都立高校入試で行われている“男女別定員制”が、女子生徒にとって不利になっている現状を伝える記事を掲載したところ、さまざまな声や意見が寄せられました。
「女子は成長が早く男子はあとから成績が伸びるから、定員制は理にかなっている」
「政治家や管理職の女性枠を設けることとどう違う?」
こうした意見をどう受け止めたらいいのか、それぞれの分野の専門家に聞いてみました。
(首都圏局/都庁担当記者 野中夕加・ディレクター 村山世奈)
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ことし3月、首都圏ナビや首都圏ネットワークで、全国の公⽴⾼校で唯⼀都⽴⾼校だけが⼊試で男⼥別定員制を設けていることや、男⼥の合格最低点に差が生じ、⼥⼦のほうが⾼くなる傾向があることを紹介する記事を掲載したところ、賛否を含めたくさんの意見や疑問が寄せられました。さまざまな見方を伝えるとともに、寄せられた意見や疑問について、少しでも判断の材料になればと考えて、それぞれの分野の専門家に取材してみました
まず気になったのは、SNSで寄せられた投稿です。
同じような意見はほかにもあったほか、取材している私たちも、大学受験や就職活動のときに「男子はあとから伸びる」と耳にしたことがあります。
入試という制度を考える上で、こうしたことは事実なのか、あらためて確認する必要があります。
取材したのは、東京大学の四本裕子准教授。認知神経科学が専門です。
質問に対して四本准教授はまず、「男女の差よりも、はるかに大きい個人差があることを考える必要がある」と切り出した上で、こう説明してくれました。
四本准教授
確かに、男女の脳の発達を比較したときに「〝脳が大きくなっていくスピード〟は、女子の平均値のほうが早い」という知見はあります。ただ、これは女子のほうが早く体が大きくなるのにともなって脳も大きくなっているだけです。また、脳の大きさが学業成績と直接的に関連するという知見はありません。
その上で、性別で二分して異なる基準を設けることは、科学的妥当性に乏しいと指摘します。
男女の能力の差を比べるときは、男性の平均値と女性の平均値の差を比べますが、これまで報告されているものは、性差よりも個人差が非常に大きいのです。
何らかの基準で合格や不合格を分けるときに、成長の早さの違いを持ち込むと、誕生月によっても異なるでしょうし、体の大きさやホルモンの分泌量によっても異なるでしょうし、非常に複雑です。性別で二分して異なる基準を設けることは、科学的妥当性に乏しいと言えます。
さらに四本准教授は、人々が「男女の能力は生まれつき違う」と信じてしまうことが、社会における男女の差をより広げることになると訴えます。
男女の能力の違いのほとんどを、生まれつきの差のように説明することを「ニューロセクシズム※」と言いますが、私は賛同できません。男女の能力に差があるとしても、多くの場合は、生まれ持った差より、育ってきた環境や教育がもたらす効果の方が大きいと言われています。例えば、日本では「男子は理系科目が得意」と信じられていますが、北欧のジェンダーギャップが非常に小さい国々では男女差がほぼ無かったり、女子のほうが成績が良かったりするんです。生物学的な能力の違いであれば、国によって変わることはないはずです。みんなが、なんとなく「男女は違うよね」と思うことが、新たなステレオタイプにつながる危険があります。
※ニューロセクシズムとは
「男性脳・女性脳」など、男女の行動や思考の違いのほとんどが、脳の性差によるかのように説明すること。文部科学省も「男性脳・女性脳」に科学的根拠が乏しいことを指摘している。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu0/shiryo/attach/1267330.htm
続いて、多く投稿された疑問がこちらです。
男女別定員制に課題があるのなら、議員定数や管理職⽐率など、⼥性の割合をあらかじめ設定して登⽤するよう求める仕組み「ポジティブ・アクション」についても疑問を感じるという声です。
※ポジティブ・アクションとは
積極的改善措置。過去における社会的・構造的な差別によって、現在不利益をこうむっている集団(女性や人種的マイノリティー)に対して、一定の範囲で特別な機会を提供すること等により、実質的な機会均等を実現することを目的とした、暫定的な措置。アファーマティブ・アクションとも言う。
「(公財)日本女性学習財団」
この疑問に答えてもらったのは、社会学者で「(公財)日本女性学習財団理事長」の村松泰子さんです。
村松理事長
「ポジティブ・アクションは、今まで社会的・構造的に不利なところにあったグループのためにとる一時的な措置です。女性政治家や女性役員が少ないのは、女性に不向きだからではなく、入り口が狭かったり、経験のチャンスが少なかったりするからです。待っていたら100年経っても実現しないかもしれないから割り当ててでも増やしましょうというのが、議員のクオータ制などのポジティブ・アクションです。都立高校の男女別定員制は、差別解消のためにやっていることではないので、全く別の話です」
ポジティブ・アクションは、「歴史的経緯や社会環境から生じている差別」の解消を目的にしていることがポイントだと強調する村松理事長。現在の学校教育については、こんな指摘をします。
「私はむしろ、学校教育は女子に不利な構造を作り出すことがあると思っています。ある中学校の理科の授業を見たとき、全ての班で、バーナーを持って実験しているのは男子、記録をしているのは女子だったんです。これは生徒も無意識にしているのですが、先生も気づいてなくて、『主役やリーダーは男子』『支えるのが女子』という構造になっていました。理系に進む女性が少ないのは、このような背景も関係していると思います」
さらにこんな声もありました。
現在、都立高校全日制普通科の男女別定員制は、都内の公立中学校の3年生の男女比を各校の定員に当てはめています。令和3年度(2021年度)の入試は、51.9%が男子枠、48.1%が女子枠でした。
これについても村松理事長に聞きました。
村松理事長
確かに、男女の人数はなるべく同じぐらいのほうがいいとは思います。私自身、会議などで男女比が9対1かもっと女性が少ない状況を何度も経験してきて、いかに居心地が悪いか知っています。1対9や、9対1になるのはやはりおかしい。だけど、公立の学校で男女を分けずに募集しても、そんなに大きく不均等にはならないのではないでしょうか。極端な偏りにならなければ、多少の人数差はあっても問題ありません。
確かに男女別定員制を無くしても9対1や、8対2にはならないかもしれませんが、7対3になってしまう可能性をどう考えるかも聞いてみました。
本当は、男女どちらかが4割くらいはいたほうが良いと思いますが、3割が1つの分岐点になります。「クリティカル・マス」と言って、集団の中でたとえ大多数でなくても、存在を無視できないグループのことを言います。3割以下だとほんとうのマイノリティ(少数派)になってしまいます。自然な競争で7対3くらいになるのは、やむを得ないと思います。
また、男女比の変化によってトイレや更衣室の数を懸念する声もありました。こうした疑問点についても村松理事長は、誰でも使えるトイレや更衣室の作りにしておけば、不均等が生じたときは、その運用の仕方を変えれば解決できると話してくれました。
この意見を寄せてくれたのは笹泰子さん。平成30年(2018年)に東京医大など複数の大学医学部の入試で、女子の合格基準を男子より厳しく設定したり、点数を操作したりしていたことが発覚した問題に取り組む弁護士です。
笹弁護士
入学試験は、成績という個人の能力に基づいて公平公正な選抜をすることが本質的な要素なので、そもそも本人の能力と関係のない性別で区別することに合理性があるのかどうかが問題になります。特に、性別は自分でコントロールできるものではないため、公的機関が、性別によって異なる取り扱いをすることは、合理的な理由がない限りは憲法第14条第1項(法の下の平等)で性差別として厳しく禁止されているはずです。
さらに笹弁護士は、日本が批准している国連の女子差別撤廃条約の中で、特に教育分野では厳しく男女の差を無くすことが求められていると指摘します。
女子差別撤廃条約第10条では、教育における男女平等のためにとるべき措置については「セイム(Same)=同一」という言葉が用いられています。つまり、とりわけ教育分野では、男女を「イコール(Equal)=平等や均等」に扱うだけでは十分ではなく、「同一」の試験や教育課程を受けさせなければならないという原則が条約にうたわれているんです。この原則は、憲法や教育基本法の解釈においても考慮されるべきものといえます。
都立高校の男女別定員制度は、中学3年生の男女比をもとに定員を設けているため、形式的には男子と女子それぞれのグループに同じだけのチャンスを与えているようにも見えます。ですが、性別ごとの定員があることで、同じ得点を取った個人について、採点のときに男女で異なる合格基準点を適用し性別によって合否を変えることになるのが大きな問題だと思います。
社会のあらゆる分野でジェンダー平等への流れが強まっている時代において、このような入試制度をそのまま残しておくべきではなく、ただちに是正すべきだと思います。
都立高校入試の男女別定員制について、私自身も、「男子はあとから伸びる」「男女同数なら問題ないのでは」と、“なんとなく”思いこんでいた部分があると気づかされました。
でも今回、取材でお話を伺った東京大学の四本裕子准教授は、こう明確に指摘します。
「公的な制度は、エビデンスに基づいて議論すべきです」
そのエビデンスとは何かをきちんと見いだす取材を、これからも続けます。