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「天国の巧さんに届け」西武・栗山巧選手2000本安打 交流秘話

  • 2021年9月10日

9月4日、2000本安打を達成したプロ野球・埼玉西武の栗山巧(たくみ)選手。その栗山選手を応援し、小児がんのため16歳の若さでことし亡くなった同じ名前の巧(こう)さんという1人のファンがいました。

(さいたま局 所沢支局/高本純一)

小児がん 視力失うも野球ファンに

埼玉県狭山市の野々村毅さんと長男の巧さんです。3歳の時に脳腫瘍が見つかった巧さん。視力も失いました。
小学5年生の時、初めて野球観戦に連れていってもらうと、すぐに野球のとりこになりました。
毅さんは、目の見えない巧さんに野球盤を使ってルールを教えました。その後、点字のプロ野球12球団の選手名鑑を読み込んで、毅さんよりも野球が詳しくなったといいます。
巧さんが、球場で必ず持っていたのが小型ラジオです。

野々村毅さん
「片耳は実況を聞いて、片耳は現地の歓声を聞いていました。常に野球が一番の楽しみで、ライオンズのことをいつも見ていました」

中でも、同じ名前だった栗山巧選手の勝負強いバッティングにひかれ、すぐに大ファンになりました。愛用していたユニフォームには「巧」の文字。栗山選手に見えるように掲げて、「栗山さん、ナイスバッティングです!」と声援を送り続けました。

栗山選手も、いつも熱心に応援してくれる巧さんに気づいていたといいます。

西武 栗山巧選手
「ご家族で球場に来られる様子っていうのは、グラウンドからでも見えていて非常に熱心にね、すごくひたむきに応援してくれた、そういう子どもだったと思います」

「天国に届くと信じて頑張る」

栗山選手の2000本安打達成を楽しみにしていた巧さん。去年11月には、地元で試合を観戦し、栗山選手の活躍に喜んでいました。

しかし、試合観戦からわずか2か月ほどの去年の年末、巧さんの体調は急に悪化。その後回復せず、ことし1月、16歳で亡くなりました。2000本安打達成を見る夢も叶えることができませんでした。
2週間ほどして、毅さんは栗山選手に手紙を送って、巧さんが亡くなったことを伝えました。

栗山選手への手紙より
「いつも試合前の声がけでお返事をいただきありがとうございました。目の見えない息子はいつも励まされていました。一番の思い出は、観戦した帰りの新大阪駅で栗山選手と中村選手にサインをいただいたことです。もっともっと一緒に応援がしたかったです。
栗山選手のユニフォームを纏い、応援グッズ満載で送り出しました。きっとこれからも天国で応援していると思います」

栗山選手は感謝の思いから、ことし4月、野々村さん家族を特別に練習から招待し、今後の活躍を誓いました。

西武 栗山巧選手
「巧さんが亡くなったことを私が聞いた時は急なことだったもので、すごく動揺したのを覚えています。やはり心の中では、ずっとつながっていると思っていますので、ぼくの活躍が必ず、天国の巧くんに届くものだと思って、そう信じて頑張っていきたいと思っています」

8月、2000本安打の達成が迫った栗山選手。毅さんは、巧さんが愛用していたユニフォームを掲げて応援しました。
「巧の分身だと思って一緒に応援しています。きっと天国から巧も同じように応援していると思います」

2000本安打達成 「天国で友人とみていたと思う」

そして、9月4日、栗山選手は2000本安打を達成。

毅さんは、「栗さんやったよ、2000本安打、よかったね」と、巧くんに報告しました。

野々村毅さん
「できれば、一緒に喜びたかったですけど、天国で友人と一緒に見ていたと思います。本当に、巧はもちろんですけど、われわれにとっても支えでした。これからも巧の分までしっかり応援していきたいと思います」

取材後記

毅さんと巧さんは、年間30試合程度、所沢だけでなく北海道や関西の球場などにも足を運び、西武の試合を楽しんだということです。親子で栗山選手の2000本安打を楽しみにしていた話をする毅さんの姿が印象的でした。
巧さんが熱い思いで声援を送った栗山選手も、ていねいに私の取材に応えていただき、ファンを大切にする栗山選手の姿勢を感じました。栗山選手は、小児がんの子どもたちへの支援など社会貢献活動にも力を入れています。巧さんのような子どもたちのためにも、これからも活躍を続けてもらいたいと思います。

  • 高本純一

    さいたま局 所沢支局

    高本純一

    所沢市など埼玉県西部の地域のニュースや話題を取材。

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