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富士山模した「富士塚」と信仰文化 住民がつなぐ

  • 2023年10月20日

「富士塚」というものを見たり、登ったりしたことがありますか。
富士山を模した人工の山などのことで、登山道や神社、胎内樹型といった本物の富士山にある見どころを再現したものもあります。富士山への信仰登山が盛んになった江戸時代以降、関東地方を中心に造られましたが、信仰文化の衰退とともに維持・管理は年々難しくなっています。こうした中、地域住民がみずから担い手となって、富士塚や信仰文化を将来につないでいこうという取り組みが新たに始まりました。山梨との交流も再び活発化し、新たな継承の形を生み出そうとしています。
(甲府放送局/記者 関口紘亮)

富士塚とは

富士山のふもと・山梨県富士吉田市にある博物館「ふじさんミュージアム」では、“ミニ富士塚”が展示されています。富士山を思わせるゴツゴツした岩。「1合目」「3合目」などと書かれた「合目石(ごうめいし)」。山頂には富士山の神様「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」がまつられた「ほこら」があります。
江戸時代以降、各地にこのような富士塚が数多く造られました。その理由を学芸員の篠原武さんはこう説明します。

ふじさんミュージアム 学芸員 篠原武さん
「江戸時代、富士山を信仰して登山する『富士講』が盛んになりましたが、昔の江戸からここまで来るのに往復で7泊8日くらい。時間もお金もかかるので、なかなか登ることはできませんでした。そこで身近に富士山をおまつりすることで、いつでもお参りできるようにしようと造ったのが富士塚です」

駒込富士神社(東京・文京区)

木曽呂の富士塚(埼玉・川口)

富士塚は現在も関東地方を中心に900基以上が残ります。大きさも見た目も様々ですが、それぞれの土地で富士山と同じように「山開き」「山仕舞い」などの行事も行われてきました。しかし富士塚を守ってきた富士講は時代とともに衰退。富士塚は地域の神社や氏子などの手で維持されてきましたが、都市開発に伴って移転を余儀なくされたり、祭りが縮小されたりするなど、信仰文化を伝える役割を果たすことが年々難しくなっているといいます。

住民が守る「田子山富士塚」

そうした中、地域住民でつくる保存会によって守られている、数少ない富士塚があると聞き、埼玉県南部の志木市に向かいました。ここにあるのが、明治5年(1872年)に造られた「田子山富士塚」です。

「志木のお富士さん」として地元で親しまれている田子山富士塚は、高さ約9メートルと、現存する富士塚では最大級。現在は富士山から持ち出すことが禁じられている溶岩を当時、現地から船を使って運んできて塚の表面に積み重ねています。頂上までの登山道の途中には、富士山の地名などを刻んださまざまな石碑があり、ふもとには胎内樹型を模した洞穴もあります。保存状態も良好で、計5か所しかない国の重要有形民俗文化財の富士塚のひとつです。

冬の天気がいい日は山頂から本物の富士山を望める

この富士塚を守っているのが、地域住民でつくる保存会です。
平成17年(2005年)に結成され、東日本大震災で富士塚が大きく損壊したことをきっかけに本格的に保存活動に取り組むようになりました。

田子山富士保存会 副会長 深瀬克さん
「このまま放っておけない、もう1回この山を修復しようという動きになって、それから今の活発な活動が始まりました」

現在、会員は約430人。隣接する神社の神職や氏子とともに「山開き」「山仕舞い」の日の神事を担うほか、年3回の草刈り、それに3日に1回程度、市民が登れる「入山日」には案内役を務めるなど、活動は多岐にわたります。

参加者

当たり前にある場所で、自分の子どもも連れてくる家族代々が集うところです。
 必要な場所なので、きれいにしなくちゃという気持ちで参加しました。

参加者

小さい頃はここでみんな遊んでいました。
継承していかなければという思いで、だいたい毎回参加しています。

保存会活動きっかけに 山梨と交流も

保存会と山梨県の人たちとの交流も深まっています。富士吉田市で毎年行われている神事のひとつ、吉田胎内祭。この吉田胎内樹型を開いたのが現在の志木市出身の修行者という縁から、保存会の人たちも祭りに参加するようになりました。
交流は自治体レベルに波及し、志木市と富士吉田市は平成29年(2017年)、「文化・観光交流協定」を締結。往来がますます盛んになっています。

8月後半、田子山富士塚では恒例の「山仕舞い」が行われます。富士吉田市の「吉田の火祭り」を模したもので、保存会の人々が毎年、隣接する神社の神職や氏子とともに準備や運営を担っています。当日には富士塚の前に祭壇と井桁に組んだたいまつが設置されます。夕方、集まった人たちが見守る中、祭りが行われ、たいまつに火がつけられると、炎は瞬く間に大きくなっていき、熱気が辺りを覆いました。人々は富士塚に向かって祈りをささげ、順番に燃えさしを受け取りました。玄関につるすことで厄よけの効果があるという、昔から伝わるお守りです。

訪れた人

神様に守っていただいているという思いで毎年、感謝の気持ちで来ています。

 

保存会を、中心メンバーの1人として支えてきた深瀬さんは将来に向けて何を思うのでしょうか。

田子山富士保存会 副会長 深瀬克さん
「保存会がここまで大きくなるとは想像していませんでしたが、多くの人が富士塚に対していろいろな思いを持っている、魅力を感じているということだと思います。富士塚は郷土の歴史・伝統・文化がぎっしりと詰まっているんです。志木の人の『心のふるさと』として次世代につないでいきたいと思っています」

ふじさんミュージアムの学芸員の篠原さんも、富士山の信仰文化を後世に伝えていく上で保存会は見習うべき存在だと話します。

篠原武さん
「富士山のふもとに住む僕らが富士山の文化を守っていく上で、志木市と田子山富士保存会の活動は先達として目指すべき姿だと思いますし、すごく勇気づけられます。すべてを昔のまま守っていくことはできないので、時代にあった形で富士山の文化を守り、富士山を愛する多くの人と協力していくことが求められていますし、次の10年、20年と新たな形で発展していくといいなと思います」

  • 関口紘亮

    甲府放送局 記者

    関口紘亮

    2009年入局。ニュース制作部、選挙プロジェクトなどを経て2022年から甲府局。遊軍記者として産業、文化、スポーツなど幅広く取材。

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