東京・原宿の象徴といえば「クレープ」や「竹下通り」のほか、レトロなたたずまいのJR山手線の原宿駅という人も多いはず。実は3月に新駅舎の利用が始まったため今、解体工事が進んでいます。旧駅舎は、デザインをできる限り残したまま建て替えるということですが、ここは区切りで「お疲れさま」。駅舎にまつわる思い出を取材しました。
(首都圏局/記者 浜平夏子)
ことし3月、新駅舎の完成と共に役目を終えた旧原宿駅舎。建て替えに向けた解体工事を進めるため、11月24日には防音・防じん対策のシートがかけられ、特徴的な風見鶏の姿は見えなくなりました。
この駅舎について聞くとみな、それぞれの思いを語ってくれました。
「この駅舎、なくなるのさびしいよね、新しいのできるからいいってわけじゃないよね。私地方の育ちなんですけど、親せきを案内するのもいいんですよ。姪っ子甥っ子でも原宿って言えばわかりますよね」
「明治神宮に自分のお宮参りの時とか、子どもたちと来ているのと、幼い頃にタレントのショップに親に連れて来てもらったりとか記憶にありますね」
大正13年に建てられた旧駅舎は、太平洋戦争中の空襲でも奇跡的に被害を免れ、都内に残る最も古い木造駅舎でした。
原宿駅近くに69年住んでいる鈴木均さんは(70)、昭和20年代半ばに撮影されたという原宿駅の写真を見せてくれました。
「僕が覚えているかぎりは、塔のてっぺんは風見鶏なかったです。ただ、棒が立っているような。でも、駅は自慢でしたよ。ほかになかったから。駅の形としては変わらないですよ。ただ街の中にぽつんと1つ建っている感じ」
さらに、昭和39年の東京オリンピックの直前に鈴木さんが撮影したという写真もありました。
その後は歩道も整備されるなどして今の見慣れた風景になると同時に、海外でも人気を集めた「カワイイ」ファッションなど、若者の街・原宿の玄関口として訪れる人を見守ってきました。
鈴木さんには、忘れがたいエピソードがあると言います。
横浜市内の中学校の教師をしていましたが、ある日、生徒たちが自宅に遊びに来ました。
鈴木さん
「『うちは原宿なんだよ』っていうと『遊びに行く』と。遊びに来るのはいいんだけれども目的は違うんだ。要するに見に行きたいと」
そう。生徒たちの本当の目的は、竹の子族でした。
竹の子族は1980年代に話題になった社会現象。派手な衣装と色鮮やかなメイクで踊り、「ホコ天」を埋め尽くしました。鈴木さんは、竹の子族を見たいという生徒たちを、急きょ、引率することになったといいます。
教師時代の鈴木さん
鈴木さん
「うちにくるのをいいことにね…。私も逆に一緒についてまわったり、人混みの中ついてまわりましたよ。原宿に遊びに行くのが若者のステータスだったんです。これからも続いてほしいと思いますね」
駅舎への思いを形にした人もいます。渋谷区神宮前のコミュニティ施設に勤める金子俊明さんです。金子さんは自分で作った旧原宿駅の模型をこのコミュニティ施設に展示しています。
きっかけは、施設の利用者の声を聞いたことでした。
金子さん
「思い出とか懐かしいようなお言葉をいただいていたので自分に出来ることは何かということで、こういう形で残していければ」
およそ3か月かけて段ボールで製作しました。実際に撮影した30枚ほどの写真をもとに、改札口や案内板も丁寧に作られています。
時計は本物の写真を小さくして貼り付けました
レトロな駅舎に自動改札機も再現
シンボルの風見鶏も
模型を見た人
「よくぞここまでつくった。ほんとすてき」
「こういうかたちで再現されていたので感動しました」
金子さん
「楽しい思い出だとか、悲しい思い出だとか、いろんな思い出があると思います。模型を見ていただいて、なつかしんでいただけると非常にありがたいと思います。96年間、歴史をずっと見てきたんだな~っていうこともあるんで、私の気持ちとしてはとりあえず、おつかれさんというところだと思います」
旧原宿駅舎は解体されたあと、西洋風のデザインをできるかぎり再現した建物が今の場所のすぐ近くにつくられることになっています。再現にあたって、材料で使えるものがあれば再利用されることになっていますが、風見鶏が再利用されるかはまだ決まっていないということです。
JR東日本のプレスリリース