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パラ閉会式のピアニスト西川悟平 “7本指”の肩書きはもういらない

  • 2021年9月21日

東京パラリンピックの閉会式でフィナーレを飾った名曲「この素晴らしき世界」を演奏したピアニストの西川悟平さん(46)は、感想をこう語りました。
「 “7本指で弾いている”というアナウンスが一度も無かった。ただただ自分が弾いた音だけが、世界中に響いている。それがすごくうれしかった」
たぐいまれなる才能で若くしてスポットライトを浴びたものの、指が思うように動かなくなる難病「局所性ジストニア」で絶望の淵に立たされ、それでもなんとか動く7本の指でピアノを奏でてきた西川さん。「夢の舞台」だった閉会式を終えたいまの思いを聞きました。
(首都圏局/ディレクター 吉岡展史)

病と向き合い かなえた夢

西川さんを訪ねたのは閉会式の1週間後。都内で開かれたコンサートの本番前でしたが、準備もそっちのけで、パラリンピックの閉会式に出演した時の様子を話してくれました。

西川さん
「上空をヘリコプターが飛んでいて、スクリーンには空からの映像が流れていて、7万5000の客席とアスリートとほかの出演者がいて、その真ん中に自分がいて!すごい緊張していましたが、本番は静かな台風の目の中にいるような気持ちで、“あ、今夢の中にいるんだ”と思いながら弾いていたと思います。この日をずっと夢見てやってきて、ああ終わっちゃう…と」

このことばを少しでも理解するためには、西川さんが難病と向き合ってきた20年あまりの日々を知ることが欠かせません。

アメリカデビュー直後の発症

15歳からピアノを始めた西川さんは、3年後にアメリカのオーケストラとピアノコンチェルトを共演するなどその才能を認められ、2000年にはあのカーネギーホールで演奏するまでになりました。
そこに襲いかかったのが、難病「局所性ジストニア」です。

「局所性ジストニア」は指などの筋肉が引きつるなどして自由に動かせなくなる原因不明の難病で、同じ動作を長時間繰り返す音楽家などが多く発症することでも知られています。
西川さんの場合、日常生活では症状は現れませんが、演奏しようとすると指が握り拳のように内側に曲がってしまいます。演奏で動かすことのできる指は、左手は主に人差し指と親指の2本だけで、右手と合わせて7本。どの指も調子次第では今もけいれんを起こします。
あらゆる治療法を試したものの、行く先々の病院で「一生ピアノを弾くことはできない、少なくともプロとしての再起は不可能だ」と告げられました。

西川さん
「ピアノを始めてから、たとえば1日8時間練習してきたとして、その時間がすべて無駄になってしまった。しかも将来もない。治療するすべもない。なんでオレなんだ、なんでこんなことになってしまったのか。自分は何者で、何のために生まれてきたんだろうとアイデンティティを失いました」

ピアノでの収入がなくなり、清掃員の仕事などで食いつなぐ日々。
もう一度演奏したいとリハビリに励むものの、両手合わせて5本程度の指がかろうじて伸ばすことができるだけで、満足にピアノを弾けない状態が続きました。

きらきら星と子どもたちが気づかせてくれた

転機となったのが西川さんに舞い込んだ子どもの音楽教室での演奏の依頼でした。
頼んだのは知人である幼稚園の先生。病気のことは知っていましたが、かつて西川さんの音に惚れ込み演奏会に何回も足を運んでいてくれたこともあり、少しでも支えになりたいと申し出たのです。
おそるおそる動く指だけで弾いたのは、「きらきら星」でした。

「ド・ド・ソ・ソ・ラ・ラ・ソ♪って弾いたら、子どもたちが『きゃー』って言って、踊って歌ったんです。この子たちはひん曲がった指なんか気にしていないし、めちゃくちゃな指使いも気にしていない。聞こえてくる音だけに喜んでいる。そのときに電気が走ったみたいにパッとひらめいたんです。“いま動く指だけで弾ける曲を弾こう”って」

西川さんは再びピアニストとしての道を歩もうと決意しました。

“7本指のピアニスト”誕生

医師も見放した西川さんの指。それでも、禅からインスピレーションを受けて編み出したという独自の方法でリハビリを重ねました。
例えばド・ミ・ソの手の形を作り、鍵盤を押さえます。そしてその手の形を何十秒、何分もの間、保つのです。けいれんが起こりそうにならないよう逆の手でさすり「大丈夫、大丈夫」と話しかけながら、繰り返しました。
いわく、「神経が言うことを聞かないので、筋肉に形状記憶させる」そうです。

はじめは約3分の曲を7年かけて弾けるようになるという気が遠くなるような道のりでした。それでも必死の練習によって大きな気づきが得られたと言います。

「超絶技巧や速い演奏ができなくなり、ゆっくり一音ずつ練習したことで、今まで自分自身で聞こえていなかった音の響きが聞こえるようになったんです。音の中に音がある、そんなことがわかるようになりました。この病気が自分の可能性を追求していく喜びを教えてくれたんです」

こうしてカムバックを果たした西川さんは「7本指のピアニスト」として注目され始めます。難しい曲や派手な曲を弾くことができなくても、リハビリで培った一音一音を大切にする演奏で、カーネギーホールやスタインウェイホールといった名だたるホールで再びコンサートを開くまでになったのです。

2018年福岡公演より「Time to Say Goodbye」(4分33秒)

可能性を証明したい

ピアニストとして復帰した西川さんは新たな夢に向かい始めます。それが、東京2020大会の舞台で演奏することでした。

「最悪の出来事も最高の出来事に変わることがあるということを伝えたい。僕がそのことを果たせたら、それを証明できる」

筆者が3年前に取材したとき、西川さんはすでにスマートフォンの待ち受けを東京大会の招致活動で使用されたロゴに設定していました。それを見て毎日モチベーションを上げていると語ってくれたのです。
「この人は必ず夢を叶えるのだろうな」と感じたのを、今でも覚えています。

そしてことし6月、西川さんのもとに、パラリンピック閉会式での演奏の依頼が届きました。
曲は、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」。当時のベトナム戦争の絶望から生まれた、何気ない風景や人々の営みの中に喜びを見いだしていく曲です。

私には緑の木々が見える
赤いバラの花々も
私と君のために咲いているんだ
そしてひとり思うんだ
なんて素晴らしい世界だと

西川さんは、かつて絶望の中で弾いた「きらきら星」に光を見出した自分自身とこの曲を重ねるようになっていったと言います。

「この曲の美しいなと思うところは、何も押しつけないんですね。すれ違う人々は笑顔で『元気かい?』って声をかけ合いながら『愛してるよ』って言い合っている。なんて素敵な日々なんだ!と。多様性って美しいよねって、それだけでいいんだよね。
発症したころ、『ジストニアの人を紹介してあげる』と言われても会いたくなかった。自分の指のことすら認めたくなくて、障害のある人と一緒にいたくなかったんです。この曲はそういうことを全部超えていて、なんて自分は小さかったんだろうと」

閉会式に向けて1日10時間以上の練習や曲についての勉強を重ねた

実は「この素晴らしき世界」と、かつて西川さんに再起へのきっかけを与えた「きらきら星」のメロディーは、リズムこそ違うのですが、同じ音階でできています(前者が「ドードドソー、ラーララソー」、後者が「ド・ド・ソ・ソ・ラ・ラ・ソ」)。偶然のできごとではあるのですが、私は運命的なものを感じざるを得ませんでした。

“7本指で弾いている”紹介がなかったうれしさ

そして、パラリンピック閉会式本番。
万感を込めた演奏の中、西川さんに「ある思い」が去来していたといいます。

「今回うれしかったのが “7本指で弾いている”というアナウンスが一度も無かったので、誰もそのことを知らないんですよ。自分のコンサートみたいなトークもないし、テレビにもあまり映らなかった(笑)ただただ自分が弾いた音だけが、最初から最後まで世界中に響いている。それがすごくうれしかったんですよ。終わったあとに多くもらったメッセージも『もう7本指って肩書き、使わなくていいんじゃない?』って。音楽を通じて癒やされてほしい、メッセージを伝えたい、というところでは指が7本だろうが、10本だろうが共通なんだなと改めて気づきました」

演出プログラムが秒単位で厳密に定められ、ミスが許されない閉会式で、「本番中に指がけいれんしたらどうしよう」という不安と戦いながら演奏したという西川さん。フィナーレの8分11秒間を、見事に弾ききりました。

「病気になったあと、あれだけ無理と言われ続けても、周りの人の支えもあってここまでたどりつくことができたんです。“ほら、できたじゃん!”って。軽い言葉のようだけど、それを東京から世界に発信したかった。それを証明することで自分のやってきたことに説得力がつきますよね。コロナ禍が終わったら全国の子どもたちに会いに行くことがこれからの夢。僕よりも若い人たちに、この話を音楽とともに伝えていきたいんです。何か大きなことをするのではなく、一人一人に寄り添い合えるような演奏活動をしていきたいと考えています」

取材を終えて

「吉岡さん、このスタジオにバイオリンあるから一緒に弾こうよ!」
趣味でバイオリンをかじったことがあり、以前の取材でそのことを話した私に西川さんはインタビューが終わるやいなやこう誘ってくれました。弾いたのはもちろん「この素晴らしき世界」の一節です。
その時間は、西川さんが世界中から注目されたピアニストであることも、指に障害があることも頭からなくなり、純粋に音楽を楽しむことができました。
もし今後誰かに「西川さんは7本しか指が動かないのにすごいピアニストだね」と言われたら、私はこう返します。
「指に関係なく、西川さんはすごいんだよ」と。

  • 吉岡展史

    首都圏局 ディレクター

    吉岡展史

    2013年入局。佐賀局などを経て、2019年より首都圏局。音楽や美術などの文化・芸術をテーマにした取材を行っている。

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