30代夫婦共働き、1歳の子どもをかかえる我が家。
私:「なんで手を貸してくれないの?」
夫:「やってほしいことは、言ってもらわなきゃ分からないよ!」
子どもが生まれてからというもの、夫婦げんかは絶えることがありません。夫へうまく自分の気持ちを伝えるにはどうしたらいいのだろう…。
そう考えていた矢先、18年間、毎日欠かさず妻へ絵手紙を書き続ける男性がいるという情報を聞きつけました。「私の悩みに答えてくれるヒントがあるのではないか」と夫婦のもとを訪ねました。
(首都圏局ディレクター 木村桜子)
” アリガトウアリガトウ 口には出さぬが アリガトウ ”
” 還暦おめでとう よくぞここまで支えてくれました ”
妻に宛てたこの絵手紙を書いたのは、東京・狛江市に住む小池邦夫さん(79)です。
邦夫さんは絵手紙作家で60年前から創作を続けています。日本絵手紙協会を設立し、全国各地で講演会や個展を開くなど、絵手紙の魅力を広める活動をしてきました。いまや100万人ともいわれる絵手紙愛好者に慕われる存在です。
頭に浮かんだイメージや感情を、墨の色や線の強弱で思うがままに表現するのが、邦夫さんの創作スタイルです。
邦夫さん
「ぶっつけ書きですよ。ぶっつけても、なんとかまとめられるし、その方が自然でね」
毎日8時間、ひたすら絵手紙を書き続けます。そして1日の終わりに、えりすぐりの作品を封筒に入れ、自宅のポストへ投函するのが日課です。
邦夫さん、「照れるから」という理由で絵手紙を手渡したことは一度もないそうです。
妻の恭子さん(67)が絵手紙を受け取るのは翌朝のこと。午前中の家事を終えた後、絵手紙を広げるのが楽しみです。
この日の絵手紙は…。
” 初冠雪 動かないけど動かす山、元気配りの山 ”
絵手紙を一目見るや、「きょうは元気がいいな」と恭子さんがつぶやきました。なんと、絵のタッチや筆の勢いを見るだけで、邦夫さんの気持ちや体調がわかるんだそうです。
自宅のあちこちには、邦夫さんの絵手紙が飾られていました。話を聞くと、どれも恭子さんの ”お気に入り作品” とのこと。返事を書かない代わりに、「これ、よかったよ」のメッセージを込めて飾っているそうです。
邦夫さんが恭子さんに絵手紙を書くようになったのは、20年前、軽い脳梗塞で入院したことがきっかけでした。
病床で生徒たちから届く絵手紙を読み、そこに描かれたささやかな日常やさりげない言葉に励まされたという邦夫さん。暮らしの中の幸せや喜びを伝えられる絵手紙の良さに、改めて気づかされたといいます。
そのとき頭に浮かんだのは、妻・恭子さんの存在です。恭子さんは結婚後、子育ての合間をぬって絵手紙を学び、講師としても活動。公私にわたり邦夫さんを支え続けていました。一番の理解者である恭子さんに日頃自分の思いを伝えられていなかったと感じた邦夫さんは、 ”妻にこそ、絵手紙を送らなければ” と考えたのだそうです。
邦夫さん
「今までは、よその人ばっかりに出してうちには出さなかった。これはちょっと違っていたかなと。相手が喜んでくれることが自分の喜びに結局はつながるわけだから。相手(妻)を喜ばせたい」
2人が毎日欠かさないのが、邦夫さんが書いた絵手紙について語り会うこと。恭子さんからは、ときおり辛口のコメントも飛び出すそうで…。
邦夫さん
「悪いこともどんどん過去には言われたから。 ”なんでここまで言うんか!” っていうところまで言われたこともあるんでね。僕にはこたえたね。普通の人は言わんからね、僕には。でも、言ってくれる人がいなくちゃね、伸びにくかったかな」
また、2人が口をそろえて話していたのが、「絵手紙があるおかげで、年をとるごとに夫婦でかわす会話の時間が増えている」「ケンカも減った」とのこと!
我が家はといえば、家事や子どもの世話に手いっぱいとなり、夫婦でじっくり会話をしていない日もあるだけに、見習わなければ!と反省しました。
「見せたいものがある」と、恭子さんに自宅の一室を案内されました。
そこにあったのは、うずたかく積まれた段ボール箱。中身はすべて、18年間毎日届けられた邦夫さんからの絵手紙です。1枚残らず、すべて大切に保管してきた結果だそうです。
恭子さん
「どうしましょうと思いますけれど、捨てられないし…。口から出かかったことはあります。 ”いつまでこれ続けるの…?” って。 (笑)」
恭子さんが見せてくれたのは、邦夫さんの飾らない気持ちがつづられた絵手紙の数々。私が、特に感動したのはこちらの絵手紙です。
” 昨夜の鍋料理のおいしかったこと 食べても食べても尽きぬおいしさ 尽きぬ幸せ ”
さすが邦夫さん、妻を喜ばせるポイントをよくご存じで。うちの夫にも見習ってほしい、と思った矢先、こんな言い訳めいた絵手紙も出てきました。
” やっとショートカットがなじむ 切りたてには驚く 若々しく似合う 時がいる 髪も靴も ”
今年の春、恭子さんは20年ぶりにショートカットにしました。切って3日たっても、何も言ってくれない邦夫さんをとがめた後にこの絵手紙が届いたそうです。
恭子さん
「切りたてには驚いたんだ、驚いたなら言えばいいのにって思うんですけど。これも私が若いときだったら、 ”本当に人のことは何にも分かってないのね!” って怒るところだったんですけど。もう最近は分かってますから、 ”やっぱり手紙で来たな” って笑っちゃいました」
感謝も弱音も言い訳も、自分の気持ちを素直に伝えることが夫婦円満の秘けつなんだと、改めて感じ入ったのでした。
今年、夫婦の絵手紙のやりとりに変化が起こります。
” 少しずつ弱ってくる 1日1日疲れやすい 集中力が持続できるか 少しずつ不安になる ”
7月、邦夫さんが体調を崩して入院したときのものです。新型コロナ感染防止のため、病院は面会謝絶。
そんな中、恭子さんへ近況を伝えようと、邦夫さんは絵手紙を書き続けたそうです。しかし、入院から10日後、筆が止まってしまいました。この18年で初めての出来事でした。
病床の夫を、会えない中でもなんとか励ましたい。恭子さんは初めて、邦夫さんのための絵手紙を書こうと筆をとりました。
” 箱を開けたら甘い香りがパーッと広がった ”
” トンボ池で大発見 ”
題材にしたのは、邦夫さんが大好きな夏。お見舞いでもらった桃や、夫婦で散歩する公園で見つけた蓮の花を書き、夏の雰囲気を少しでも邦夫さんへ届けようと思ったそうです。
恭子さん
「家族でしか味わえない日々の生活のこととかが、いったん遮断されていた状態だったので、それを何とか繋げたらいいなと思って」
3週間後、邦夫さんは無事退院し、再びアトリエへ通えるようになりました。 朝の出発前には、玄関で握手を交わす2人です。
アトリエでは、入院していたことを感じさせないほど生き生きと制作する邦夫さん。理由を聞くと、原動力はやはり ”入院中に恭子さんから送られた絵手紙” だそうです。
おふたりの会話の中で、ふと邦夫さんが口にした言葉が私の心に残っています。
邦夫さん
「相手に書かされる、書きたくさせられる。一種のラブレターなんじゃないかなと思うよ」
この言葉に恭子さんはびっくり。そして、うれしそうな表情で言葉を返しました。
恭子さん
「今までラブレターだと思ったことは一切なくて。私は整理係だなと思ってたんだけど、今言ってくれたみたいな意味のラブレターであるとすれば、これからも喜んでいただきます」
ある日の夕方、台所を熱いまなざしで見つめる邦夫さん。 恭子さんが夕食に用意していたのは、邦夫さんの大好物、「鶏のから揚げ」! から揚げが食卓にのぼると、早速パクリ。
” 今日一日 充実して仕事をした 気分がいい
夕飯に肉の熱いのが出た うまかった 今日の幸せ ”
「自分が感じた思いは、その都度相手に伝えておく」
良い夫婦関係を築く基本を、おふたりに教えてもらいました。
まずは私も、一緒に子育てや家事を担ってくれている夫へ、支えてくれていることを当たり前だと思わず、その都度「ありがとう」と伝えることから始めようと思います。