WEBリポート
  1. NHK
  2. ちかさとナビ
  3. WEBリポート
  4. 国立競技場に託す思い 作家・沢木耕太郎さんの詩が問いかけるもの

国立競技場に託す思い 作家・沢木耕太郎さんの詩が問いかけるもの

  • 2021年1月1日

「戦う者と観る者の夢とが乱反射し、『夢のスタジアム』になっていった」

東京オリンピックを4か月後に控えた去年3月、新旧の国立競技場をテーマにしたNHKのミニ番組で紹介された、作家・沢木耕太郎さんの詩の一節です。 その後、コロナ禍で状況は一変し、オリンピックは延期。新しい競技場はいまだ夢を紡ぎ出せずにいます。でも、沢木さんの詩は、スポーツの枠を超えて何かを問いかけているような気がしてならないのです。
(映像センター/カメラマン 菅井禎亮)

国立競技場をみつめて

私たちは、2014年から6年間にわたって、東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる国立競技場の変遷を超高精細の8Kカメラで撮り続けてきました

旧競技場の姿、その解体と新築工事、さらに完成した新しい競技場。その時々の表情を、のべ7人のチームで記録し続けてきました。

解体中の国立競技場(ミニ番組 BS8K「夢のスタジアム」より)

新しい国立競技場(ミニ番組 BS8K「夢のスタジアム」より)

東京オリンピック開催まで半年あまりとなった去年の冬、撮りためた映像を使ったミニ番組を制作することになりました。でも、その番組にはストーリーが必要でした。幾度となく歓声がこだましてきた競技場の変遷を物語るストーリー。その書き手として私たちが是非にと考えたのが、作家の沢木耕太郎さんでした。

沢木さんとは20年ほど前にアマゾンの先住民の取材でご一緒させていただき、その縁で寄稿をお願いしました。しかし、お願いしたのは2019年12月。年の瀬の慌ただしさの中で、色よい返事はもらえないかもしれないとも思っていました。
しかし、約束の場所に現れた沢木さんは、いすに腰を下ろすやいなや一枚の紙を差し出しました。白いA4の紙にぴったりと収まるようにタイプされた文字。その文章を一読した時の興奮を、私は今も忘れることができません。

夢のスタジアム
沢木耕太郎
少年たちは、そのスタジアムのトラックで走ることを夢見た。
いつか、そこで走り、記録を破る。
しかし、やがて、自分はそこで走ることはないだろうということを知っていく。
別の少年たちは、そのスタジアムのピッチでボールを蹴ることを夢見た。
いつか、そこで、ボールを蹴り、ゴールに突き刺す。
しかし、やがて、彼らも、自分はそこでボールを蹴ることはないだろうということを知っていく。
少年たちは、夢を胸に納め、大人になっていく。
そして、ある日、そのスタジアムで開催されている、特別なゲームを見にいくことになる。
自分の夢ではない、誰かの夢を実現するためのゲーム。
しかし、そのスタジアムの観客席に座っているあいだに、誰かの夢が自分の夢になっていく。
そのようにして、多くの「夢のゲーム」が行われてきた。
そして、戦う者と観る者の夢とが乱反射し、そのスタジアムは「夢のスタジアム」になっていったのだ。

それが取り壊され、いま、新しいスタジアムが完成した。
しかし、そこは、まだ「夢のスタジアム」にはなっていない。
トラックに、走る者の汗が染み込むこともなく、ピッチに、戦う者の涙が流されたこともない。
なにより、観客席に、観る者たちの喜びや嘆きの声が反響したことがないからだ。
だが、やがて、そこも一歩ずつ、「夢のスタジアム」への道を歩んでいくことだろう。
そこで、私たちにとっての、掛け替えのない「夢のゲーム」が行われていくかぎりは。

沢木さんと国立競技場

沢木さんは著書「敗れざる者たち」の中で、1964年の東京オリンピックを国立競技場で観戦した時のことを記しています。マラソンの円谷幸吉選手が、大歓声に迎えられ国立競技場に2位で帰ってきたものの、ゴール直前に追い抜かれ3位になった状況を、スタンド最上段で見ていました。

アスリートが流す汗や涙を、観客の歓声や落胆のため息を、目の当たりにしたのです。

沢木さんからは後日、こんなメールも届きました。

「1964年のオリンピックの頃、僕は東京の高校生で陸上部に入っていたんですが、ちょうどその頃、オリンピックのために国立競技場が改修作業に入ってしまい、都大会の際に使用できなくなってしまったんですね。その結果、まさに僕は国立競技場のトラックを走ることができなくなってしまったというわけです。もしかしたら、その残念な思いがいつまでも残っていたのかもしれませんね」

番組完成  広まる新型コロナ感染

沢木さんの国立競技場への思いを軸に、「夢のスタジアム」の終わりと誕生を伝える番組が完成。3月7日にはじめて放送されたあとは、週1回のペースで繰り返し放送される予定でした。
しかし、世界は新型コロナウィルスの感染が急激に拡大していました。最初の放送からわずか4日後、WHOは「新型コロナウィルスはパンデミックと言える」と宣言し、3月24日には、東京オリンピック・パラリンピックの1年延期が決定、番組も放送がいったんとりやめになったのです。

冬の第3波と「夢のスタジアム」

その後、緊急事態宣言はひと月ほどで解除されたものの、夏の第2波、そして冬の第3波とコロナ禍は続いています。1年延期となった東京オリンピック・パラリンピック開催についても、賛否の議論が交わされています。番組の作り手としては、再放送を願うものの、選手と観客が作り出す「夢のスタジアム」というメッセージは受け入れてもらえるのだろうかと考えるようになってきました。

私は、沢木さんにもご意見を伺いました。再放送された時に沢木さんの詩に触れた人は、コロナ禍の前に書かれたものだとは伝わりにくく、誤解する人もでてくるかも知れないと危惧したためです。
すると沢木さんから返事がありました。

「確かに、微妙な違和感はあるかもしれませんが、もし可能性があるのなら、あまり外部状況を気にすることなく、世の中に出してみてください」

このことばを受けて、私はあらためて思いました。
今、コロナ禍で多くの人が夢をあきらめたり、夢を叶えるための努力を中断せざるを得なくなったりしています。それはアスリートだけに限りません。それでも、夢を抱くことが人々の生きる力になっているのは、間違いないと思うのです。だからこそ、この詩の思いに触れて欲しい。アスリートにも、そうでない人々にも、そして誰かの夢を応援しているたくさんの人たちにも。

「夢のスタジアム」に願いを込めて

今回の撮影をしていて、印象に残っていることがあります。去年の元日、番組のラストシーンとして、サッカー天皇杯決勝を撮影した時のことです。8Kカメラでの撮影には、通常の数倍の手間と時間がかかるため、暗いうちから準備を始めます。明るくなると、空にまばらな雲が浮かんでいるのが見えました。まだ誰もいない競技場でカメラをかまえていると、ピッチの芝生にすーっと光が差し込んできました。そして、まるでスポットライトがあたったようにゴールポストを照らし出したのです。

思いがけず目の前に現れた光景に、沢木さんの詩が重なる気がしました。

戦う者と観る者の夢とが乱反射し、
そのスタジアムは「夢のスタジアム」になっていったのだ。
それが取り壊され、いま、新しいスタジアムが完成した。
しかし、そこは、まだ「夢のスタジアム」にはなっていない。
トラックに、走る者の汗が染み込むこともなく、
ピッチに、戦う者の涙が流されたこともない。
なにより、観客席に、観る者たちの喜びや嘆きの声が反響したことがないからだ。
だが、やがて、そこも一歩ずつ、「夢のスタジアム」への道を歩んでいくことだろう。
そこで、私たちにとっての、掛け替えのない「夢のゲーム」が行われていくかぎりは。

1日も早く、国立競技場が、「夢のスタジアム」になることを願っています。

ページトップに戻る