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特別養子縁組で迎えた息子 生みの母との絆断たれて あっせん団体不明

  • 2021年4月20日

「息子の生みのお母さんと1度だけ面会したとき、『息子が“生みのお母さんに会いたい”と言ったら会いましょうね』と約束しました。でも、息子の成長を伝える手段がなくなってしまいました」
特別養子縁組で赤ちゃんを迎えたお母さんは、こう言って悲しみと憤りを話してくれました。「手段がなくなった」というのは、お母さんと生みのお母さんとをつないでいた、特別養子縁組の民間あっせん団体「ベビーライフ」と、連絡がとれなくなっているからです。
(首都圏局/記者 浜平夏子)

不妊治療のあと特別養子縁組の道に

サクラギユカさん(仮名)は、特別養子縁組の民間あっせん団体「ベビーライフ」を通じて男の子を迎えました。いま、その男の子は2歳になりました。

サクラギさんは、結婚して1年たって子どもを授からず、夫婦で不妊の検査を始めました。
そこでわかったのは夫の無精子症でした。
地元から遠く離れた不妊治療の専門クリニックに治療にも行きましたが、授かりませんでした。

治療が行き詰まり、手を尽くしたと思った夫婦は、別のかたちで子どもを迎える選択をしました。それは、特別養子縁組制度です。
特別養子縁組制度とは、子どもの福祉の増進を図るため、養子となる子どもの生みの親との法的な親子関係を解消し、実の子と同じ親子関係を結ぶ制度です。

「血はつながっていなくても子どもを育てたい」という思いからでした。

ベビーライフとの出会い

特別養子縁組の道に進むと決めてからサクラギさん夫妻は積極的に情報を集めました。
特別養子縁組の民間あっせん団体の資料をいくつも取り寄せ、説明会にも参加しました。
里親になるための講座も受け始めました。

そしてその中から選んだのが、「ベビーライフ」という団体でした。
選んだ理由は、スタッフの対応が丁寧で親身だったからでした。

団体に登録し面接や研修を経て赤ちゃんを迎える準備が整うと、「もうすぐ生まれる赤ちゃんがいます。受け入れますか?」とスタッフから声がかかりました。
もちろん、断る理由はありません。

2018年、サクラギさんは赤ちゃんを家族に迎え入れることになりました。

生後5日で出会った息子 生みのお母さんとの約束

初めて会った生後5日の男の子は、小さくて髪の毛が想像以上にふさふさで、抱っこした瞬間、心から幸せだと思える気持ちになりました。

しかし、会えるはずだった生みのお母さんにはこの日会えませんでした。
生みのお母さんは泣きすぎて会える状況ではなかったそうです。

サクラギさんは、自宅に息子を連れて帰るとき、最初からほ乳瓶でミルクを上手に飲めたといいます。そのとき、サクラギさんは生みのお母さんがほ乳瓶でミルクが飲めるよう、世話をしてくれたのではないか、と感じたといいます。

赤ちゃんを迎えたおよそ1か月後、生みのお母さんと再び会う機会を得ました。
生みのお母さんは若い女性でした。

「子どもに幸せになってほしいからサクラギさん夫婦に託した」と話してくれたといいます。やさしく抱っこした姿から息子を思う気持ちが伝わってきました。

サクラギさんは生みのお母さんにも幸せになってほしいと心から思いました。
そして約束しました。

「子どもが大きくなって“生みのお母さんに会いたい” と言ったら会いましょうね」

そこから生みのお母さんには子どもの成長を一緒に見守ってほしいと「ベビーライフ」を通
じて写真や動画を送るようになりました。

水族館で魚に興味津々

スタッフからは生みのお母さんが写真を喜んでいたという声も聞いていました。
簡単には会えないけれど、つながることは息子にとって大切なことだと思ってきました。

生みのお母さんに恨みを持ってほしくない。その存在を感じていた方が、息子の心の安定にもつながると考えていました。

「ベビーライフ」と連絡取れず 生みの母とのつながりも失って

しかし、生みのお母さんとのやりとりや子育ての悩みなど、よりどころにしていたこの団体は、去年7月に突然、事業を停止して、連絡がとれなくなってしまいました。

連絡が取れなくなったことに伴って、それまでにあっせんした子どもの生みの親に関する記録などの行方もわからなくなってしまいました。団体はあっせんに関わる記録の文書を東京都に送ってきたということですが、東京都によると、一部にとどまっているということです。

サクラギさんは生みのお母さんとつながる手段を失いました。

『生みのお母さんの名前を言えるようになったよ』と教えてあげたいのに

サクラギさんは息子を家族に迎えてから、特別養子縁組をして育てられた子どもたちが自分の思いを語る講演会にも参加して、10年後、20年後の息子の気持ちに思いを寄せてきました。そこで感じたのは、生みの親についての情報を知ることができなかったら、孤独な思いを抱えるのではないかということでした。

サクラギさんの息子は2歳になり、おしゃべりが上手になってきました。

父親と海で

リビングのアルバムには、息子の成長記録とともに、生みのお母さんの写真も一緒につづっています。息子にとっても、自分にとっても大切な人だと思っているからです。

息子にも、養子であることを子どもに伝える「真実告知」として、お母さんが2人いることを伝え始めています。

「真実告知」に使う絵本

そして、生みのお母さんとつながって、もし会いたいというならその選択肢をつくってあげたいとも考えています。しかし、ベビーライフがなくなった今、それは難しい状況です。

サクラギさん
「生みのお母さんとのつながりがあるということは、息子が安心して生みの親を思ってもいいと示せることになりますし、これから真実告知を始めるなかで、生みのお母さんから届いた返信を伝えることもできます。何年後になるかはわかりませんが、お会いするときまでによりよい関係を築いていけると思っていました。だから、ベビーライフの事業停止で生みのお母さんとのつながりもなくなってしまったことは、とても残念です。息子はだいぶおしゃべりが上手になり『生みのお母さんの名前を言えるようになったよ』と今すぐに教えてあげたいのに、それを伝える手段がなくなってしまいました。息子が大きくなって、ベビーライフがなくなったことで関係がなくなったと知ったら、悲しむと思います」

こうした写真を送ることもできなくなった

考えてほしい子どもの出自を知る権利

サクラギさん夫婦が「真実告知」の大切さや、出自を知る権利の重要性を痛感したのは、特別養子縁組の家庭で育った男性から、自分の生い立ちを知った経緯や当時の思いを聞いたからです。

特別養子縁組の家庭で育ち、当事者の立場から「みそぎ」というペンネームで情報発信をしている20代男性です。

男性は高校生のとき、試験問題が解けないことに腹を立てた父親から、突然「自分の子どもじゃないからできないんだ」と言われたことで、自分が特別養子縁組で迎えられたと知りました。そして、大学生になって自分の出自や生みの親を探した経験があります。

男性は生みの親にはたどりつけませんでしたが、育った乳児院を知ることができ、当時の職員たちに大切に育てられていたことを実感することができました。

みそぎさん
「出自を知る権利ってよく使われることばなんですけど、特別養子縁組ではない親と子の関係のご家庭で、自分のお父さんお母さんを認知することだったり 自分がどういう関係を両親と築いてきたのか、赤ちゃんの頃の写真が残るなどして意識することはないと思います。しかし、僕ら特別養子縁組の子どもたちは、ほかの人たちが意識せずに当たり前に知っていることをまだ知らないんです。僕はアイデンティティーの土台の部分だと思っています。出自を知ることは、自分の中のブラックボックスを埋めていくことです。仮に自分にとってショックな情報であっても空白よりはいいと思うし、それと向き合うことで前に進める。本当の自分と向き合えるということだと思います」

息子を迎えて幸せだからこそ

サクラギさんを含めベビーライフを通じて子どもを迎えた親たちは、ことし4月、家族会を立ち上げて特別養子縁組の家族どうしで交流を始めました。

そして、家族会では『子どものための特別養子縁組制度』はどうあるべきか。

▼東京都には、行方がわからないあっせんした子どもの生みの親に関する記録などすべての情報を把握し、別の団体に引き継いでほしい
▼国には、特別養子縁組に関する情報を一元化して、子どもの出自を知る権利を保障してほしい

ということを国や東京都に訴えていくことにしています。

サクラギさんは言います。

「息子には、やさしく、困っている人がいたら助けてあげられる子になってほしいと毎日思っています。特別養子縁組で息子を迎えて幸せです。誇りに思っています。この道に進んで、私は世界が広がりました。子どもを産み、育てるというだけでない生き方を知り、いろんな人と出会い、いろんな生き方があると思えるようになりました。だからこそ、特別養子縁組制度が、よりよい制度になるように声をあげていきたいと思います」

  • 浜平夏子

    首都圏局 記者

    浜平夏子

    2004年(平成16年)入局。宮崎局、福岡局、さいたま局を経て、2020年から首都圏局。医療や子育て分野の取材を担当。

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