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私もヤングケアラーだった~友だちとは違う自分 親子だからしかたない~

  • 2021年6月2日

温かい料理があって、部屋がきれいに片づいていて、家族みんなが笑顔ー。
18歳の男性は、友だちの家に遊びに行って初めて、自分の家庭が周りと違うことに気づいたといいます。
男性もまた、小学6年生のころから、精神疾患を患う母親のケアや家事をひとりで担ったヤングケアラーでした。
(仙台局/記者 北見晃太郎)

精神疾患を患う母親 家事は1人で 学校を休むことも

仙台市に住むタケルさん(仮名・18歳)は、小学6年生の時から5年間、母親と2人で暮らしていました。それまでは児童福祉施設で生活していましたが、母親が「一緒に暮らしたい」とタケルさんに言ったのがきっかけでした。
母親は、タケルさんが生まれる前から精神疾患を患っていました。

タケルさん
「落ち着いている時は普通の人と変わりないんですけど、不安定な時は、ちょっと乱暴になるというか、適当というか、何もやりたくないような感じでした。中3の終わりくらいにはまともに外も歩けない感じでした」

タケルさんは、母親に代わって掃除や洗濯、買い物などのほぼすべての家事を1人で行いました。
母親が病気で働けなかったため、家計も苦しく生活保護を受けていていました。
母親の精神状態が不安定な時は、話し相手にもなりました。
大声で叫ばれることも、たびたびありました。
こんな生活を続けるうちに、週に1回程度、学校を休まざるをえなくなりました。

タケルさん
「学校に行けずにお母さんを世話している時は、友達と遊びたいなと思っていました。勉強も、新しい学期になったときとかわからないことが多かったです。中学に入ってからは英語とかも習いましたけど、全然身に入らなくて…」

それでも「親子だからしかたない」

友だちの家に遊びに行った時の、数少ない記憶。
いわゆる“普通”の家庭を見て、複雑な感情を抱いたことを覚えているといいます。

タケルさん
「友達は両親がそろっていて、部屋も片付いてて、お母さんが料理作ったりしていて…。家族全員が笑顔でいたりするのを見ると、『自分は普通とは違うんだな』と感じました」

周りとの違いは分かっていたものの、自分がつらいとか、誰かに相談しようとは思わなかったといいます。その理由をこう語っていました。

タケルさん
「最初のころは嫌だと思っていたんですけど、あとからは慣れた感じでした。周りに迷惑をかけるのはやめてもらいたいなとは思ってたんですけど…。まあ、親子ですし、しかたないんじゃないかなって思ってました」

母は自殺図るように みずから児童相談所に相談した

タケルさんが中学を卒業するころ、母親の病状が悪化しました。

夜になると「体調が悪い」などと叫んで救急車を呼んだり、パトカーを呼んだりしました。
タケルさんに物を投げつけることも。
ついには自殺を図るようにもなりました。

タケルさん
「包丁を使って刺そうとしたりしていました。初めて見たときはさすがに止めましたけど、いま思えば構ってもらいたかっただけなんじゃないかなとも思います。毎晩のように救急車とか警察を呼んで、俺に当たるようになったりもしたんで、『ちょっとダメかな』って。『一緒に暮らせないな』と思って」

そして高校1年の夏、これ以上周りに迷惑を掛けられないと、タケルさんはみずから児童相談所に相談し、母親は入院することになりました。

「助けてくれる人がこんなにいるんだな」

母親の退院後もタケルさんは母と離れ、1人で暮らすことになりました。
経済的に苦しい子どもを支援しているNPO法人の支援を受けて勉強にも励み、ことしの春に高校を卒業しました。
現在は介護関係の仕事に就いています。

タケルさん
「NPOの人たちは話し相手や相談相手になってくれて、『助けてくれる人がこんなにいっぱいいるんだな』と思いました。俺自身、福祉の方々にお世話になって、そういう人たちぐらいしか働いている人を見なかったので、俺も働くなら福祉なんだろうなって」

「支援があっても気づけない」ヤングケアラーの実情知って

母親の世話や家事に追われる10代を過ごしたタケルさん。“家族の世話をするのは当たり前”。そうした思いが強かったといいます。
自分の状況を自覚することすら難しいヤングケアラーの実情を、もっと理解してほしいと話していました。

タケルさん
「ヤングケアラーという言葉を初めて知った時に、『あぁ、そうなんだろうな』と思いました。『自分はヤングケアラーだったんだな』って。そういう子たちってあまり知らないんですよね。支援があるとは全く思わない。見聞が狭いっていうのかな…。もっと大々的に、『こういう支援がある』と言ってくれないと、支援があったとしても、気付かないと思います」

子どもたちのかすかなSOSに気づくために

「家族だから世話をするのは当たり前」「誰かに相談しようとは思わなかった」取材中に聞いたタケルさんのことばが印象に残っています。

小学生のころから、誰にも相談することなくひとり母親を支え続けてきたタケルさんのことを思うと、あらためてヤングケアラーが抱える問題の根深さを感じました。

国は支援に向けて、ようやく動き始めました。
子どもたちのかすかなSOSに気づくためには、相談を待つといった受け身の姿勢ではなく、タケルさんが言うような、積極的に手を差し伸べる支援が必要なのだと思います。

 

  • 北見晃太郎

    仙台局 記者

    北見晃太郎

    2019年入局。県警担当を経て2020年から気仙沼支局。東日本大震災の被災地取材のほか不登校や子どもの貧困の取材にも励む。

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