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東日本大震災から10年 千葉県旭市の老舗の菓子店の思い

  • 2021年3月8日

東日本大震災の発生から10年。千葉県旭市の被害が大きかった地区では、この10年で多くの商店が廃業に追い込まれましたが、老舗の菓子店の男性は強い思いを持って菓子を作り続けています。
(千葉放送局/記者 櫻井慎太郎)

足の不自由な母親を連れ 命からがら津波から逃れる

千葉県旭市には東日本大震災の時、最大7.6メートルの津波が押し寄せ16人が犠牲になりました。

嶋田庄司さん(62)は、千葉県旭市の飯岡地区で250年以上つづく老舗の菓子店の11代目です。

人気商品はいちご大福やみたらし団子で、老舗の味は長年に渡り、地域の人に愛されています。

嶋田さんの店は海岸から150メートルほどのところにあります。東日本大震災が発生したあの日、足の不自由な母親をつれて命からがら津波から逃れたといいます。

嶋田庄司さん
「体が飛ばされそうな勢いの水が店に入ってきたので、なんとか雨戸を閉めて母親を背負って外に出ました。もう水が太もものところまで来ていて、母を背負って歩くことが難しく、手を引っ張って逃げていたら、母親があおむけに浮いたので、首のところの洋服をつかんで引っ張って逃げました。声をかける余裕も怖いという感覚もなく、ただ夢中で逃げました」

この道を母親を引っ張って逃げた

命は助かったものの、店は激しく壊れ、菓子作りに必要な機械もほぼ全て使えなくなってしまいました。

店が再開できるのかと不安になった嶋田さんを励ましたのは、店が大きな被害を受けてさら地になってしまった近くの菓子工場の社長でした。

嶋田庄司さん
「うちに来て、『何やっているんだよ、こんな機械ぐらい、すぐ直るよ。頑張りなよ、俺も頑張るから』って叱咤激励してくれたんです。さら地でも頑張るって言っている人がいるのに、建物が残っている自分が頑張らないのは恥ずかしいと思いました」

そこから嶋田さんは、およそ600万円をかけて店を再建しました。

地区では廃業する店も相次いで…

しかし、被災後、多くの住民が街を離れ、客足はなかなか戻りませんでした。
被災、そしてその後の人口減少で、飯岡地区では嶋田さんの店と同じような状況におかれ廃業する店も相次ぎました。

この10年で、廃業や休業を余儀なくされたのはおよそ20店舗。被災前に60店舗ほどあったうちの3割に上ります。

飯岡商店振興会 山中幹夫会長
「水産加工の店や寝具店もなくなって『お店やめちゃうんだよ』とかそういう話が多かったです。そういうじり貧の状態が続いています。歯がゆいけどどうしようもないですね。人が集まれば何かしらあるんだけど、人の集まるところもなくなりましたから寂しいですよね」

菓子を復興に生かせないか 新商品に込めた願い

厳しい状況に置かれるなか、嶋田さんは貯金を切り崩しながら営業を続けました。

営業を続けた背景には、自分の菓子で街の人を元気づけたいという思いがあったといいます。

嶋田庄司さん
「俺にはお菓子を毎日一生懸命作って頑張っていく、それだけしかできないから。食べた人においしいって言われたい。菓子屋にはそれが一番ですもんね」

苦しい経営が続く中、嶋田さんは、菓子を復興に生かせないかと、新商品の開発にも乗り出しました。
新たな「地元の名物」をめざし、地域の菓子店と協力して開発したのはサブレーです。

地元の素材を使い、パッケージには観光名所「屏風ケ浦」を前面に出しました。

「サクサク感よりもパリッとした感じにしたいと思って何百回と試作を重ねました。私も頑張るから、飯岡も頑張りましょう、みんなで頑張りましょうという気持ちを込めました」

こうしたなか、最近では光も見えてきたといいます。

5年半前に復興事業としてオープンした「道の駅」での販売が伸び、震災前を上回る額まで売り上げが回復したのです。

常連の女性客
「よく食べます。おいしくて、これからも食べたいので、頑張ってほしいです」

 

1日1日の菓子作りを積み重ねてきたこの10年。今後もできる限り、店に明かりを点し続けたいとしています。

嶋田庄司さん
「やっぱり人間って、いい時もあるし悪い時もあるから。それをみんな乗り越えて頑張っているんですから。再開してよかったと思います。これからも変わらずに毎日仕事をするだけです」

関連動画

 

  • 櫻井慎太郎

    千葉放送局 記者

    櫻井慎太郎

    2015年入局。長崎局、佐世保支局を経て、千葉局で県政や選挙事務局などを担当。

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