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“コロナのせいにしたくない”老舗料亭「川甚」の廃業で見た8代目店主の矜持

  • 2021年2月17日

『創業231年の老舗料亭が閉店』
番組の打ち合わせ中にそのニュースを知った私は、驚きを隠せなかった。コロナ禍で飲食店の廃業が相次ぐ中、東京・柴又の「川甚」も例外ではなかった。そう受け止めて取材すると店主は…
「閉店は自分の責任 ほかのせいだなんて、悔しくて言えない…」
老舗の歴史に幕を下ろす8代目店主が背負ったものとは。
(首都圏情報ネタドリ!/ディレクター 安 世陽)

老舗の廃業 コロナ禍の影響として取材は始まった

1月24日。日曜日の朝、小雨が降りしきるなか、私は東京都葛飾区の柴又にいた。向かう先は1月末をもって閉店することになった老舗料亭「川甚」。柴又駅を降り、映画「男はつらいよ」でおなじみの帝釈天参道を歩きながら、悩んでいた。

帝釈天参道

きっかけは、数日前におこなわれた番組の打ち合わせだった。コロナ禍で過去最多となった飲食店の廃業・倒産について特集できないかと話していたところ、創業231年の老舗料亭「川甚」が閉店すると知ったのだ。

さっそく店に取材の電話をすると、8代目の店主・天宮一輝さんが応対してくれた。しかし…。

「取材に応じるかは、少し考えさせてほしい」

閉店のニュースが広まった影響で問い合わせが殺到しており、それどころではないとの返答だった。直接会ってお願いするしかないと、私は意を決して「川甚」へと向かったのだった。

川甚

朝9時。店の入り口をのぞくと、受付には店主の天宮さんと思しき姿があった。

「先日お電話させていただきました、NHKの安です」

そう話しかけると、天宮さんは少し驚いた様子だったものの、突然の訪問にも関わらず、応接用のソファーに案内してくれた。

8代目店主・天宮一輝さん

私はまず突然の訪問を詫び、そして今回の番組の趣旨を説明し、「川甚」の閉店前後を取材できないかお願いをした。

「良い話で取材を受けるならともかく、店をたたむのに取り上げられるのはなぁ…」と、天宮さんは悩んでいた様子だった。

それでも私は、なぜ創業231年の老舗が閉店するに至ったのか。閉店が社会にとって何を意味するのか。天宮さんの姿を淡々と記録することで、それらを考える番組にしたいと、改めて自分の思いを伝えた。

天宮さんはしばらく考え込んだあと、「分かりました」と、渋々ながら了承してくれた。

創業は江戸時代 231年の歴史を持つ「川甚」

江戸川の土手近くにある老舗料亭「川甚」。その歴史は江戸時代の後期まで遡る。創業は、寛政2年(1790年)。11代将軍・徳川家斉の時代だ。
店名は、江戸川の“川”と、初代店主・甚左エ門の“甚”から一文字ずつとったのが由来とされている。

川甚(明治時代に撮影)

古くは江戸川の畔に店が構えられ、客は川から舟で直接座敷へとあがり、新鮮な川魚料理を堪能したという。

(明治時代に撮影)

そして、その名を一躍世間へと広めたのが、山田洋次監督の名作「男はつらいよ」。シリーズ第1作で、倍賞千恵子さんが演じた、寅さんの妹・さくらの結婚披露宴の舞台となったのが「川甚」だった。

その後は、地元の人たちの冠婚葬祭といった大切なイベント会場としても利用され、多い日で1日700人が訪れるなど、観光客にも長年愛され続けてきた。

来店した著名人のサイン

名物はコイを使った逸品 受け継がれてきた伝統

1月26日。取材のお願いをした2日後、私は、ロケに臨むための下調べで、再び「川甚」を訪れた。そこで初めて目にしたのが、店の代名詞ともいえる、コイを使った川魚料理だった。
コイの切り身を氷水でしめる「洗い」。鮮度が命で、生けすからあげたばかりのコイを使って調理するという。

「洗い」

そしてもう一つの看板メニューが、江戸前味噌と西京味噌を合わせた味噌で煮込む「鯉こく」。
この2つのメニューがいずれも創業から代々受け継がれる、逸品だ。

「鯉こく」

コイを使った料理を食べた経験がない私には、とても興味が惹かれる品だった。ただ、店は連日予約がいっぱいで、この日もずらりと入店待ちの行列ができていたほどだったので、自分の口に入るような機会はないだろうと思っていた。

しかしこの日、夕食を食べにくる客に取材しようと遅くまで残っていたところ、仕事がひと段落した天宮さんに、呼びかけられた。

「夜ごはん用意したから食べていきなさい」

とても恐れ多くて遠慮したものの、既に用意してあるからと言う天宮さんの言葉に甘えて頂くことにした。

食事中、天宮さんが私のもとにやってきた。

「口に合うかい?」

おいしいです、と答えると、天宮さんはうれしそうな表情を浮かべていた。

そのまま天宮さんは、「洗い」は鮮度が命で、注文を受けてからしか捌かないこと。「鯉こく」は子どもの頃、残り物にご飯を入れてよく食べたものだった、といった話を聞かせてくれた。
私は天宮さんの計らいに感謝をしながら、もう2度と食べられないだろう料理の味をかみしめた。

人生とともにあった「川甚」 それぞれの別れ

1月29日。閉店3日前のこの日、私はロケクルーと一緒に「川甚」を訪れた。この日も開店の3時間ほど前から客が並び始めていた。どんな思いでお店を訪れたのか、私は話を聞いてみることにした。
列の先頭に並んでいた男性は、「川甚」を60年間に渡って、定期的に利用してきたという。

男性客
「もう60年間この地元にいますから、その間、何かというとここで宴会をしていました。新年会、忘年会、みんな川甚さんでやっていましたから、自分の家と同じなんです。(閉店は)寂しいです。実際寂しいです。もう泣きたいくらいですよ、本当に」

ランチを食べ終えた夫婦は、妻が柴又出身で、人生の節目節目に利用してきたと話してくれた。そしてこの日は、夫が定年退職したその日で、記念の食事に訪れたそうだ。


「35年前になるんですけれども、こちらで結納をしたんです。ニュースで川甚さんが閉店されることを知りまして、思い出の場所ですので食事に来ました。本当に子どものころから両親に連れられてきたので、ここには思い出もたくさんある」

 ほかにもさまざまな人たちに話を聞いたが、それぞれ特別な思いを抱えて来店していた。

廃業という苦渋の決断 コロナ禍の中で

営業が落ち着いた合間に、私は天宮さんに閉店までの経緯を聞くことができた。
先代が病気で亡くなり、37歳で8代目として跡を継いだ天宮さんは、客足が伸び悩むなかでも営業規模を縮小するなど、なんとか黒字を保ち続けてきたという。

しかし、新型コロナの影響で、バスツアーや冠婚葬祭などのキャンセルが相次ぎ、売り上げの要だった団体客の利用が激減。去年3月以降の売り上げは例年の半分以下に落ち込んだ。

キャンセルでいっぱいの予約帳

天宮さんは、テイクアウトに挑戦することも検討したという。しかし、店舗で食事提供するのとはまた違った衛生管理のノウハウが必要になる。コロナ禍で初めてテイクアウトに乗り出した飲食店で、食中毒を出してしまった事例も耳にした。

コロナ前からやっている業者には敵わないと、テイクアウトは、得意先の客から頼まれたときだけの限定的な対応にせざるをえなかった。

天宮さんは、国の融資制度や給付金などを利用して、毎月の赤字を補填するしかなかった。
そして、これ以上融資を重ねたとしても返済できないと考えたという。

天宮さん
「毎月、毎月、売上げ減に伴って、マイナス分が出たものを埋めるだけ。その先に明るさが見える状態であれば我慢もしただろうし。ただ、全然見えなかったね」

「従業員に退職金を支払えるのは今しかない」

12月20日。天宮さんは、従業員たちを集め、1月末での閉店を決めたことを伝えた。

“コロナのせいにしたくない” 閉店前夜に見た店主の矜持

1月30日。閉店の前夜。
私は天宮さんにお願いをし、インタビューの時間を設けてもらえることになった。

どうしても聞いてみたいことがあった。

天宮さんはたびたび、馴染みの客たちと話をしている場面で、「(廃業を)コロナのせいにしてほしくない。自分の責任です」と繰り返し説明していた。一方で私は、団体客が減ったのは間違いなく新型コロナによる影響だと考えていた。

なぜ、すべて自分の責任として背負おうとするのか。

天宮さんが語ったのは、先代の父親から子どものころから言われてきた、「ひとのせいにするな」という教えだった。

そして、涙を浮かべながら、こう答えてくれた。

天宮さん
「俺は、ひと(コロナ)の責任にするのはやっぱりイヤだな。それこそ生きていない親父が頭の中に出る。それだけは言えないね、みっともなくて。店閉めるよりもやっぱり悔しいね、それは。悔しくて(ひとのせいだとは)言えないよ。僕の力のなさがこういう結果を生んだ。それしかないけどね、本当。70歳にもなろうってのに、涙流してしょうがねぇ…」

70歳近くの天宮さんが、新型コロナの影響も一身に背負って、涙をこらえきれずに語る言葉に、私はそれ以上質問を重ねることができなかった。

迎えた最後の日 231年の歴史に幕

1月31日。迎えた営業最終日。

この日は、当日客の受付はせず、予約客のみの対応にしていた。昼と夜、合わせて9組の客が、閉店を惜しみながらも最後の料理を堪能した。

そして18時30分。最後の1組が会計を済ませると、天宮さんはその帰りを見送った。

最後の客を見送る

のれんなどを片付け終えた天宮さんは、最後に店の明かりを消し、玄関を閉じる。3度軽く頭を下げ、最後にもう一度、今度は深くゆっくりと頭を下げた。

「川甚」の231年の歴史に幕がおろされた。

閉店から2週間 再び「川甚」へ

取材を終え、番組は無事に放送することができた。
その翌週、私は御礼のあいさつをしようと、再び天宮さんのもとを訪ねた。

天宮さんは撮影期間中よりも少し落ち着いた様子で、笑顔で出迎えてくれた。閉店したいまも、以前と同じように朝4時に目が覚めるという。

「10時になっても(予約の)電話が鳴らないなんて、なんか変な感じだよね」

閉店後に訪ねた際の天宮さん(2月13日 撮影)

天宮さんは現在、失業保険の手続きなど、閉店に際する事務手続きに追われる日々だという。従業員たちの就職先を探したくても、状況はなかなか難しいらしい。

「この責任は、ずっと背負っていかないと」

経営者としての姿は、いまも変わっていないように見えた。

「コロナが落ち着いたら、こんどは一杯やろう」

天宮さんと再会の約束をし、「川甚」をあとにした。

取材後記

取材を終えたいまも忘れられないのが、なぜ廃業をそこまで自分の責任だとするのか質問したときの、天宮さんが見せた涙だ。
客足が激減したきっかけは、間違いなく新型コロナの影響だった。にもかかわらず天宮さんは、230年余り続いた店を閉じた責任、そして、従業員の職を守れなかった責任を、自分のものとして向き合っていた。

「ひとのせいにはしない」という矜持を持っていたからこそ、8代目として、30年以上の間、「川甚」を守り続けてこられたのだと思う。

廃業・倒産に至った飲食店は、去年1年間で2490件にのぼる。そのなかで、「川甚」のような老舗と呼ばれる店、あるいは将来、老舗となりえた店は一体いくつあったのだろう。どれほどの経営者が、多くの“責任”を背負い込んでいるのだろう。天宮さんが私に語ってくれたことは、そのうちの1つの事例に過ぎない。

私たちにとってかけがえのない多くのものが、コロナ禍で、知らず知らずのうちに失われている。

天宮さんと筆者(左)

  • 安 世陽

    首都圏局

    安 世陽

    2015年入局。新潟局を経て2019年から首都圏局。直近は災害や多文化共生について取材

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