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  • 2024年5月27日

ラグビー・リーグワン ワイルドナイツ堀江翔太 引退間近の“ラスボス”を直撃

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トレードマークはドレッドヘア。

ラグビーワールドカップに4大会連続で出場し、日本代表の躍進を支えた堀江翔太選手(38)。
所属しているリーグワンの強豪・埼玉パナソニックワイルドナイツでは、試合の大切な局面で出場することが多く、相手チームが恐れる強さとうまさ、圧倒的な存在感から“ラスボス”の異名を持つ。

今シーズンかぎりでの現役引退を表明し、ワイルドナイツとして最後の試合に臨んだ“ラスボス”はどんな思いでラグビー人生に終止符を打ち、次のステージへ進もうとしているのか?

インタビューからは、ラグビーの枠の先へと進もうとする、堀江選手の決意が見えてきた。
(首都圏局/ディレクター 反町結佳)

堀江翔太選手とは

堀江選手は大阪府出身の38歳。小学5年生でラグビーを始め、帝京大学を卒業。

2022年に始まったリーグワンでは、ワイルドナイツを初代王者に導き、自身はMVPにも選ばれました。ことしのチームはレギュラーシーズンを全勝。首位で終え、プレーオフトーナメントに進出。
決勝戦を5日後に控え調整を行う中、練習終了後の堀江選手に話を聞きました。

堀江選手
ラグビー人生最後というのはあんまり意識していないですね。決勝に向けて、どうプレーできるか、どのようにチームを成長させられるかという部分にフォーカス置いています。

引退撤回ということは…?

試合終わってからの気分で(笑)
僕がどれだけ満足したかっていうところなので、お楽しみに。

ラグビーW杯4大会連続 “ファンの支えがモチベーション” 

スクラムを組む堀江選手

堀江選手のポジションはスクラム最前列の真ん中「フッカー」。
強い当たりやタックルに加え、パスやキックも高いレベルでこなせる器用さが持ち味です。

ワールドカップには2011年から4大会連続で出場しています。
2015年のイングランド大会では歴史的勝利をあげた南アフリカ戦で先発出場、2019年の日本大会では5試合すべてに出場し、日本として史上初のベスト8進出に貢献。
去年、行われたフランス大会ではチーム最年長として日本代表をけん引しました。

2015年のW杯 南アフリカ戦の勝利に貢献した堀江選手(画面中央下)

2011年は全然結果を残せず、15年と19年の活躍でラグビーが日本全体に知れ渡ったというのは感じました。ファンもめちゃくちゃ増えて、全然違う。「応援って力になるんだ」というのを思いましたし、昔から応援してくれた人も、途中でラグビーを好きになった人も、そういうファンの支えがあってモチベーション高くラグビーができました。

自身の日本代表としての活躍は?

目立とうとか何も考えず、常にチームの目指す結果に対して、僕はどのようにコミットできるかということを考えていた。求められるものに対して努力できたかどうか、それは毎年感じていました。今年より来年よくならないとアカンなっていうのは常に思っていて、絶対その場にとどまりたくないという気持ちを常に思っていました。

38歳までラグビー続けることができたのは…

右足首を疲労骨折(2018年)

自分の役割と結果を追い求め、常に前を向き続けてきた堀江選手ですが、そのラグビー人生は順風満帆ではありません。

2015年には首を手術、2018年には右足首を疲労骨折…ともにワールドカップ直前までリハビリを続け、なんとか出場することができました。

どうして命がけでラグビーを続けた?

「日本のために…」とか言いたいけど、そうじゃないです(笑)
ラグビーが楽しいし、本気でやりたいと思って、自分を鍛え続けてきました。 特に首のケガをした時にトレーナーの佐藤義人さんと出会えたことが一番大きい。そこから9年目のつきあいで、今も現役を続けられているのは佐藤さんのおかげ。

堀江選手を見守るトレーナーの佐藤義人さん

佐藤義人さんは堀江選手をはじめ、多くのアスリートを体づくりの面から支えるアスレチックトレーナーです。2015年のラグビーワールドカップではメディカルスタッフとして日本代表に帯同し、快進撃を陰ながら支えました。

堀江選手は佐藤さんのもとでトレーニングを行い、体の使い方や姿勢など、ラグビーのプレー以前の“体を動かすための土台”を整えました。

その成果として、30代半ばを過ぎてからも堀江選手のフィジカルは向上。
38歳までラグビーを続けることができたのは“土台”のおかげであり、第一線で活躍し続けるためのモチベーションになっていたと言います。

体の使い方というのを自分で学んで、勉強して、それを表現する。佐藤さんの教えをラグビーで披露するというか、表現するということが楽しい。ただ、ラグビーが好きということでやっていたら、絶対に途中で少し嫌いになるタイミングがきて、心が離れていってしまっていたと思います。

引退を決意した理由にも、佐藤さんの存在が深く関わっていました。
ラグビーに限らずさまざまな競技に励む人たちに、これまでの経験や教わってきたトレーニングを広めていきたいと堀江選手は考えています。

バスケ選手やサッカー選手、力士など、いろんなスポーツの人と関わる機会が佐藤さんと一緒にいる中で増えて、「このトレーニングのおかげで金メダルを取れた」「すごくパフォーマンスよくなった」という声をたくさん聞いていた。その時に「トレーニングはやっぱり大切なんだな」とひしひしと感じて、自分も広める活動をしたほうがいいんじゃないかと。ラグビーだけでなく、違うスポーツの子たちにも教えたい。それは自分自身がラグビーで表現できなくなってからでは説得力がなくなると思ったので、このタイミングだと思いました。 

引退後は父親らしいことを

また、2人の娘の父親でもある堀江選手。
家族旅行のときには自分のトレーニングを優先するなど、ラグビー中心の生活でした。
大けがを乗り越えて、日本を代表するラグビー選手でいられたのも家族が支えてくれたから。
引退後は、父親らしいことを家族にしたいと話します。

娘たちの参観日や運動会はほとんど行けてないですし、休みも僕の体調中心で動いていた。みんなで家族旅行に行く時も、ほとんどトレーニングに費やし、家族は我慢する事が多く、僕の事を気遣うということも多かったと思います。僕が自由にラグビーをできているのは、家族のサポートがあったから。これがラグビー引退して、ただのおじさんになっちゃうと「家族がどこまで尊敬してくれるかな…」っていう心配はあるので、父親としてはここからだなと思っています。

ラスボスは“成長”する

インタビューの最後、堀江選手のラグビー人生におけるキーワードを教えてもらいました。
書かれた言葉は「成長」です。

ラグビーのおかげでいろいろな人と出会って、努力のしかた、集団での人のつきあい方を学んで、人として成長することができた。ラグビーでなければ学べないところがたくさんありました。これからはラグビー以外のところで成長しなければならないことがたくさんある。スポーツ選手には賞味期限的なところがありますが、その次、僕が人として成長していくための勉強をして成長できたらいいかなと思います。
“ラスボスのラスト”も、いい最後にしたいです。それは僕一人だけではできないので、チームメートを信頼し、最後まで信頼されるようなプレーをして終わりたいですね。

国内ラストマッチ“生まれ変わってもラグビーはしない”

そして迎えた5月26日、リーグワンのプレーオフ決勝。
埼玉パナソニックワイルドナイツとして最後の試合の相手は、リーチ マイケル選手がキャプテンを務める、東芝ブレイブルーパス東京です。

国立競技場にはリーグワン最多となる5万6486人の観客が詰めかけました。

リザーブの堀江選手はベンチから試合を見守りました。
前半、ワイルドナイツはスタンドオフの松田力也選手が2つのペナルティーゴールを決めて6対0とリードします。一方、ブレイブルーパスは27分に日本代表のウイング、ジョネ・ナイカブラ選手がトライ。その後も得点を重ねられ、前半は6対10で試合を折り返しました。

後半開始から、ワイルドナイツは“ラスボス”を投入。タックル、パス、密集でのボールへの働きかけ、堀江選手は熟練の技術と力強さを随所に発揮していきます。切れのあるプレーで攻守にわたり起点となり、チームにリズムを作り出しました。

熱を帯びた攻防・・・両チームともにトライを奪い合い、20対24とブレイブルーパスの4点リードで試合は最終盤を迎えます。

残り1分、ワイルドナイツはチーム一丸となった攻撃をしかけます。相手の激しいプレッシャーを受けながらも、グランドの両サイド一杯に使いながら、細かなパスをつなげ、懸命に前進を図ります。息をのむ連続攻撃、最後は途中出場のウイング、長田智希選手がトライを決めて土壇場で逆転…と思われましたが、トライにつながる前の堀江選手のパスがビデオ判定の対象に。結果、ボールを前に投げた反則となり、トライは取り消しになりました。

間もなく ノーサイドの笛。

堀江選手は有終の美を飾ることはできませんでしたが、大勢のファンたちの前で次のように語りました。

プロ生活15年間、幸せな、最高のラグビー人生が送れたと思う。最後の最後で運がついてこなかった。プロとして最後負けてしまったら意味がないと思うが、今まで勝ち続けたことは誇りに思うし、出ていないメンバーを含めて胸を張っていいと思う。

そのうえで引退については…。

嫌なプレッシャーから解放されると思うとホッとしている。本当に悔いなく、ラグビー人生を終えることができた。生まれ変わってもラグビーはしません。それくらい幸せなラグビー人生を送れたと思う

笑顔で話し、独特の“堀江節”で会場を沸かせていました。
最後は、会場を1周して多くのファンの声援に応えた堀江選手。ともに戦った仲間たちとたたえ合いながら、ゆっくりと噛みしめるように歩く姿が印象的でした。そして、気丈に振る舞っていたように見えた堀江選手は、グランドを後にする直前、涙を抑えることができませんでした。

その後の報道陣の取材では…。

これまでお世話になった人たちの顔見て申し訳ないという気持ちというか、勝って喜ばせたかったっていう思いで涙が出た。全勝・決勝・優勝・引退って映画・ドラマ・漫画であるような感じで終わるかなと思ったら、やっぱうまいこといかんもんやなぁ…っていう。それが人生ですし、神様に教えられたなって。やり切った感はありますし、全然悔いなく終えたなっていう思いもあります。この僕に関わってくれた人に感謝したいなっていう思いもあります。これから次の人生に進んでいきたいです。

※インタビューの内容は5月27日(月)の「首都圏ネットワーク」で放送予定です。

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