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行方不明の小倉美咲さん 娘がいない9歳の誕生日を迎えて

  • 2021年5月31日

これほど悲しい誕生日を私は見たことがありませんでした。
家族がケーキを手作りし、「ハッピーバースデー」を歌って祝う、特別な時間が流れるこの場に、主役の女の子はいませんでした。
1年8か月前に行方不明となっているからです。
女の子の名前は小倉美咲さん。山梨県道志村のキャンプ場で姿を消し、いまも家族が無事を信じて捜し続けています。
(首都圏局/ディレクター 中川雄一朗)

1年生だった美咲さん この春3年生に

小倉美咲さんが行方不明になって、1年8か月がたちます。この間、母親のとも子さんは、各地で情報提供を呼び掛けてきました。「美咲さんに似た子を見た」という情報が入れば、現地に足を運んで聞き込みをするなど、娘の行方を捜し続けています。

当時小学1年生だった美咲さんは、この春、3年生になりました。とも子さんは娘と過ごせなかった歳月の重さを感じています。

とも子さん
「美咲の同級生の子が学校から帰ってくる姿を見ると、美咲も大きくなっただろうなって想像することしかできないし、成長を見守ってあげられないことが本当に申し訳なく思います」

わずか10分の間に… 美咲さんはどこへ

おととし9月21日。とも子さんは、山梨県道志村のキャンプ場を訪れていました。一緒に行ったのは、家族ぐるみの付き合いがあり、何度もキャンプに行ったことがある友人の家族たち。楽しい時間になるはずでした。
午後3時半ごろ、おやつのチョコバナナを食べ終わった子どもたちが沢に水遊びに向かいます。食べ終わるのが遅くなった美咲さんは、一人遅れてその場所に向かうことになりました。

早くみんなのところに行きたい。小走りで向かう娘の姿を、とも子さんは目にしていました。その10分後、大人が子どもたちを迎えに行き、美咲さんがいないことに気づきます。

テントを張っていた広場から、子どもたちが遊んでいた場所までは約100メートル。キャンプ場の道は整備されていて、見通しも悪くなく、とも子さんは子どもが迷うような場所とは思えませんでした。

現場周辺では大規模な捜索が行われ、警察も捜査を続けていますが、いまも有力な手掛かりは何一つ見つかっていません。

家族の日常が一変 互いに気持ちも打ち明けられず

犬や猫が大好きで、お茶目な性格だという美咲さん。自宅でペットのトリミングの店を経営するとも子さんの姿を見て、「将来はママと同じ仕事がしたい」とも言ってくれました。大きくなって、一緒に仕事ができたらどれだけ楽しいだろうな…とも子さんはそんな未来を思い浮かべていました。

とも子さん
「美咲がいるだけで家族の雰囲気が明るくなりますし、ケンカをしたときも変な顔をして笑わせて、気づいたらケンカも無くなってしまうような。いちばん歳が小さいですけど、みんなが頼りにする中心的存在でした」

その美咲さんがいなくなったことで、家族の日常は大きく変わりました。
とも子さんは、仕事にほとんど出られなくなりました。千葉県成田市の自宅から山梨のキャンプ場に通う日々が続き、美咲さんを捜すことが生活の中心となりました。
父親は何とか仕事には行けていたものの、口数が少なくなり、ふさぎがちに。
姉は、現実を受け止めきれず、「美咲」という名前を聞くだけでも泣き出すようになりました。
家族はお互いのつらい気持ちを打ち明けることもできず、いつしか美咲さんの名前を出すことを避けるようになっていきます。

とも子さん
「美咲がいなくなってから、何気ない子どもとの会話だったり、笑顔だったり、それがどれだけ幸せだったのか。身をもって知らされました」

姉が抱えた苦悩「自分が代わりにいなくなれば」

美咲さんの姉がその苦しい胸の内を明かしてくれました。取材にあたっては、とも子さんが何度も姉の意思を確認し、メディアに出ることのリスクも伝えました。それでも姉は「美咲のために頑張りたい」と自ら取材に応じることを決めてくれました。

3歳下の美咲さんには素直に気持ちを伝えられず、たくさんケンカもしました。しかし遊ぶときはいつも一緒で、友達のような、ライバルのような、かけがえのない存在でした。
そんな日常が断ち切られたあの日。姉は、ほかの子どもたちと一緒に先に遊びに行っていました。美咲さんを残して行ってしまったことをずっと責め続けてきました。


「考えれば考えるほど、『自分が悪かった』となっていくから、考えないようにもしていたし。時間が経つにつれて、それが現実だって受け止めなきゃいけなかったから、そのときが一番つらかった。『そんなはずないもん』ってずっと思っていたから」

よく迷子になっていたから、今回もすぐに見つかるでしょ。そう思いながら、一日、一週間、一か月と時間が過ぎていき、美咲さんがいないことを現実として受け止めざるを得ませんでした。

小学校に行けば、周りの子どもから「美咲さんはどこ行ったの?」と聞かれ、そのたびに「どこ行ったんだろうね」と無理に笑顔をつくっていました。

感情を押し殺し、自分に仮面をつくって過ごす日々。笑うことすら許されないと感じるようになり、やがて学校に行くことができなくなりました。


「見た目は変わらないけど、中身がボロボロ、ズタズタだった。あの日から本当に性格が真逆になっちゃって、自分の思っていることを全部隠して生きていて。自分の心の中がバラバラで、自分でも理解できなかった。『自分が代わりにいなくなればよかったのに』って毎日思いながら過ごしていた」

自宅では、行き場のない感情を母親にぶつけるようになります。時には乱暴な言葉を吐いたり、手を出したりすることもありました。周りの人に迷惑をかける自分のことを、さらに追い詰めて考えるようになります。

母親のとも子さんは、そんな姉の苦しみにどう向き合えばいいかわかりませんでした。

とも子さん
「本当は抱き締めて『大丈夫だよ』って言ってあげたかったけど、『嫌だ嫌だ』って暴れていて、抱き締められなくて。その悲しみや怒りを受け止めることしかできなくて、泣き叫んで、荒れている姉をそこで見守ることしかできませんでした」

「このままでは姉の人生が狂ってしまう」向き合った母と姉

行方不明から3か月ほどたつと、姉は親が付き添う形で、少しずつ、少しずつ学校に行けるようになりました。それでも家での様子は変わらず、「学校に行きたくない」という日も続いていました。

「何とか立ち直ってほしい」「このまま育ったら、姉の人生がくるってしまう」そんな自分の思いを伝えたいと思っても、姉を傷つけてしまうのでは…とも子さんの心が揺れ動く中、半年ほどたったある日、意を決して姉と向き合います。これまで口に出さなかった「美咲」という名前を出して、自分の思いを伝えました。

とも子さん
「『美咲は、家に帰ってきたくても帰ってこられないし、学校に行きたくても行けないし、友達に会いたくたって会えないんだよ』って。本当に私も涙を流しながら、話をしたら、姉も涙を流しながら『ごめんなさい』って。2人で1時間ぐらい抱き合って泣いて」

母親の思い。そして、自分がため込んでいた感情。これまでお互いに打ち明けられなかった言葉を伝えたことで、姉はその翌日から徐々に落ち着きを取り戻し、自分から進んで学校に行くようになりました。

私たちが取材に訪れていたある日。姉は母親とソファに座りながら、当時抱えていた思いを振り返りました。

「ママに迷惑かけているし、嫌な思いもさせていて、それで悩んで寝られなかったとか聞いたこともあるし、大変だったんだろうなって思う」

 

とも子さん「お姉ちゃんになったね。初めて娘の口から聞きました、今の言葉は。改めてそう思っていたんだなって、色々思っちゃいました。大変だったね、辛かったね。この1年半で本当に成長したなって思います」

 

「成長するしかなかったんだ」

 

いまでは家族の間で、再び美咲さんの名前を出して会話ができるようになりました。「美咲はこの料理好きだったよね」「美咲と一緒のとき、あんなことがあったよね」
目の前にいない。けれど語ることで、美咲さんの存在を感じたい。そんな風に思うようになりました。

とも子さん「美咲が帰ってきたら、どこに行きたい?」

 

「いろんな所に連れて行ってあげたい。美咲がいない間、家族で一緒に行った場所とかに連れて行って、こういうことがあったんだよって。今までの時間を取り戻したい」

 

「会える日が近くなるなら」姉も一緒に山梨へ

家族にはどうしても美咲さんと一緒に過ごしたいと願う日がありました。5月13日、美咲さんの誕生日です。毎年、美咲さんと姉が大好きなディズニーランドに行くのが家族の楽しみでした。美咲さんがいなくなってからは、一度も行けていません。

美咲のためにも、姉のためにも、一緒に連れて行ってあげたい。とも子さんは、少しでも情報提供を求めようと、山梨県のキャンプ場に再び向かいました。
かつては、「山梨」という言葉を聞くだけでも嫌がっていた姉。いまでは「少しでも美咲と会える日が近くなるなら」と自分から一緒に行くと言ってくれるようになりました。

小雨が降る中、キャンプ場にいる人にチラシを配り、情報提供を呼び掛けます。
そして、当時、テントを張っていた場所に向かったとき。とも子さんが「あのあたりでテントを張っていた…」と私たちに向かって当時の話をすると、突然、姉が走り出しました。立ち止まり、しばらくうつむいたあと、再び母親のもとに走ってきて抱きつきました。
とも子さんは一言「つらいね…」という言葉をかけ、姉は無言でうなずきました。

家族にとっては、美咲さんがいなくなった辛い現場。とも子さん自身も、「なぜあのとき一緒についていかなかったのか」と思い出して、後悔の念がよみがえってくると言います。
それでも捜さないことには見つからないと、手がかりを求めて二人は再び山の中を歩いて回りました。


「いつまでも『嫌だ嫌だ』と行動していたら、見つからないだろうし、もし自分が努力することによって、会える日がもっと短くなればいいかなと思って」

「来年こそ一緒にお祝いしよう」美咲さんに届くと信じて

誕生日の前日の夜。とも子さんは、美咲さんの写真や動画を見て過ごしていました。「この子を一生守っていく」出産のときにそう誓ってから、7歳まで成長していく姿を見て、ともに過ごした時間を振り返っていました。当時は当たり前のように自分のそばで笑っていた娘の姿を見て、涙が止まらなかったと言います。

そして、迎えた誕生日。美咲さんが好きだったチョコレートケーキを姉と手作りし、美咲さんの9歳の誕生日を祝いました。

にこやかにケーキをつくる姉の姿は、家族を悲しませたくないと無理に明るくふるまっているようにも見えました。
そんな姉の前で「泣くことはできない」と、とも子さんは感情を押し殺し、涙を止めるのが精一杯でした。

ろうそくに火を灯し、「ハッピーバースデー」を歌った家族。
「来年こそは一緒にお祝いしようね」
そんな思いが、いまもどこかにいる美咲さんに届くと信じて。

取材後記

とも子さんを最初に取材したのは、美咲さんがいなくなって3か月のとき。今回、改めて家族の日々を取材させていただきました。「ある日、突然わが子がいなくなる」ということは、子を持つ親なら誰しも他人事ではないと思いますし、私も一人の父親として、身を粉にして捜し続けるとも子さんの姿を見て、「何とか力になってあげたい」という思いで取材を続けています。
1年8か月の月日がたつと、「まだ見つかっていなかったんだ」「もう諦めたら」という言葉が耳に入ってくることもあると言います。しかし、とも子さんは「世界中の誰が諦めても、私だけは絶対に諦めない」と強い意志をにじませていました。
今回の取材の最後、「何か世間に伝えたいことがありますか?」と尋ねると、「日本のどこかに美咲がいるのは間違いない。だから一人一人が自分の周りにいるかも、と気にかけてもらえると、それだけでうれしいし、支えになります」と話しました。
一日でも早く美咲さんが見つかり、家族と抱き合う姿を見たい。私自身もそう強く願っています。

情報を求めています

◯行方不明当時、身長125cm位、体重25kg位。いまは身長135~145cm位と推測。小学3、4年生くらいに見えることも。
◯口元の右側にホクロあり。
◯自分のことを「みー」と呼ぶ
情報提供先
山梨県警・大月警察署 電話:0554-22-0110
とも子さんが開設したHP  https://misakiogura.com/

とも子さんは「間違っているかもしれない情報、どんなささいな情報でもかまわないから、情報を寄せてほしい」と話しています。

  • 中川雄一朗

    首都圏局 ディレクター

    中川雄一朗

    民放で記者を勤めた後、2014年入局。神戸局・大阪局・ニュースウオッチ9を経て、2020年から首都圏局。これまで事件や震災、戦争などを取材。

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