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イギリスの17歳のヤングケアラーが語る ケアのリアルと支援

  • 2021年5月25日

イギリスに住む17歳の青年は、現役のヤングケアラーです。男性は5歳のころから10年以上にわたって母親を介護・ケアしているといいます。支援“先進地”と言われるイギリスでのヤングケアラーのリアルな暮らしぶりとは?そして、国などの支援とは? 話を聞きました。
(国際部/記者 山本健人)

5歳の頃から母のケア 5歳年下の弟の世話も

今回、話を聞くことができたのは、イングランド南部の小さな町ウィンチェスターで母親の介護をしているジェイス・ロレントさん(17)です。

支援団体の活動に参加するジェイス・ロレントさん(右側)

山本記者

いつから母親の介護・ケアを担っているのですか?

ジェイスさん

私が母のケアをはじめたのは12年前、物心がつきはじめた5歳の頃です。母はうつ病と診断され、家に引きこもりがちになりました。母は気分が落ち込むとささいなことでもひどく心配し、私が話し相手になって落ち着かせなければなりませんでした。母にとって私が唯一、信頼して話しができる存在だったので、元気になってほしい一心で母の話に耳を傾けました。

介護・ケアの負担はどうなっていきましたか?

 

成長していくにつれてできることが増えていくと、食事の準備や洗濯、買い物といった家事も私が担うようになりました。また、5歳年下の弟のミルクやおむつ替えといった世話もするようになりました。しかし、母の症状はよくなるどころか悪化していきました。“うつ状態”に加えて“そう状態”も繰り返す「双極性障害」と診断されました。“うつ状態”の時はひどく落ち込みますが、“そう状態”の時は被害妄想が激しくなり、自傷行為に及ぶこともあったので、気が抜けない生活が続きました。

学校は休みがち 友人もできず 先生にも相談できず

学校生活への影響はありましたか?

 

介護と学校生活を両立させることができませんでした。日々の家事や弟の世話に加えて、いつどんな行動を取るかわからない母のそばにいなければいけなかったため、学校を休みがちになっていきました。セカンダリースクール(11歳から16歳が通う)に進学した1年間の出席率は6割程度でした。また、宿題や試験勉強は手に付かなくなっていきました。

何が一番つらいと感じましたか?

 

自分のペースで物事を進められなかったのが精神的にきつかったです。また、寝たいときに寝られず、リフレッシュをしたくても母のことを思うと罪悪感でできませんでした。また、母に何かあった時のために、極力、友人とでかけるなどの予定を入れることを避けざるを得ませんでした。そのため、友達の家に遊びに行ったりすることができず、親しい友人を作ることができませんでした。人生に希望が見いだせず、何もやる気になれませんでした。

介護・ケアのことは学校の先生や友人に相談しなかったのですか。

 

母の介護のことは誰にも打ち明けませんでした。家庭内のことをクラスメートに話してもきっと理解してもらえないと思うと話す気になれませんでした。学校の先生にも、余計な心配をかけたくないという気持ちから相談することはありませんでした。

心配した学校側が支援団体に連絡 支援を受けるように

支援を受けるようになったきっかけは?

 

私が支援につながったのは4年前、13歳の時でした。あとからわかったのですが、学校を休みがちになった私を心配した学校側が支援団体に連絡してくれたことがきっかけでした。ある日、支援団体のスタッフの女性が学校を訪れ、私が「ヤングケアラー」であることを教えてくれました。そして、「ヤングケアラー」というのは、家族の介護を担う子どもたちを意味することばで、子どもだけで介護を担うことは当たり前のことではなく、支援を受けるべきだと教えてくれました。

どんな支援を受けましたか?

 

支援団体のスタッフはまず、状況を確認するために私の家に来て、母と面談しました。そして、公的なサービスを利用するなどして、私の負担を軽くする方法を一緒になって考えてくれました。母の病気について学ぶ機会も作ってくれて、どんな対応が必要なのか教えてくれました。また、支援団体が定期的に開催しているヤングケアラーどうしが交流する場に参加して、自分の悩みや不安を打ち明けられるようになり、自分が当たり前だと思って担ってきた介護は、自分のような年代の子どもにとっては当たり前のことではないことにようやく気づくことができました。

支援を受けて前向きに 大学進学を目指して勉強中

支援を受けるようになって、何が変わりましたか?

 

支援につながって、母親の介護と上手につきあえるようになりました。母の病気のことを理解し、医師に相談するタイミングを知ることができました。支援団体の担当者が、母や自分のことを定期的に気にかけてくれ、悩みを1人で抱え込まずに周りに頼ることを教えてくれました。おかげで、これまで常に何かを心配し、時間に追われる感覚がなくなり、前向きに物事を捉えられるようになりました。休みがちだった学校にも、今ではほとんど休まずに通っています。
また、支援団体のスタッフの勧めもあって、現在はカレッジ=大学進学のための学校に通っています。いま大学進学を目指して勉強をしています。支援を受ける前の自分だったら考えられなかったことです。もし、あのまま手を差し伸べてもらえなかったら、自分の将来がどうなっていたか想像もつきません。

 

  • 山本健人

    国際部 記者

    山本健人

    2015年入局。初任地・鹿児島局を経て現所属。 アメリカ担当として人種差別問題などを中心に幅広く取材。

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