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横浜市 林⽂⼦市⻑の独白 “忍耐ということばで我慢し続けてきた”

  • 2021年2月26日

「忍耐ということばで、我慢し続けてきた。本当に日本は変わらない」
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森前会長の女性蔑視と取れる発言を受けて、横浜市の林文子市長は記者会見でこう述べました。ふだんは淡々と質問に答えることが多い市長から、せきを切ったようにことばがあふれだし、12分間にわたって思いを語ったのです。
後日、あらためて聞くと「こういう思いを話すのは初めてだった」と話しました。
(横浜放送局/記者 有吉桃子)

いつもと違った市長の定例記者会見

横浜市長の記者会見は月に2回程度、開かれます。2月16日の会見も午後2時からいつものように始まりました。市長は3日前に起きた福島県沖を震源とする地震について、市内の被害をあらためて説明するとともに、東日本大震災の被災地への配慮のことばを述べました。続いて新型コロナの感染状況やワクチン接種の準備状況などを説明しました。

いつもと違う様子を見せたのは、会見が始まってから20分あまりがたって、森前会長の発言に関連した質問が出たときのことでした。

「意思決定の場に女性をはじめ、多様な人がいることの重要性について、市長はどう考えるか」

市長は、「はい」と区切るように一言発したあと、語り出しました。

「私は、女性がそのような場にいるのは大変重要だと思いますね」

そして、それまで目を落としていた資料も見る必要はないと言わんばかりにまとめながら、自身の経歴を説明しました。

本当に、日本は変わらない

林文子 市長
「私は1965年から社会に出ましたが、女性が仕事の場で意思決定をするということは働いている本人も含め誰も考えていなかった。ですから、輸入車の販売会社の支店長になったときにも『本当に私ですか?』と聞いたくらいで、新聞社が取材に来ました。そういう中で生きてきましたが、本当にそういう意味では日本は、変わらないと思います。
女性も、中間管理職になってある程度の仕事をすることができるところまでは来たけど、企業の役員レベルに入れるかというと、立ち止まった状況ですね」

私は去年9月から横浜市政を担当してきましたが、市長がここまで自身の考えを表現する会見は初めてでした。

「一番の問題は、結婚してお子さんが出来た場合に、両立することが非常に困難な状況が出てくるんです。そこを解決しないと、キャリアが途絶えてしまう。
(これまでも)中間管理職くらいまでは出来てきたんですけど、それは子育て支援が奏功しているとは思いますが、よくはなってきていますけど、やっぱり…ここで話していいかどうかどうかわからないですけど、やっぱり男性の意識の改革が必要でしょうね。今回の問題は、象徴的な感じがしますね。
何か女の人にやらせる勇気がない、むしろ庇護したくなる気持ちがあるんだろうと思う。外資系に行くとそれはないんです。ほとんどありません。外資系で働いている女の人たちがモデルになって頂くのがいいかと思います」

林市長の経歴

国産車のセールスをしていたころ

ここまでの発言を理解するには、林市長の経歴を知る必要があります。 昭和40年に高校を卒業し繊維メーカーなどに勤めたあと、昭和52年に自動車販売会社に転職した市長は、そこで車のセールスの実績を認められ、輸入車の販売会社の支店長や社長をつとめました。
 

大手スーパー時代

その後、経営難に陥った大手スーパーの会長として再建に取り組むなどして経営の手腕を発揮し、平成21年からは横浜市長をつとめています。

忍耐ということばで我慢し続けて生きてきた

会見は、問わず語りで進みました。

「自分が生きてきた中で、まあ苦しかったですね。本当に難しかったですね。理解してもらうことが。男性と女性が向き合ったときにどうしても理解できないことがあるじゃないですか?じゃあ、どうやって仕事してきたんですかって問われたら、絶対的に交われないものがあるときに、本当に男性と女性、双方がなにか一緒にやって行きたいという思いがあって、それを突破したいという思いがあるんですけど、私から言えない。そこを本当に我慢した。ただ忍耐しかない。忍耐という言葉で我慢し続けて生きてきた。
私は我慢してうまくいった例で、言いたいことをガーンと言わない癖が付いてしまっている。本当じゃないですね、これは。バーンと言うべきですね」

ここで、もう一度記者が質問しました。

「女性を含め、多様性があるということのメリットはどこにありますか?」

「メリットはあります!」
市長はこう言い切ったうえで、現在の市役所の状況について説明しました。

「『忍』の1字から解放されたのは市役所です。最初からではなくて、8年ぐらいたってからとけてきて、10年過ぎて完璧に呪縛から解き放たれました。375万人の都市で、たまたま女性がトップになった。男の人が持っている文化というものに、ものすごく言いたい放題言ったわけです、やり合ったというか。
公務員の方たちは選挙で選ばれた人に対して、きちんと仕事を果たすというか、言いたいことを我慢する人たちって多いと思うんですが、『それじゃいけない』と言って、過去に自分が我慢しっぱなしだったので、『本当のことを言ってください』とやってきた。そういうふうにやってきたらすごくいい関係になって、もはや男も女もないというか、市役所は多様性そのものでいろんな方が何の差別もなく元気にやっています」

“おかしいじゃない”に耳を傾けることは大事

会見の最後は、今回の森前会長の発言の問題に戻りました。

「今回の問題は、いいことかもしれませんね。私も政治家の端くれですが、政治的にものを処理しちゃうのなら簡単にやっちゃうんですけど、そうじゃない。いろんな人がいろんな思いを持って『おかしいじゃない』っていうのに、耳を傾けるということは大事だと思います」

そして林市長は、「こういうことは別の場所で語りましょう」といって、自らの口を閉じるようにマスクを付けました。ここまで約12分。記者会見の異例の時間でした。

林市長はその輝かしい経歴から男性社会でもうまくやってこられた人だと私の目には映っていましたが、決してそれだけではなかったのだと感じました。今回の問題をきっかけに、いろんな経験をしてきた女性が、“わきまえずに”その思いをもっと語ることが必要なのではないかと感じました。

“思いを話すのは初めて”

後日、林市長に会見の時の思いを、もう少し聞きました。

「こういう思いを話すのは初めてだったんです。きわめてリスキーな記者会見でしたね。私がこれまで、何を言わずにきたかというと、悔しいということと、耐えてきたと言うこと。学校やアルバイト先では男性も女性もなかったし、差別されるようなことはなかったので社会に出たら男性と同じように働けると期待していたんです。少しでもお金をもらえる会社に入って親を助けたいと。でも就職したら呼ばれるときも『女の子』で、お茶やコーヒーを出して、たばこを買ってきて。そして、ある年齢になると結婚をして辞めなくてはいけない。一人前に扱ってもらえず、すごくつらかったんです」

そうしたつらさは自動車販売の仕事に転職したあとも続いたそうです。

「言うことは言わないと社長になれなかったから、それは言ってきたんだけど、まず女性だっていうことでドアを閉めてシャットアウトされてしまう、線を引かれてしまう。差別や中傷など、感情的につらいと感じることをたくさん我慢してきました。男性たちは女性がどのように仕事をするか分からないからものすごい警戒感があったんでしょうね。ただ、私は穏やかに話し合ってきました。常に気を遣いまくって相手に寄り添いながらやってきたけど、振り返ると疲れちゃった。外資の会社に入って、外国の人はどうしてなのか不思議ですが、能力だけでみる。女性に対して差別はありませんでしたね」

男性社会の壁に苦しんでいる女性へ

最後にいま、社会で働きながら男性社会の壁に苦しんでいる女性にどんなエールを送りたいか聞くと、林市長はこう語りました。

「女性活躍推進法もできて、環境は整ってきました。たとえば、今の目の前の上司との関係だけにとらわれずに、もっとおおらかな気持ちで今、与えられている仕事を自分なりにやっていくときに明るい道が開けてきたと経験的には思います。長いあいだ働いて来て、いろいろな目にあったけど、結局、男性たちに教えてもらったし、支えてもらったし、勉強させてもらったという、そういう気持ちまで来られました。男性も女性もお互いの特性やいいところを出し合っていけばあらゆる人たちが多様性の中で出会い、教えられ、自己実現をできる大きなチャンスになります。女性たちもまた男性を意識しているのはお互い様なので、お互いの強みをリスペクトして受け入れていくことが大事だと思います」

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