WEBリポート
  1. NHK
  2. 首都圏ナビ
  3. WEBリポート
  4. 学校の性教育で“性交”を教えられない 「はどめ規定」ってなに?

学校の性教育で“性交”を教えられない 「はどめ規定」ってなに?

  • 2021年8月26日

「子どもを性暴力の当事者にしないために」
ことし4月、文部科学省が一部の学校で試験的にスタートさせた『生命の安全教育』。自分の体を大切にすることや、性暴力に対する正しい認識を身につけることで、子どもが性暴力の被害者や加害者、そして傍観者になることを防いでいこうという教育プログラムです。
しかし、プログラムが作られる過程で、「はどめ規定」と呼ばれる決まりをめぐって議論は紛糾しました。性暴力についての教育なのに、「性交については教えられない」というのです。「はどめ規定」とは、いったい何なのでしょうか。
(首都圏局/ディレクター 谷圭菜)

「生命の安全教育」で紛糾した議論

文部科学省が4月から始めた『生命の安全教育』には、次のような内容が盛り込まれています。

・他人が勝手に触れてはいけないプライベートゾーン
・カップル間で起こる暴力・デートDVの危険性
・SNSで人と出会うことのリスク など

複数の公立の小中高校で試験的に始められています。目指しているのは「性犯罪の加害者にならない、被害者にならない、傍観者にならない」こと。子どもたちを性被害から守るためには、“教育”という観点からも特に学校の役割は大きいとされました。

出所:文部科学省「生命の安全教育教材」中学生

しかしこのプログラムを作る過程では「子どもに何をどこまで伝えるか」をめぐって議論が紛糾したといいます。懸案となったのは、性交=セックスについて。議事録からは、性交について教えるべきだと主張する有識者に対し、文科省側は「その必要はない」という姿勢を示したことがわかります。
以下、その一部です。

西澤委員「現在の学校教育では、性行為自体は教えないのか」

文科省「学習指導要領の中には『はどめ規定』があり、性行為は取り扱わないことになっている」

西澤委員「子どもたちに性暴力について教えるためには、性行為を含め、性と暴力の両方を教えなければならないと考えている。性行為自体を教えないことが合理的であるのかを再検討する必要がある」

文科省「『はどめ規定』では、性的接触や性行為という文言を一切使ってはいけないというわけではない。『はどめ規定』が適用されるのは、中学1年生の受精や妊娠を学ぶ部分であり、『妊娠の経過は取り扱わない』という表記がある。中学校3年生の授業で性感染症について扱う際にはコンドームについても教える」

西澤委員「挿入は教えないがその周辺部分は教えることについて、合理的な理由を教えてほしい」

この議事録で文部科学省に疑問を投げかけているのが、去年からことしにかけて、4回にわたって開かれた「生命の安全教育」の検討会に委員として参加した山梨県立大学の西澤哲教授です。
西澤さんは子どもの虐待やトラウマの専門家で、性虐待の被害児童と数多く接してきた経緯から次のような疑問を感じたと話します。

西澤さん
「そもそも“性交”を説明せずして、性暴力や性被害は何なのか、ということを子どもたちは理解できないでしょ。自分が子どもだったら、性暴力とか性被害って具体的にどういうこと?ってなりますよね。この教育を行うねらいを達成するためには、“性交”は避けて通れない道です。でも文科省の担当者からは『「はどめ規定」があるので、性交には触れない方向でいきたい』と言われました」

検討会では、最終的に“性交”については取り扱わないことが決まりました。

「はどめ規定」ってなに?

議論の中でたびたび登場する「はどめ規定」とはいったい何なのでしょうか。

日本の教育課程では、中学1年生のときに、成長に伴い男女の体がどのように成熟していくかや、ヒトの受精卵がどう胎内で成長するのかを学びます。しかし教科書には、受精の前提となる性交についての記述はありません。その理由は、国が定める学習指導要領に「妊娠の経過は取り扱わないものとする」という一文があるためです。これが通称「はどめ規定」と呼ばれています。

現在、性に関する内容で、学習指導要領に記載されている「はどめ規定」は2つ。

■小学5年の理科…「人の受精に至る過程は取り扱わないものとする」
■中学1年の保健体育科…「妊娠の経過は取り扱わないものとする」

この「はどめ規定」が存在することにより、学校の教育の中で「性交」について教えることは避けられる傾向が続いてきました。

“取り扱わない”けど“取り扱ってもよい”

しかし、そもそも学習指導要領は、すべての児童生徒に対して指導する必要がある内容を示している「最低基準」にすぎず、そこに示されていない内容を加えて指導することもできる、とされています。

では「はどめ規定」の内容に関しても、学校で指導することが可能なのでしょうか。
文科省の担当者に聞くと「『はどめ規定』の内容についても、各学校でその必要性があると判断すれば、指導することはできる」との回答が示されました。その上で、学校内で性に関する指導を行う場合は、次の4点に留意することを求めています。

・児童生徒の発達段階を考慮すること
・学校全体で共通理解を図ること
・保護者や地域の理解を得ること
・集団指導と個別指導の内容の区別を明確にすること

「はどめ規定」のナゾ 経緯分かる文書は存在せず

文科省によると、この「はどめ規定」が学習指導要領に初めて記載されたのは、1998年の学習指導要領改訂時だそうです。
その経緯を知ろうと、文科省に対して行政文書の開示請求を行いました。             
しかし、1998年に初めて「はどめ規定」が記載された経緯が分かる文書は、文科省から送られてくることはありませんでした。

「はどめ規定が記載されるまでの経緯の詳細を示す文書はございません」

文部科学省の担当者から返ってきた答えです。

素直な関心に答えられない

「はどめ規定」があることで、学校の性教育はどのような影響を受けているのか。
都内の中学校で30年以上、家庭科の教師として子どもたちに接してきたAさん(56歳)に話を聞きました。これまで6校で教鞭をとってきましたが、どの学校の子どもたちからも、ある質問をされてきました。

「先生!どうやって人は妊娠するの?」

子どもたちは“性”について素直な関心をもっている。そう考えるAさんは赴任先の学校では校長や他の教師の理解を得ながら性教育を行ってきました。
しかし2年前に異動した都内の中学校では状況が違っていました。職員室で校長が周りの教師たちと性教育について話しているのを耳にしたのです。

「性教育はやりすぎてはいけない。『はどめ規定』は教科、学年にとらわれず遵守するもの。
やりすぎると足立区の公立中学校のように、やり玉にあげられる」

教師たちを萎縮させた“足立区の出来事”

“足立区の学校のように”と言われる出来事は2018年3月に起きました。
足立区の中学校で3年生を対象に行われた総合学習の授業「自らの性行動を考える」。この性教育の授業が“学習指導要領を逸脱しており不適切”と厳しい批判を浴びたのです。当時、この授業を行っていた樋上典子さんに話を聞くことができました。

樋上さんは、若年層の望まない妊娠が貧困につながることや、高校1年生の中絶件数が中学までの総数の3倍に跳ね上がる実態があることから、生徒たちに性の正しい知識を身につけてもらう必要があると考え、授業を行いました。生徒たちの自由な話し合いを大切にし、「自分で子どもを育てられる状況になるまで性交は避けた方がよい」と話したうえで、避妊の方法や中絶が可能な期間が法律で決まっていることなど、より踏み込んだ知識を伝えました。

学習指導要領では、避妊や人工中絶は高校で扱う内容になっています。しかし、樋上さんがここまで踏み込んだ内容が必要だと考えたのは、子どもたちが誤った情報に振り回されていると感じていたからです。
授業の前のアンケートで避妊や人工妊娠中絶についての知識を問うと、ほとんど不正解。
一方で、生徒の3割弱が「中学でも同意すれば性交してよい」、4割以上が「高校生なら性交してもよい」と答えました。性への関心は高いのに、自分を守る術や情報を持っていないことが明らかになりました。

樋上さんは授業を行うにあたり、内容を事前に保護者に知らせ、区の教育委員会にも授業計画を提出。対象は中学3年生のため、「はどめ規定」にも触れていません。さらに、文科省が示した4つの留意事項に配慮した上で実施しました。

授業のあと、「性交してもよい」と考える生徒の割合は減少。生徒の感想文には「性に関する正しい知識を学ぶことができてよかった」「性は嫌らしいこと恥ずかしいことだと思っていたけれど、そうではなかった」という声がありました。
保護者から苦情はなく「性教育は家庭でなかなかできないからありがたい」という声も寄せられたといいます。

しかしその11日後。この授業は厳しい批判を受けることになりました。
議員が都議会で「発達段階を無視」した「不適切な性教育」ではないかと疑問を呈したのです。

「…避妊するためにピルの入手方法とか、コンドームの使い方とか、中学生に教える内容として、父兄の見ていた方も、これが果たして今の中学3年生に、授業で取り上げて、そういう指導をすることがふさわしいのかどうかということで疑問を持った方も多かったようなんですね」
(2018年3月16日文教委員会 自民党議員)

これに対し、都の教育委員会は「課題があった」と答弁しました。

「小中高等学校のいずれの学習指導要領にも示されていない性交について扱ったり、避妊、人工妊娠中絶といった学習指導要領上、中学校ではなく、高等学校で指導する内容を取り上げたりしており、中学生の発達段階に合わない内容、指導がなされておりました」
(2018年3月16日 文教委員会)

都は、当時のNHKの取材に対し「(授業を)やめるべきとは考えていない」と答えています。しかし樋上さんは、現場の教師たちが性教育を行うことをためらわせる出来事になったと考えています。

樋上さん
「学習指導要領はあくまで最低基準。学校全体で必要と判断したならば、学習指導要領や『はどめ規定』を超える内容を教えてもいい、と文科省も言っているのに、なぜ批判されなければいけないのか」

世界に大きく遅れた日本の性教育「はどめ規定」は不要

国内外の性教育に詳しい専門家は、「日本は取り残されている」と指摘します。
女子栄養大学の橋本紀子名誉教授は、これまでヨーロッパやアジアで性教育に関する教科書を集め、現地調査も行ってきました。

性交や避妊方法をドイツは小学校高学年で、フランスやオランダ、フィンランドは中学校で教えると言います。また、2009年にユネスコが公開した包括的性教育の枠組み「国際セクシュアリティ教育ガイダンス(2018年に改訂)」の生殖に関する項目では、5~8歳の段階で「赤ちゃんがどこから来るのかを説明する」ことを目標にしています。ヨーロッパの国々をはじめ、アジアでは台湾などがこのガイダンスを踏まえて性教育の方針を打ち出しているのです。

オランダの中学生向け教科書 安全な性行為や注意が必要な性行為をイラストつきで解説

橋本さん
「海外と比較すると、日本は井の中のかわずです。現場の教師に教える力がないのではなく、学習指導要領やその『はどめ規定』にとらわれて、教えることができないのです。そもそも『学習指導要領や『はどめ規定』を超える内容を教えても問題ない』と国も言っているのですから、わざわざそれを残しておく必要性が全く分かりません。『はどめ規定』をなくすことが、日本の性教育前進の大きな一歩になると考えます」

葛藤続く教育現場

日本の教育現場では、いまも葛藤が続いています。
教鞭をとる中学校で「性教育をやりすぎるな」とくぎを刺されてきたAさん。生徒たちに必要な知識を教えないままで送り出すことはできないと、卒業間近の中学3年生に独自の性教育を行いました。

全面的に「性」を打ち出すのではなく、新たに18歳で成人となる生徒たちに向けて「成人になるとはどういうこと?」というテーマで授業を始めました。

同性婚や夫婦別姓はなぜ認められないのか。月経とはどういうことか。クイズ形式の授業を始めていくと、生徒たちからは「わたしたちって、そもそもどうやって生まれてくるの?」という疑問も出てきたといいます。質問を受けたAさんは、会話の流れの中で性交について教えました。

Aさん
「授業中に突然、他の教師が見学に来たらどうしよう。内容が生徒から保護者に漏れて、学校にクレームがきたらどうしよう。授業の前はもちろん、授業中もずっと不安でした。それでも『教師を辞めさせられなければいい。それ以外の罰は受けてもいい』という覚悟で授業に臨みました。性教育がこのようにしかできない状況はおかしいのではないでしょうか。生徒たちが知識がないゆえに傷ついたり、困ることが起きてからでは遅いのです」

取材後記

「はどめ規定が記載されるまでの経緯の詳細を示す文書はございません」という文科省の回答には、正直、驚きを隠せませんでした。
どういう経緯で記載されたのか分からない「はどめ規定」に、23年経ったいまも学校現場は縛られ続けています。そして「はどめ規定」があることによって、一番影響を受けるのは“子どもたち自身”です。性に関する誤った情報が氾濫するいま、大人たちに正しい知識を教えてもらう機会はなく、一方で、何かことが起きると、深刻な傷を負うのは子どもたちです。その在り方について、国全体で議論する必要があるのではないか、と取材を通じて強く感じました。

  • 谷 圭菜

    首都圏局 ディレクター

    谷 圭菜

    民放の記者を経て、2016年入局。静岡局・名古屋局を経て、2020年から首都圏局。これまで、引きこもりやいじめ問題などを取材。

ページトップに戻る