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コロナに感染したからこそ伝えたい 一人暮らしで感染するということ

  • 2021年2月9日

「発症するまで『自分はならないよ』と考えていた」
感染者が急増していた年明けに自身も感染した千葉県の63歳の男性はこう振り返ります。急速に症状が悪化しましたが、入院先が見つかるまで1人暮らしの自宅で待機を余儀なくされました。
感染予防の大切さをわかってほしいと実名で取材に応じてくれました。
(千葉放送局/記者 山下哲平)

自分は大丈夫だろう

取材に応じてくれたのは、千葉県八街市で1人暮らしをする永山清さん(63)です。

父親の命日の去年12月28日、久しぶりに会った妹と墓参りに出かけました。千葉県内でも感染者が急増し、不要不急の外出自粛が呼びかけられていましたが、永山さんは心のどこかに少し油断があったと振り返ります。

永山清さん
「感染者が急増しているというのはニュースを見て知っていましたが、ここは田舎なので、人が多い場所に出かけなければ自分は大丈夫だろうという思いがありました」

しかし12月31日に妹が発熱し、永山さんも年が明けた1月2日に異変を感じました。
永山さんが記したメモには、その時の状況が記されています。

・昼食の豚骨ラーメンの味がまったく感じられなかった
・寒気がある
・39度2分の熱が出た

「電話でない、かからない!」

<1月2日(発症初日)~3日(発症2日目)>
感染を疑った永山さんは、千葉県の「発熱相談センター」にすぐに電話をかけました。
インターネットで調べると、コールセンターでは心配な症状が出た人などの相談を24時間受け付けているということでした。しかし何度電話をかけてもつながりません。

あとで分かったことですが、この時コールセンターではシステム障害が発生して電話がつながりにくい状態が続いていました。持病がない永山さんにはすぐに相談ができる「かかりつけ医」もいなかったため、1人暮らしの自宅から電話をかけ続けるしかありませんでした。

ようやく電話がつながったのは、翌1月3日の午前4時49分。電話をかけ始めてから16時間余りがたっていました。
電話口では「最寄りの保健所に電話をかけてほしい」とだけ伝えられたといいます。

永山清さん
「コールセンターのほかに頼れるところがなく、とにかくかけ続けるしかありませんでしたが、重症化してそのまま死んでしまうのではないかとだんだん怖くなりました」

熱がぐんぐん上がり激しいせきも

<1月4日(発症3日目>
ようやく検査を受けられることになり、37度台まで熱も下がっていたため15キロほど離れた病院まで自分で車を運転して向かいました。

しかし検査を受けたあと帰宅する車内で症状が一変しました。
熱がぐんぐん上がる感覚があり、これまでなかった激しいせきも出て呼吸困難のような状態に陥りました。

帰宅して熱を測ると39度6分でした。永山さんは119番に通報して助けを求めました。

救急隊員は医師や保健所の判断を仰いだ上で「保健所からの指示を待ってほしい」と伝えたということです。

永山清さん
「いったん熱が下がったので『もう大丈夫だ』と思いましたが、症状の悪化は急速でした。本当に苦しく、救急車を呼べばどこかの病院に連れて行ってくれると思っていたので搬送されなかった時はびっくりしました」

死んでしまうのではないか

検査の結果、陽性と判明しました。

すぐに保健所から次の指示が来ると思い、自宅のリビングのソファーで毛布にくるまって、目の前にスマートフォンを置いて連絡を待ちました。

いまかいまかと待ち続けましたが、結局その日は電話がきませんでした。

<1月5日(発症4日目)>
待ちかねて保健所に電話をしましたが、保健所からは「入院できる医療機関を調整しているので待ってほしい」と伝えられたといいます。

永山清さん
「このまま病院が見つからなかったらどうしようかと絶望的な気持ちになりました」

<1月6日(発症5日目)>
いっこうに症状が治まらないため、永山さんは保健所から紹介を受けた別の病院を受診することになりました。このときも自分で車を運転して病院に向かわざるを得ませんでした。そして病院では肺炎と診断されました。

永山さんはこれでそのまま入院できると思いましたが、再度、自宅で保健所の指示を待つよう伝えられたといいます。自宅で入院を待つ間、食事は地元の社会福祉協議会から届けられたインスタントのおかゆなどでしのいでいましたが、それが尽きたらどうすればいいのかと不安でした。

永山清さん
「1人暮らしなので、自宅で意識不明になったらそのまま助けを呼べずに死んでしまうのではないかと不安でした。感染が広がるのを防ぐため、誰にも看病に来てもらうわけにはいかず、すべて1人でなんとかするしかありませんでした」

ようやく入院

<1月7日(発症6日目)>

発症6日目、そして陽性と判明してから3日がたった1月7日の午前、永山さんはようやく県内の病院に入院することができました。永山さんは病室で自分の様子を撮影して友人たちに動画を送りました。
動画にはしゃべろうとすると激しくせきこんでしまう姿がおさめられています。

永山さんの容体は、酸素投与を受けなければならないほどにまで悪化していました。
しかし抗ウイルス薬の処方を受けるなど、医師らの懸命の治療の甲斐もあり、体調はなんとか回復して10日ほどで退院に至りました。

一人ひとりの心がけがすごく大事

永山さんに話を伺ったのは退院から2週間がたった2月1日でしたが、味覚や嗅覚はまだ完全には戻っていませんでした。
千葉県内ではいまも多くの人が自宅療養や入院までの自宅待機を余儀なくされていて、その間に死亡するケースも出ています。

永山さんがいま伝えたいことは-。

永山清さん
「こんなに熱が出てこんなに不安な思いをしたのは人生で初めてです。発症した日まで『自分はならないよ』と考えていました。どこでかかったかも分かりません。感染拡大を防ぐ一人ひとりの心がけがすごく大事だと感じました」

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