時速2キロ。手作りのシフォンケーキを乗せたリヤカーがゆっくりと進んでいく。
東京・青梅市内を中心に、独自のスタイルで行商をしている久保田哲さん(51)。およそ10年前、働き盛りの40代にうつ病になり会社を退職。リヤカーの行商という“頑張りすぎない”働き方を選択しました。
「時速2キロの世界」
久保田さんは、日々の行商の中で発見したものをそう呼びます。
全力疾走をやめてスピードを落として歩く人生。その世界で見つけた自分らしい生き方とは・・・。
(首都圏局/ディレクター 寺越陽子)
カランコロン、カランコロン…。
カウベルの音を響かせながらゆっくりと進んでいくリヤカーには、次々と声がかかります。
「ケーキ屋さん、ちょっと待って!」
「今日はどんな味がある?」
リヤカーをひいてシフォンケーキを売っているのは、青梅市「ちゃんちき堂」の久保田哲さん(51)。
廃材を集めて作ったオリジナルのリヤカーには、目立つような看板や値段もなく、売り込みの呼びかけもなし。一見すると何を売っているのかわかりませんが、地元ではすっかり有名人。
ひとつ300円のプレーン、チョコレートなど数種類の手作りシフォンケーキは、ふわふわの食感がおいしいと評判で、飛ぶように売れていきます。
久保田哲さん
「青梅市内を中心に、行商でシフォンケーキを売っています。10年以上も行商をやっていると、昔はお母さんと手をつないで来てくれていた子どもが大きくなって、いまは自分のお金で買ってくれたりする。そんなときはめちゃくちゃうれしいですね」
手作りのシフォンケーキは、青梅産のたまごなど、地元の素材を存分に生かしています。
春は桜、夏はブルーベリー、秋はかぼちゃ、冬には青梅の地酒を使った大吟醸酒粕シフォンなど、季節ごとに販売する期間限定のシフォンケーキも人気です。
リヤカーの重さはおよそ40~50㎏。カウベルを鳴らしながら、細い路地をひたすら進んでいきます。
晴れた日は5時間以上歩くという久保田さんのリヤカーの行商には、決まったルートがありません。
どこで出会えるかがわからないという神出鬼没さが、人気の理由にもなっているようです。
声をかけてきた客は…
出会えたらラッキー。見つけたら必ず家族分買っていくようにしています。
ベルの音が聞こえたら、あっと思う。青梅の人はみんなあの音に反応するのでは?
半年前に見かけてから1回も見かけなくてずっと探していました!
ほとんどの時は何となく歩いていますね。向こうの方が明るそうとか、夏だとあそこに日陰があるとか。
ルートを決めてしまうとつまらないし、常連さんが待っているかもと思うとプレッシャーになるので、その日の気分で歩く道を決めています。
この、気の向くままに見える行商のスタイル。
実は、久保田さんがたどり着いた「頑張りすぎない」働き方だといいます。
シフォンケーキの仕込みは早朝から始まります。妻のかおりさんとの共同作業です。
仕込むシフォンケーキはおよそ100個。夫婦はほとんどことばを交わさなくても、チームワーク抜群。段取りよくケーキを焼いていきます。8畳ほどの小さなシフォンケーキ工房には、大量の青梅産のたまごやフルーツなどがぎっしりと並び、シフォンケーキの甘い香りが広がっています。
慣れた手つきで黙々と作業を進める久保田さんですが、もともと料理やお菓子作りは全くの未経験でした。
シフォンケーキ作りは、リヤカーの行商を始めるために独学で学んだといいます。
「ぼくの時間はいつもみんなに比べてゆっくりだった」という幼少期の頃
幼い頃からマイペースで、人に合わせて行動することが苦手だったという久保田さん。
都内のIT企業に就職し、仕事にはやりがいを感じていましたが、40代になった頃に人生が一変しました。
多忙な仕事と人間関係のストレスから、うつ病を伴う自律神経失調症を発症したのです。発熱に不眠、過呼吸など、心身をコントロールできない状況に苦しみました。
IT企業に勤めていた頃
久保田哲さん
「最初、眠れなくなったんです。そのあとに微熱が始まって下がらなくなって、ものを覚えられなくなって。
その辺からもう仕事に支障が出るようになって、人にも会えなくなっていって…。
自分でも気づいていないままため込んでいたストレスが、いっぺんに吹き出てくるような感じでした」
体調は悪化し、休業を経て会社を退職。
療養生活を続け、体調がいい時に「少しずつ働き始める」方法を探るなかで出会ったのがシフォンケーキでした。
今後の身の振り方を考えていたある日、妻・かおりさんのお母さんが焼いてくれたシフォンケーキのおいしさに驚き、「これを売って生活できたら」と起業を思い立ったのです。
「休職を始めた時に、自分の中ではもう再就職はないなって思っていました。どこかの組織に入るときっと同じことを繰り返すから、自分で起業するしかないって。
そして、起業するなら、自分で作って自分で手売りしてっていうような、地べたに足をつけた、自分で何かやっているって実感ができる仕事をしたいっていうのは決めていたんです」
シフォンケーキの行商を始めた頃
久保田さんは、自家製のシフォンケーキを、自分のできる範囲で売って稼ぐことを決心。体調が戻りきっていなかったため、最初は通信販売から始め、翌年からリヤカーでの行商を開始しました。
最初は1日に2切れほどしか売れず、試行錯誤の日々が続きます。収入は3分の1になりましたが、妻のかおりさんは受け入れ、支えてくれたといいます。
私も働いていたし、ダメっていうこともできなかったので、やればいいんじゃない?みたいな感じでした。たぶん、言っても聞かないから(笑)。通帳を見ながら、じゃあいくらぐらいまで黙っておこうかな、みたいな感じでしたね。
かおりさんが働いていたので休むこともできたし起業することもできたから、僕はやっぱりすごく恵まれていたと思っています。かおりさんは自分がすごくしんどい時も、ほどよい距離感でいてくれました。
IT企業時代に同僚として出会った二人。現在は、妻のかおりさんも会社を退職し、夫婦二人三脚でシフォンケーキ販売を続ける日々です。
家族の支えのもとに始めたシフォンケーキの行商ですが、「頑張りすぎない」と決めた中、最初は月に10万円程度稼げれば十分だと考えていたといいます。
「本当はいろんな社会参加のしかたがあるんでしょうけど、少なくとも今の日本では、ちゃんとお金を稼いでくるっていうことで、社会からちゃんと認められるようになっている。でもそれがいきなり、何十万も稼いで生きていくのは難しいけど、
少しの額だとしても、働いて稼げるっていうことは、社会に参加できるって実感できるし、それは僕のような病気を持っている人にとって、生きていていいんだみたいな自己肯定につながることだと思うんです」
家族は妻かおりさんと二匹の猫
いまでも、心身の調子は、寄せては返す波のような状態が続いています。
そんな久保田さんにとって、同じリズムで長時間かけて歩くリヤカーでの行商は、うつ病のリハビリでもあります。
リヤカーを引くことで出会えたもの、久保田さんはそれを「時速2キロの世界」と呼んでいます。
ゆっくりと呼吸しながら歩いていると、以前は見えなかった世界が広がったといいます。
「リヤカーと同じ速度で流れる時間はとてもゆったりしていて、こんなところにこんなのあったんだとか、こんな曲がり道見たことないから曲がるか、みたいな。
昔はどうでもよかったものが目に入るようになってきたんです。
全力疾走で走る生き方をやめて、時速2キロにスピードダウンしたことで、ぼくの世界は本当に豊かで、本当にぜいたくなものになったんです」
久保田さんは自分の経験を、SNSなどさまざまなメディアを通じて広く発信し、著作も出版しています。「社会参加のしかたはひとつじゃない」という思いから、自分の生き方が、病気や障害などを抱えて長時間働くことが難しい人でも、社会参加できる道のひとつのヒントになってほしいといいます。
2022年9月 自身の経験をまとめた著作を刊行
久保田哲さん
「幸せの尺度みたいなのは、本当はたくさんある気がするんですよね。
いま、自分の足で地面を踏みしめて、リヤカーを引いて、シフォンケーキと交換した、いくばくかのお金を街で循環させることで、僕の一日、一か月、一年が流れている。たぶんいまの僕にしか手に入れられないものを得ていると思うし、こういう働き方もできるよっていうことの証明をし続けていると思っています」
久保田さんは、うつ病がなければ実現しなかったスタイルで日々の糧を得ながら、きょうも青梅の街を歩いています。