高校に入学してまもなく、母のガンが再発しました。
それから父が精神的に不安定に。
電気もガスも水道も止まり、私は高校をやめざるを得ませんでした。
「ひとり娘なんだからあなたが支えてあげて」
そう言われ続ける中で、救われた言葉があります。
神奈川県の元ヤングケアラーのリナさん(37)が、幼いころからの日々を語ってくれました。
花屋を営む両親と3人で暮らしていた私。
母は重い貧血の症状が出る難病を患っていて、小学生のころから話し相手になっていました。
「死んでしまいたい」
「あなたのために我慢している」
そんなことを言われるたびに、「私がお母さんを支えなきゃ」と思っていました。
もちろん甘えたり、わがままを言ったりすることもできませんでした。
そして、病気の母を置いて楽しいことをする自分に後ろめたさを感じ、友達とは遊ばずに帰宅する毎日でした。
中学2年のとき、母はガンが見つかり入院します。
それからは家事も担うようになりました。
おかずを用意できなかった日に学校に持って行くのは、ご飯だけを詰めた真っ白なお弁当。
恥ずかしいので、友達に見られないようこっそり食べたのを覚えています。
母は一度退院したものの、私が高校に入学するとまもなくガンが再発。
余命宣告を受けました。
その影響で父も精神的に不安定になり、生活費は入らなくなりました。
電気やガス、水道も止められてしまいました。
でも誰にも相談できず、助けてもらうすべも知りませんでした。
家族を支えるため、私は高校をやめたのです。
「周りの高校生たちは楽しく生活しているのに、どうして私はあしたのごはんを心配しないといけないんだろう」
そんな疑問を感じつつ、コンビニや工場などさまざまなアルバイトを掛け持ち。
朝6時から夜10時まで働いていました。
それでも高校を卒業するという目標は、諦めませんでした。
高校を卒業したほうがお金を稼げる仕事につけるのではと考えていたからです。
入院中の母のお見舞いと家事とアルバイト。
その3つを両立しようと、夜間定時制の高校に通い、無事に卒業できました。
夜間の高校に入りなおしたあと、母は亡くなりました。
正直に言うと、このときは複雑な心境でした。
もちろん喪失感はすごくありました。果てしなく。
でもその反面、ふっと終わったと…。
そんな気持ちが半分あったのも事実です。
母親が亡くなるまでの日々を語ってくれた、元ヤングケアラーのリナさん。
しかし、終わりではありませんでした。
父親が、リナさんに依存するようになったのです。
脳梗塞で倒れてからはさらに顕著になり、仕事中に何度も電話をかけてくるなど、悩まされました。
でも、父親から離れることはできませんでした。
「ひとり娘なんだからあなたが支えてあげて」
子どものころからそう言われ続けてきたリナさんにとって、ケアを1人で担うことは、“当たり前”のことだったからです。
リナさんは結婚して家を出ましたが、自分の家族のことは後回しにして、父のケアを優先しました。それでも父の意に沿えない時には、罪悪感で自分を責めていたといいます。
リナさん
「自分が一番遊びたい子ども時代にずっと誰かの心配をして過ごしてきたので、刷り込みじゃないですけど、それが普通というか、当然そうしなくてはいけないという考え方になってしまっていた。このままだと自分の家族にしわ寄せがきてしまう、家族が壊れてしまうと、当時は本当に精神的にギリギリのところでした」
そんなリナさんを救ったのは、父親の介護について相談したケアマネージャーのことばでした。
「あなたはあなたで生きて大丈夫。そのために私たちがいるんです」
リナさん
「ケアがつらいときでも、『そう思っちゃいけない』と思っていました。そんなとき『あなたが悲しい、つらいと感じるのは当然です。家族に寄り添って自分まで潰れてしまうのは普通のことではない。あなたはあなたで生きて大丈夫。そのために私たちがいるんです』と。やっと気がついたというのがあって、気持ちの負担が軽くなりました」
ケアマネージャーとのやりとりを経て、父には「すべてをわたしがやることができない」と伝えました。
そして訪問ヘルパーなどの助けを借りることで、生活は落ち着いたといいます。
夫と2人の子どもと暮らすリナさんに、いま家族の介護やケアを担っている子どもに伝えたいことを聞きました。
リナさんが語ったのは、「できないものはできないでいい」という心持ちでした。
リナさん
「親も支えてくれる人がいないから、子どもに依存して入り込み過ぎてしまうという関係性があるのかなと感じています。お互いが潰れてしまわないような方法、生き方というのがきっとあると思うので、いまのヤングケアラーには『自分らしく生きられるんだよ』と伝えてあげたいです」
一方で、リナさんは課題も指摘しました。
「両親がいて、子どもが普通に学校に通っていれば、表面的には大丈夫に見えてしまう」と言うのです。
さらに、利用できる支援制度があっても、子どもにはそれがわからないので、教育や福祉の現場が困っている子どもに気づく、そして支援につなげられる仕組みが必要だと話しました。
リナさんは当時、泣いたところでどうにもならないというあきらめの気持ちになり、泣くことも忘れてしまったと振り返りました。
国はヤングケアラーの実態調査に乗り出し、ことし5月、支援策を打ち出しました。
家族のケアを担うことが“当たり前”になっている子どもたちにどう寄り添い、支援につなげていくのか。
これからも取材を続けていきたいと思います。