
当時、関取のいなかった二所ノ関部屋。師匠は、日々まわしを締め、稽古場で胸を出しました。
幕内の上位を経験した友風にとっても、緊張感のある稽古が続きました。
師匠からかけられた言葉にも支えられたといいます。

左 二所ノ関親方 右 友風
友風

(二所ノ関)親方が通っていた治療院など、親方みずから運転して連れて行ってくれました。
親方からは「ケガをしてなかったら、三役に上がっていただろう、もしかしたら大関に上がっていただろう」って、結構何度も言っていただきました。
(三役や大関は)そんなに甘いものではないし、僕自身、大関に上がろう、上がれるかもというおこがましい考えは全くなかったですが、そうやって言っていただけるだけで、本当に励みになりました。すごく力になりました

二所ノ関親方

(友風は関取に)戻れると思っていましたし、まだまだやれることを近くにいて、ずっと思っていました。
本人もしっかり付いてきてくれた。まだまだ強くなると思いますし、これからどんどん強くなる相撲を教えていきたいと思います。
これからもっともっと厳しく、自分を鍛えて、早く夢をつかんで欲しいと思います。

尊敬する元嘉風の中村親方 同じケガをしたからこそ

中村親方(元嘉風) 二所ノ関親方(元稀勢の里)

二所ノ関部屋には、元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方に加え、元関脇・嘉風の中村親方がいます。
中村親方と友風は、日体大の先輩・後輩の間柄です。
友風は中村親方の誘いを受けて大相撲に挑戦し、親方が現役時代には付き人を務めました。
2019年11月、友風がケガをした際にも、すぐに土俵脇に駆けつけ、病院にも付き添ってくれました。 

友風

入院中もしょっちゅう来ていただいて、(中村親方からは)「足を動かせ、復帰するぞ、頑張れ」とポジティブな言葉をかけてもらいました。
正直、今だから話せますが、僕の心がネガティブな状態になっているので、そのプラス思考が負担だなと思うこともありました。
でもこれだけお世話になって、辞められないなとも思いましたね。

中村親方から指導を受ける友風

実は、中村親方も現役中に友風と同じようなケガをしていました。
このケガの影響で、友風が負傷する直前に現役を引退していました。

中村親方

同じようなケガをして、自分自身が友風の気持ちは分かると言ったら、ちょっと生意気かもしれないですけども。 
同じケガをしてる先輩として、自分も何ができないか、何ができるかそういうことでやってきました。
ぶつかり稽古が出来ない、大きな装具をつけている。
そういう所からスタートして、まず最初にまわしを締めて、土俵に下りてきた時っていうのは、本場所の土俵に上がったというよりも、その日の事が、ぐっとくるものがありました。

中村親方の科学的な稽古を武器に

土俵外では、中村親方のこれまでの経験や、他の競技などからもヒントを得て、「動作解析」や「陸上競技」など、科学的な稽古にも取り組んで来ました
体幹を強化し、体全体をコントロールすることが、ケガで弱った筋力を補い、相撲につながるとの考えたからです。

中村親方指導のトレーニングを行う友風

順調な復帰 幕下上位の壁に苦しむ

2021年春場所(3月)、西序二段55枚目で本場所に復帰した友風は、元幕内の意地を見せ、順調に勝ち越しを続けました。
しかし、復帰からちょうど1年後の2022年春場所、大きな挫折を味わいました。
全勝で勝ち越せば、関取復帰も考えられる、幕下上位で迎えた(東幕下8枚目)この場所を3勝4敗と負け越してしまったのです。
その後、2場所では勝ち越しを続けましたが、十両が目前の番付(東幕下2枚目)で迎えた秋場所、またも2勝5敗と負け越してしまいました。
リハビリに稽古と、懸命に努力していましたが、大きな壁に打ちのめされてしまいます。

2022年秋 十両目前の東幕下2枚目で2勝5敗と負け越す
中村親方

その9月場所で友風の相撲を見ている自分もつらかったんですよ。
場所後に食事に誘って、そこで(友風が) 泣き出して「きついです、土俵に上るのもつらいです」、「精神的な支えとなるものが、もう今回の2勝5敗で無くなって、整えるのが難しいです」って。よく分かるんだけど。この9月場所の感情をもっと味わって、時間がたって、それでもやっぱり無理だったら、辞めたらいいし。
それまでもう一度、冷静になって、考えてみたらどうだと話しました。
それから3週間ほどしてから「続けます」「もう一度上を目指してやります」ということで、分かった、もうあと一歩のところだから、一緒に頑張ろうと言って、再スタートを切ったんですね。

ついに関取復帰

関取復帰の壁にぶち当たり、土俵を去ることも考えた友風ですが、二所ノ関・中村両親方の支えもあり、再び上を目指すことを決めました。
その後、2場所連続で勝ち越し、ことし初場所は、勝ち越せば十両復帰が濃厚な番付(東幕下2枚目)で迎えました。
初日から3連敗しましたが、残りの4日を全て勝利し、勝ち越しを決めました。
取組後、友風は土俵に向かい、いつもより長く頭を下げ続けていました
場所後、1月25日の番付編成会議で、3年ぶりの再十両昇進が決定しました
幕内経験者が序二段に降格後、関取復帰を果たしたのは照ノ富士(現横綱)、宇良(現前頭)に続き、史上3人目の快挙となりました。

2023年初場所 勝ち越しを決めた戻り際、長く頭を下げる

前師匠・尾車親方の温かいまなざし

2022年4月に65歳で日本相撲協会の定年を迎えた前師匠の尾車親方(元大関 琴風)は、定年後も、温かいまなざしで友風を励まし続けてくれました。
尾車親方自身も、現役時代、度重なるひざの大ケガで幕下へ転落後、大関にまで上り詰めた苦労人です。尾車親方の土俵人生に自身を重ねることで、何度も勇気づけられたといいます。

前師匠の尾車親方から2023年初場所中に届いた激励

川崎のファンへ感謝の気持ちで土俵へ

ぶつかり稽古で追い込む(右奥は中村親方)
友風

今は足とつきあいながら、この足で出来ることを磨かなければいけないですし、弱い部分があるんで、弱い足や体も鍛えなきゃいけないです。
今度は15日間相撲を取る準備をしなければいけない。
ケガをする前よりも、磨かなければいけないことがたくさんあるのでやりがいあります。

ケガをした後も、川崎の人たちは、本当に離れず、序二段からずっと応援してくれました。力になってくれました。心から感謝してます。
川崎出身の力士として、胸を張って、土俵に上がります。

  • 鳥越佑馬

    横浜局カメラマン

    鳥越佑馬

    2011年入局 和歌山、大阪を経て2020年横浜局
    神奈川の地域に根ざした話題を 幅広く取材。

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