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私もヤングケアラーだった ~子どものSOS 支援につなげたい

  • 2021年8月27日

幼いころ、精神障害がある姉のケアを続けた20代の男性。昼夜逆転の生活に耐えかね、庭の物置にベッドを持ち込んで眠るようになりました。辛い胸のうちを相談した学校で言われたのは、「力になれない」ということばでした。

男性はいま、自身の体験を元に、ヤングケアラーへの支援の輪を広げようと活動しています。
(宇都宮放送局/記者 北村基)

精神障害の姉は夜ごと相談に 私は物置で眠った

栃木県那須塩原市の仲田海人さん(27)。
障害者などのリハビリを手助けする「作業療法士」として働いています。
かつて、精神障害のある姉のケアに、両親とともに関わったヤングケアラーでした。

仲田さんと姉

当時、仲田さんは両親と姉の4人暮らし。幼いころはよく家族でキャンプや映画に行きました。
やんちゃだった仲田さんの面倒をいつも見てくれていたのが、3つ上の姉でした。
しかし仲田さんが小学校高学年のころ、明るくて頼りになる姉は、精神的に不安定になり、そこから生活が一変しました。

仲田海人さん
「姉はすごく不穏になって、不安でしかたない、余裕がないという感じになりました。家で親と話してもめることが増えてきて、自宅に警察が来ることもありました」

いさかいの絶えない家庭での張り詰めた生活。
姉は、仲田さんの部屋にも毎晩のように「相談がある」とやってきました。

寝られない・・・

仲田さん

それは辛いね

 

友達からひどいことを言われているように思う

仲田さん

勘違いだから安心しなよ

こんなやりとりが繰り返され、眠れない日々が続きました。昼夜逆転の生活に耐えきれなくなって、庭の物置にベッドを持ち込んで眠るようになりました。

仲田さん
「プレハブみたいなものなので、雨が降るとダダダダダと屋根をたたく音が聞こえるような大変な環境でした。それでも、人が怒る声などが聞こえる環境に比べると相対的に穏やかに過ごせる逃げ場所でしたね」

「力になれない」カウンセラーの回答に絶望

周囲に助けを求めたこともありました。
受験を意識し始める高校生のとき、最初に声をかけたのは担任の教師でした。
話は聞いてもらえたものの、「解決策を持ち合わせていない」とスクールカウンセラーを紹介されました。
仲田さんは改めて苦しい胸の内を伝えましたが、返ってきたのは「力になれない」ということばでした。

仲田さん
「目の前で僕の家庭の状況を聞いて涙を流しながら『僕は君の心の整理のお手伝いはできるのだけれども、君の家庭には何もできない』と断言され、絶望しました」

家族を無視してまで自分の夢を叶えられない

高校卒業後は大学で福祉や医療を学び、いまの「作業療法士」の道に進みました。
工学部でロボットづくりに関わりたいという夢もありましたが、家族を無視して自分の夢を叶えることに罪悪感を感じたからでした。

当時の選択は「本意ではなかった」と振り返る一方、「悔いはない」といいます。
大人になってから、国が進めている介護ロボットの製作に福祉分野の専門職として携わることもできました。こうした経験を踏まえ、「色々あるけど、やりたいことには関われている」と受け止めています。

仲田さん
「家族のことに向き合わないかぎり、あとあと自分に降りかかってくることなのかなと10代ながら思っていました。制約はありましたが、そのときそのとき最大限自分がやりたいことを探して選んできたので、後悔はありません」

みんなで支えよう 動き出した地域

仲田さんは、今年3月に那須塩原市で発足した「ヤングケアラー協議会」の一員として活動しています。

参加しているのはほかに、社会福祉協議会や福祉関係者、教育関係者、市議、地区の自治会長と多様な人たち。月に1度集まり、家庭に貧困や社会的孤立などの問題を抱える子どもたちをどのようにサポートできるか、具体的な事例をもとに検討しています。
仲田さんは、当事者の立場から経験とアドバイスをしています。

社会福祉協議会の職員
「1つの業種で抱えることなく、多くの人が得意な部分を生かしながら、地域全体で支えていきたい」

協議会の一員として、仲田さんはいま、教育現場で「ヤングケアラー」への理解を深めてもらおうと啓発に取り組んでいます。
かつて自分のSOSに応えてもらえなかった経験から、子どもたちと接する機会の多い教員にこそ、知ってほしいと考えているのです。

仲田さん
「国の調査のデータを見ると、子どもたちの相談先は、家族、友達、次いで学校の順で多いです。身近に相談できる人がいないと感じて、そもそも相談しない子どももいます。だから、子どもたちに近い大人がケアに関して意識を向けてほしいと思います」

その上で強調するのは、「学校だけで全部を解決する必要はない」ということです。
地域全体で家庭を見守り、健康面や経済面など必要な支援を模索していく。
ふだんの仕事の延長線でもいいので、できることを考えてほしいと仲田さんは話します。

大人になってからもケアを

もう一つ、仲田さんが考えていることがあります。
それは、「ヤングケアラー」の“その後のケア”です。
子どものころから、きょうだいのケアに関わってきた人の中には、いまも介護や支援をしている人もいます。仲田さんは、そうした人たちがつらさを打ち明けられる機会を定期的に設け、「1人で悩まないでほしい」と訴えています。

仲田さん
「今こうしてヤングケアラーの問題が注目されていますが、決してヤングではこの問題は終わらない。ケアの必要は、大人になってもなくなるわけじゃないです。福祉につながらない限りケアラーの状況は変わらないので、そこも解決していく必要があります」

取材後記

取材の中で最後に言い足りないことを聞くと、仲田さんは「家族への愛情と辛かった記憶は別のものということを理解してほしい」と話しました。

仲田さんは度重なる質問にも丁寧に言葉を紡いでくれましたが、家族や親戚の中には反対意見もあったと思います。勇気を持って話をしてくれたことに感謝します。
家族について話すことへの抵抗感が少しでも減るように。そして勇気を出して発したSOSがしっかり受け止められる社会になるように。今後も継続して報道を続けていかなければならないと感じました。

NHKではこれからも、ヤングケアラーについて皆さまから寄せられた疑問について、一緒に考え、できる限り答えていきたいと思っています。

ヤングケアラーについて少しでも疑問に感じていることや、ご意見がありましたら、自由記述欄に投稿をお願いします。

疑問やご意見はこちらから

  • 北村 基

    宇都宮放送局 記者

    北村 基

    平成29年入局。宇都宮局が初任地。現在は医療分野の取材を主に担当。

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