「聖火ランナーとして走ることで、病気と闘う人たちを励ましたい」
茨城県で7月4日、5日に行われる聖火リレーのランナーの女性は、長男が4歳の時に小児がんと診断されました。苦しい治療に向き合う中で感じたのが、スポーツの力でした。
(水戸放送局/記者 大野敬太)
常陸太田市の櫻井由子さんは、中学生の娘と息子を育てているシングルマザーです。
聖火ランナーに応募したのは、息子の淳くんの病気がきっかけでした。
7年前、離婚した矢先、当時4歳だった淳くんが、突然、原因不明の腹痛やおう吐に見舞われました。最初はノロウイルスだと診断されましたが、何日たっても治りません。
大きな病院で精密検査をしたところ、医師から告げられた病名は、神経芽腫という小児がんの1つで、ステージ4まで進行していました。
櫻井由子さん
「まさか自分の身に降りかかってくると思っていなかったし、最初は訳も分からず、頼れるところはネットのみで、でもネットで調べると悪いことしか書かれていなかったので、どんどん気分が落ち込んでいってしまった」
すぐに治療を始めた淳くんですが、抗がん剤などの治療は幼い体には大きな負担です。
薬による苦しさで横になることができず、座ったまま眠るしかないという時期もありました。
座ったまま眠る淳くん
治療を続けるうち、淳くんはだんだん治療を嫌がるようになりました。
櫻井由子さん
「『本当にこの子は元気になるのだろうか』って、どんどん痩せ細って、顔色が悪くなっていく息子を見て、『本当に大丈夫なんだろうか』と思いました」
淳くんの前では不安な様子を見せないと決めていた櫻井さん。医師の「腫瘍は確実に小さくなっている」という言葉を信じ、同じように重い病気と闘う親子と励まし合うことで、なんとか気持ちを保っていました。
それでも、死を意識せざるを得ないこともありました。ある日、淳くんといちばん仲がよかった男の子がいたベッドが空っぽになっていたのです。
櫻井由子さん
「あすは我が身なんだなと、いつ息子がそうなってもおかしくない状況ではあったので、自分のことのようにつらかったですね。息子自身も『誰々君は今日来ないの?』とか『誰々ちゃんはどこ行っちゃったの?』という話をしていたので、小さいながらに分かっていたんだと思います」
櫻井さんは、闘病中の淳くんの写真や動画を、たくさん残しています。
「前を向いて歩こう」「プラス思考で考えよう」と毎日を過ごしていましたが、どこかで「もしかしたら亡くなってしまうかもしれない」という思いもあり、淳くんが生きている姿をたくさん残しておきたいと考えたからでした。
淳くんの姿を撮りためた
そんな時、淳くんを励ましたのが、サッカー・水戸ホーリーホックの選手たちでした。
病院の祭りで来てくれたんですよ。写真撮ったり、ハグしてくれたりしました。抱っこもしてくれました。こんな風になりたいなと思った。
『自分もサッカーがしたい』
その強い思いで淳くんはつらい治療に耐え、1年半後、退院することができました。
退院直前 退院したら小学校に行けると喜んでいた
櫻井さんはそんな息子の様子に、スポーツの力を実感したといいます。
櫻井由子さん
「『ホーリーホックの人が来るならこの注射頑張る』とか、『このお薬入れる』と言ってくれたことも何度かあったので、本当に感謝しています。うちの子もそうですけど、それを見て、選手になりたいとか、夢を持つ人ってたくさんいると思うので、本当スポーツの力ってすごいなと思います」
淳くんはこの春、中学生になりました。
夢だったサッカー部に入り、練習に励んでいます。
再発の懸念はあるものの、息子の死におびえていた当時を思うと、今の姿は夢のようだと櫻井さんはいいます。
櫻井由子さん
「今の姿を見ていると、心に来るものはありますね。人間って欲を出してね、次の幸せ、次の幸せと思うかもしれないですけど、こうやって家族がそろって笑顔で日常生活が普通に送れることが一番幸せなんだと思います」
そして、いま、病気と闘う人たちに向けて、こう話してくれました。
櫻井由子さん
「神様って本当に残酷だなと思った事もあるんですけど、それでも乗り越えられる事もたくさんあるので、病気と闘う人たちには、これからつらい治療もたくさんあると思うんですけど、前を向いてあきらめずに頑張ってほしいなと思います。開催について賛否両論ある中で、走っていいんだろうかっていう気持ちもあるんですが、選ばれたからには、見ている皆さんに勇気と希望を与えられる走りをしたいなと思います」
子どもたちも、運動が苦手な櫻井さんにエールを送ります。
走りきってほしいですね、200メートル。
短い距離だけど、頑張って走ってほしいです。
お母さん、頑張ってね!
自分たちの経験が、病気と闘っている人たちにとって一筋の光になってほしい。
櫻井さんは聖火に思いを込めて、7月4日に、地元の常陸太田市を走ります。