今年7月、短編集「夜に星を放つ」で第167回直木賞を受賞した、東京・稲城市出身の作家・窪美澄さん(56)。大切な家族を失った人や、コロナ禍で生きづらさを感じている人の心の揺れを丹念に描き、幅広い世代から共感を集めています。
喪失、そして希望…、窪さんはこの短編集にどんな思いを込めたのでしょうか。
(首都圏局/ディレクター 今井朝子)
子育てをしながら44歳で作家としてデビューした窪さん。女性の生き方をテーマにした作品を多く手がけ、2018年に「じっと手を見る」、翌年には「トリニティ」でそれぞれ直木賞の候補となりました。そして今回、「夜に星を放つ」でついに直木賞を受賞。コロナ禍で直面したさまざまな出来事や心境の変化が作品を生み出すきっかけになったといいます。
作家・窪美澄さん
「今の世の中でちょっと苦しい目に合っている人、なんとなく水中にいるみたいな気分でいる人、息が苦しいなと思っている人がヒュッと空気が抜けるような、ちょっと気持ちが楽になったっていう小説を書きたいと思いました」
窪さん
「コロナ禍は、最初は1年とか2年ぐらい、長くても2年だと思っていました。でも3年にもなって。私もふだん1人で生活してますので、小説家って孤独に強いと思われがちじゃないですか。1人で仕事してるし。でも意外とコロナ禍が続くと、そこがどんどんもろくなっていくっていうか。意外と自分ってさみしがり屋だし、かまってほしいようなメッセージを年下の友人に送りまくりました。弱いなっていうのはすごく実感したんですよね」
「夜に星を放つ」に収録された短編の1つ「星の随(まにま)に」は、父の再婚相手との関係に悩む主人公の少年と、東京大空襲の様子を絵に描く高齢女性との交流を描いた物語。窪さん自身がコロナ禍で経験した“出会い”がモデルになっています。
「部屋に一緒に行きましょうか?」とおばあさんは言ってくれたけれど、僕は抵抗した。
「赤ちゃんが夜中に泣くから、母さんが寝られないんです。だから、昼間は二人を寝かしてあげたいから。僕、夕方までここにいます!」
(窪美澄「星の随(まにま)に」より)
窪さん
「私が以前住んでいたマンションのエントランスで、ずっと泣いている子がいるんですよ。“お父さんに叱られておうちの外に出ていきなさいと言われてしまった。赤ちゃんが生まれて新しいお母さんがいてって”ぽつりぽつり語りだして。
部屋でお父さんがリモートワークか何かしていて、うるさくしていたので怒られたんだなというのがパパッとわかったわけなんですよね。
泣いている子をそのままにもしておけないのでちょっと勇気を出して、『じゃあおばちゃん、一緒にお部屋に行って謝ってあげるからお部屋に帰ろうか』と言って連れていったんですよ。
その子との交流って時間にしたら5分にも満たなかったと思うんですけど、今の日本で起こったこととして書き留めておかなくちゃという気持ちはすごくあったと思いますね」
窪さんが生きづらさを抱えた人たちに心を寄せる理由。それは自身の半生にありました。酒屋だった実家が傾き両親が離婚。不登校も経験し、生きる意味を見失いかけたこともありました。
窪さん
「両親が離婚していますし、私自身も離婚しているので、いわれる普通の家庭、両親がそろっていて、子どもが2人いますみたいな形じゃないんですよね。子どもの時は家にお金があったので、私立の学校に入っちゃったんですけど、そのうちどんどん家の経済状態が悪くなってきて、部屋に閉じこもってなんかもうひざを抱えちゃうみたいなことは何度もありましたね。生きていたほうがいいのか、死んだほうがいいのかみたいな」
26歳の時には、生まれたばかりの最初の子どもを病気で亡くした窪さん。
その後2人目の子どもを授かりますが、夫とは離婚。
「夜に星を放つ」では、母親と死別した中学生や離婚で子どもと離ればなれになった男性など、大切な家族を失った人たちの姿も描きました。
窪さん
「最初生まれた子どもが亡くなって30年たつんですよ、30年たつんですけど、やっぱり思い出すんですよ。で、その子がそばにいるような気がして生きているんですよ。その子の分まで生きているんです。その子の分まで生きなくちゃと思って生きているんです。傷を解消して何でもない以前の私に戻りたいっていうのは、やっぱり不可能だと思うんです。
この『夜に星を放つ』って、喪失感がテーマですよねって言われたんですけど、私は喪失感を書いてるつもりがまるでなかったんですよ。人との別れとか、例えば子どもを亡くしたりとかっていうことを無意識に書いてるんですよね。やっぱりそれって自分のテーマとして、自分にべったりとはりついているんだと思うんですよ。多分。それはもう自分にとっては削りとれないテーマだから、どうしても喪失感っていうテーマが出てきてしまうんだと思うんですよね」
生きづらさを抱える人たちに向き合う一方で、窪さんの作品にはその困難に「そっと寄り添う」人たちも多く登場します。
そこにもさまざまな苦しみを経験した窪さんならではの思いがありました。
窪さん
「つらい時に支えてくれたのは家族じゃないんですよね。例えば、子どもが亡くなった時に支えてくれたのは同じような経験をしていた先輩ママたちでした。作家としてデビューする前のライター時代、ものすごく忙しくて、取材とかで保育園に預けても時間切れになっちゃうし、シッターさんに預けても時間切れになっちゃうぐらいの時に周りのお母さんたちが、『本当にあなた忙しそうだから私が見てあげるよ』って言ってくれたりとか、全く血縁関係がない人たちが私を助けてくれたりっていう経験がすごくあります。家族よりもやっぱりそういう人たちに助けられて生きてきたっていう思いがあるので、だから、何とかなるから大丈夫だよって言ってあげたいですね」
窪さんの作品への共感は、30~50代の女性を中心に広がっています。
東京・池袋で開かれた読書会では…。
30代女性
「コロナ禍で離れて暮らすわたしの母が病気になってしまって。それが自分自身に衝撃を与えたっていうか、ものすごくショックな出来事だったんですね。そういう人生において予期していることでなくて突然起こることにどう向き合っていくか、どう乗り越えていくかって考える上で、窪さんの作品は自分自身の心に寄り添ってくれるなって思っています」
50代女性
「悲しいところもあるんですけれど、話の終わりにみんな新しいところに向かってスタートするっていうところに元気がもらえる、そういう作品だなって感じました」
専門家は、窪さんの作品が広く読まれる理由について
「押しつけ合わない“かすかなつながり”が救いとなり共感が広がっているのではないか」と
話します。
東京大学名誉教授 上智大学グリーフケア研究所客員所員 島薗進さん
「今の時代みんな忙しいとか、自分のために生きていると、他の人に冷たく当たってしまう。そういうことは避けられない。特に生活が大変な場合は。いつまで続くか心配みたいな。そういう危なっかしい、とても危うい、いつ崩れるか分からないような世界の上を、しかし、くじけずに生きている。希望を捨てない。
窪さんは現代の孤立、見捨てられて、もう行き場所がないみたいなところを、いつも見失わないで見ているんじゃないかと思います。だから、人の心にすぐ届くのではないでしょうか」
窪さんはこれからも、生きづらさを抱える人たちにそっと寄り添うような作品を届けていきたいと考えています。
窪美澄さん
「社会のひずみって弱いところにいくじゃないですか。女性とか子どもとか弱い立場の人にいくなっていうのは思っていて、その人たちを救いたいって大それたことじゃないんですけれども、その人たちが読んでちょっと心が軽くなってほしいなって。
生きていくことを無しにするのは、無しにしてほしいんですよ。たくさん人生ってつらいことも大変なこともあるんですけど、そこで自分の生を無くすことだけは、繰り返しになるんですけど無しにしましょうよと。それだけは約束してねっていう気持ちがありますね」
読書の秋、最後に、窪さんの人生を支えた1冊を聞きました。
「人生の親戚」大江健三郎著
この作品は、1人は事故にあい車いす生活、もう1人は知的な障害があるという2人の息子を、同時に自殺によって失った女性が主人公の物語です。
窪さん
「大江健三郎さんって若い時に全然触れてこなかった作家だったんですけれども、20代になってから初めて読み始めて、しかも子どもを亡くしたときに読み始めたんですよ。悲しみを抱えたまま生きていくことができるのかっていうテーマなんですよ。別に答えはここにはないんです、読んでも。でも、そういうテーマで大江さんが書こうと思って下さったっていう気持ちをくむと、ちょっとグッとくるものがあるというか、よくそのテーマで書いてくださいましたっていう気持ちになって、大好きな作品です」
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