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川崎市で不登校事例集 大丈夫を伝えたい

“雲の向こうはいつも青空”
  • 2022年09月12日

夏休みが終わり、各地の学校で新学期が始まりましたが、長い休みが明けた時期は、「子どもの自殺」が増える傾向があります。命を削ってまで、学校に行く必要はない。それでも、学校に行けない状況は、本人や家族にとって簡単なことではありません。 そうしたなか、不登校を経験した人たちの「その後」を伝えることで、当事者の不安や苦しみを和らげたいと、事例集を作り続ける夫婦がいます。事例集は、「大丈夫、学校は人生の一部でしかない」と伝えています。

“雲の向こうはいつも青空”

不登校インタビュー事例集 「雲の向こうはいつも青空」

「雲の向こうはいつも青空」は、不登校や引きこもりを経験した人や、その親などの体験談がまとめられた事例集です。不登校になったきっかけ、そしていまにいたる人生が、インタビュー形式で綴られています。 

金子純一さん 金子あかねさん夫婦

事例集を作ったのは、川崎市の金子純一さんと、金子あかねさんの夫婦です。2人の長男も、9年前、小学3年生のときに不登校になりました。長男には、字を書くことが難しい学習障害があり、漢字のドリルには多くの「不正解」を意味する付箋がつけられ、同級生にからかわれていたといいます。 小学3年生の夏休みの終わりに、「漢字のない世界に行きたい」と号泣し、学校に行けなくなりました。 

金子純一さん

最初は頑張って学校に行ってみようと彼を励ます方向で支えようとして、学校に戻すという選択肢しかなかったんです。ただどうしても、やっぱり彼はいけないって分かったとき、手詰まりになって。本当にどうしようっていうのが 分からなくなってしまった。

このまま、学校に通えず大人になったらどうなってしまうのか。インターネットや書籍などで調べても、著名人の体験談以外は、情報も少なく、不安で悩み、孤立したといいます。そして行き着いたのが、人づてに不登校の経験者を探し、話を聞くことでした。 

当事者が語る、不登校の“その後”

丸山健二さん

金子さんたちが話を聞いた1人、川崎市の団体職員の、丸山健二さん(42歳)です。中学1年の時にいじめにあって不登校になり、卒業まで学校に通えなくなりました。

丸山さん

学校に行かなきゃだめって分かっているけど行けない。普通の人ができることが自分はできなくて、ずっと家にいて、ただ単に本当に生きてるだけだから、生きていて何の意味があるのかなと思いますし、死にたくもなりますし、台所に行って包丁を自分に突きつけて自殺しようと、本当にもう終わらせても全然いいかなっていう気持ちになっていました。

ボランティア活動に参加する丸山さん(事例集から)

追い詰められていた丸山さんの気持ちが変わるきっかけが、事例集に綴られています。中学3年の時に先輩に誘われて参加した阪神・淡路大震災のボランティア活動です。人の役に立てたことで、自分自身が救われたといいます。

丸山さん

一緒に行かない?って言われて、時間だけは本当に腐るほどあったので、じゃあ、行くと。誰かの役に立って、誰かのためになるっていうことが、本当に当たり前なんですけどでも、すごく、今までそういうことがなかったから。“自分がいないよりいるほうがいいじゃん”っていう風に変わっていった。誰かの助けになれるっていうところが、すごく大きかった。

その後、丸山さんは、アルバイトや、フリースクールを経て就職。結婚して子どもが生まれたとき、生きてきて良かったと思えるようになったと言います。 

丸山さん

自分が生きる価値とかずっと悩んできたけど、この子、僕がいなかったらもちろん生まれてこなかった命だったりもしたわけだし、この子が生まれてきたことで自分の人生それでいいじゃんというふうに思ったんです。

3児の父となった丸山さんはいま、労働組合の職員として、困っている人の相談に乗る仕事をしています。自分が不登校で苦しできた経験が仕事の中でいきていると感じると言います。 

丸山さん

寄り添うというか、心の裾野が広がった部分はあるのかなと思います。学校は、その中にいると全てみたいに感じるけれど人生の一部分なので、いろんな経験が自分のためになってるし、本当に死んじゃったらそこで終わりなんだけど、死ななければ、つらいこともありますけども、本当にこんな幸せな時もあるよって言いたいです。

金子さんたちがこれまでに話を聞いた人数は56人。3回の不登校を経験しましたが、養護教諭になり、学校に戻って不登校の子どもを支援をしている人。不登校になったあと、ダンスを通じて子どもたちに表現する大切さを教えている人。ひとりひとり状況は違いますが、悩みながらも周囲に支えられ、それぞれの人生を歩んでいました。  

金子純一さん

不登校の時期があったけど、それはその人の人生の一部でしかない。不登校になったからもうその先がないというような心配は、すごく少なくなってきています。

金子あかねさん

大丈夫なんだなっていうのは、本当にいろんな方の話を聞くたびに思うことだし、どなたの話をきいても、支えてくれる人や(支えてくれる)言葉っていうのがあって、その人がその人らしく生きていけるんだなって思います。

「大丈夫だよ」と伝えたい

事例集を編集する金子さん夫婦

17歳になった金子さんの子どもも、通信制高校に通いながらアルバイトに挑戦するなど、自分の考えで新たな経験を重ねています。金子さんたちは、これからも事例集を発行し続けることで、同じような不安を抱えている子どもや親たちに、安心を届けたいと考えています。

金子純一さん

(伝えたいことは)やっぱり“大丈夫だよ”っていうことですね。いろんな例を知れば知るほど安心と勇気につながるはずなので、1人で抱え込んで悩んでしまうと、なかなかいい方向に考えがいかないと思うんですけど、一人でも多くの例を知ることで安心と勇気を得ていただきたいなっていうふうに思ってます。

金子あかねさん

特別なことではないって。自分たちだけじゃないし、いろんな方がいてそれぞれ懸命に生きてるんだっていう、その事実を知るだけでも全然違うと思うんです。私も苦しかった時期があったんですけど、そういう方に読んで頂いて、視野を広げてもらいたいです。

事例集は、9月末に8刊が発売され、インターネットから購入できるそうです。

いま、学校に行けなくて  苦しんでいるあなたへ

金子あかねさん

周りの人に心配かけたくないと思って、すごく我慢してるんじゃないかと思うんですよ。でも、誰でもいいから、本当にちょっとでも、いま苦しい、学校行きたくないって言ってほしい。言っていいんだよっていうのを伝えたいです。一人で悩まないでほしいです。

金子純一さん

いま、目の前には見えないかもしれないけど、必ず味方がいるっていうことは伝えたいと思います。

丸山さん

やっぱり生きていれば本当にいいこともあるし、人生はそんなに厳しくないですよって言いたいです。人生甘いもんじゃないっていうふうによく言うけど、結構甘いときもありますよ。学校が終わったあとの社会や人生、時間の方が長いので、命を落とすことなくつないでいってほしいなと思います。

わが子の不登校に悩む親たちへ

金子あかねさん

本当に難しいんですけど、まずは、子どもは学校に行きたくないことを、一度受け止めてほしいです。しった激励しても、子どもは心を閉ざしてしまうだけなので。結局コミュニケーションをとれなくなるので、まずはいったん受け入れてほしいなと思いますね。そこからゆっくり考えていこうよとお伝えしたい。子どもが不登校になると母親が周りから責められることも多く、八方塞がりになって私も非常にしんどくて孤独でした。この事例集を読んで、自分だけじゃないなっていうことを感じ取ってほしいし、視野を広げて周りの人たちと、つながって頂きたいなと思います。

金子純一さん

お父さんたちに向けて言いたいのは、情報をいっぱい取って下さいと言いたいです。情報の少なさから、不安が不安を呼んでしまう部分もあるので、いろいろな例を知れば知るほど不安は減って、安心の方が増えていくので、情報を取ってくださいと言いたいですね。

  • 佐藤美月

    横浜放送局・記者

    佐藤美月

    2010年入局。甲府局、経理局を経て2021年7月から横浜放送局・川崎市政担当。児童福祉や教育など、子どものウェルビーイングをテーマに取材。

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