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沖縄復帰50年 「平和の琉歌」の琉球舞踊で伝えたい“願い”

  • 2022年5月24日

「沖縄には、いちばんひどい基地がある。平和な島になってほしい」
アメリカ軍統治下の沖縄で過ごした仲間賢さん(86)の言葉です。
沖縄が本土に復帰してから50年、今なお日本の米軍専用施設の7割は沖縄に集中しています。こうした中、川崎市でイベントが開かれました。企画した仲間さんの2人の娘が伝えたのは、父親が話した「平和への願い」でした。
(横浜放送局/記者 佐藤美月)

復帰50年沖縄の歴史と平和考えたい

沖縄の本土復帰から50年となることし5月15日。沖縄にルーツを持つ人たちが多く住んでいる川崎市でイベントが開かれました。

(左)姉・仲間恵子さん(右)妹・平明子さん

イベントを企画したのは、川崎市の琉球舞踊の師範、平明子さん(53)と姉で近畿大学非常勤講師の仲間恵子さん(56)です。
沖縄出身の父親のもと、川崎市などで育ちました。沖縄を身近に感じて育ってきた2人は、復帰50年に際して沖縄の歴史や平和について考えたいとイベントを開くことにしたのです。

「平和の琉歌」の琉球舞踊で伝えたい

琉球舞踊の師範である妹の明子さんはイベントで自ら振り付けした琉球舞踊を披露することにしました。
選んだ歌は沖縄のグループ「ネーネーズ」が歌う「平和の琉歌」。桑田佳祐さんが作詞作曲しましたが、沖縄のミュージシャン、知名定男さんも作詞を担当し、本土のことばとウチナーグチと呼ばれる沖縄のことばで歌われています。
これまでの経験を生かして振り付けを考えた明子さんですが、一か所だけどういう振り付けにしようか悩んだ部分がありました。

それは、ウチナーグチで「情知らさなくぬ島ぬ」(なさき)という歌詞。
「情けをしらせたいこの島の」という意味です。沖縄に住んだことがない自分が、歌詞に込められた沖縄の人たちの気持ちをどう表現すればいいのか、わからなかったといいます。

平明子さん
「沖縄の情の表現をどうしたらいいのか悩みました。沖縄では、心のことを“ちむ”と言いますが、手を胸に当ててから広がるような感じに振り付けるようにしました」

父が見た米軍事故と平和への思い

イベントの2日前。2人は、横浜市に住む父親の仲間賢さん(86)のもとを訪れました。
これまで、家族の会話の中でも、過去の経験や自分のことはめったに話したことがなかった賢さんですが、この日は、米軍統治下の沖縄にいたころのことを話してくれました。

貧しくて、育てているサツマイモの葉っぱや茎まで食べていたこと。
米軍が実弾で演習するたびに戦争を経験しているお年寄りがひどく怖がっていたこと。
本土に行くときにはパスポートが必要で、事前の思想検査にパスできないと渡航できなかったこと。
そして、賢さんは、ある事故の現場を目撃したときことを話し始めます。姉妹も初めて聞く話でした。

1959年 宮森小学校 米軍機墜落

本土復帰前の1959年。うるま市(当時の石川市)の宮森小学校にアメリカ軍機が墜落し、児童を含む18人が死亡。この事故の現場を直接見たというのです。

仲間賢さん
「悲惨ですよ。現場をみるとね、お年寄りの人たちは大声で泣いていた。子どもがいないとか、親戚の人が亡くなったとか、このときの事故では(小学校の周りにあった)バラックみたいな家もみんな潰された。沖縄っていうところは、一番ひどい基地があるなと。だから早く日本復帰して、米軍基地を無くさないといけない、そういう気持ちだった」

「復帰したら基地はなくなると思っていた?」という恵子さんの問いかけに、賢さんは「そりゃなくなると思ってましたよ」と即答しました。

仲間賢さん
「沖縄は戦争を体験しているからね。僕はね、皆さんが、戦争に巻き込まれないような世の中になってほしいよ。平和であってほしい」

“平和の島”へ願いをこめて

迎えた5月15日。川崎市の会場には賢さんも訪れました。

姉の恵子さんは、沖縄の歴史について紹介し、本土復帰の時の沖縄県民の願いを伝えました。

仲間恵子さん
「沖縄の人が願ったのは、基地のない平和で豊かな沖縄県です」

明子さんは、父の話した沖縄の人たちの思いを胸に平和への願いを込めて踊りました。

「平和の琉歌」歌詞(一部) 
「この国が平和だと誰が決めたの?人の涙も渇かぬうちに」
「蒼いお月様が泣いております」
「未だ
終わらぬ過去があります」
「情知らさなくぬ島ぬ」

訪れた沖縄
出身の人

涙が出てきました。平和な島になりますように。

訪れた人

沖縄だけでなく世界に戦争がなくなり平和になってくれたらと思います。

仲間賢さん

心にしみます。私は永遠に平和を願っています。

復帰から50年たってもなお叶わない、「平和の島」への願い。明子さんは、これからも踊りに込めて伝え続けようと考えています。

平明子さん
「沖縄の現状を少しでも知っていただいて、隣り合わせに基地があるということを考えてくれたらと思います」

取材後記

明子さんが選んだ「平和の琉歌」は、本土のことばでも歌詞が書かれているほか、振り付けには祈りのポーズなども使われていて、本土で生まれ育った私の心にも平和を願う沖縄の人たちの思いが響いて来ました。
基地負担の問題は、簡単には解決しないかもしれませんが、沖縄に過剰に基地が集中していることは事実で、国も軽減が必要だとしています。これまで解決できなかったことを振り返り、本土復帰から50年を機に、日本全体で改めて考えていくためにも、川崎の地で明子さんたちが訴えた思いをしっかりと受け止めなくてはならないと感じました。

  • 佐藤美月

    横浜放送局 記者

    佐藤美月

    2010年入局。甲府局、経理局を経てことし7月から横浜放送局。児童福祉や教育などをテーマに取材。

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