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サラリーマンの街 新橋 コロナ禍の今を見つめる老舗豆腐店

コロナ禍のリアル3
  • 2020年11月19日

コロナ禍でサラリーマンの姿が減った新橋。この街でおよそ90年にわたり豆腐を作り続けている店も、その影響は免れません。それでも三代目の店主はこう語ります。
「なにも変えるつもりはありません」
戦争とその後の混乱、不景気と時代の荒波をくぐり抜けてきた老舗の店主は、今の時代をどう見つめているのでしょうか。
首都圏局/カメラマン 田元 俊之

東京新橋 夜明け前

午前4時30分、夜明け前の新橋。静まりかえった飲食店街に、明かりがともる店がありました。
来年で創業90年を迎える老舗の豆腐店「小松屋商店」です。鉄筋コンクリート5階建ての建物の1階が店舗、老舗というイメージとは少し違ったモダンな外観です。

店の中では、3代目の齋藤孝弘さん(54)が1人で作業を始めていました。添加物を使わずに、大豆本来の風味を生かした味を代々守り続けています。

「良い豆腐を作るために作業しているときは集中したいから」という齋藤さんに、作業中は話しかけない、撮影も邪魔にならないようにするという約束で取材を承諾してもらいました。

一晩水につけておいた大豆。水を含んで表面につやが出ている

作業はまず、前日から一晩水につけておいた大豆を擦りつぶすことから始まります。味の濃い豆腐にするため、水の量は必要最小限におさえます。ペースト状になった大豆は圧力鍋で加熱され、搾り器へと流れていきます。
鍋からは蒸気が上がり、店のなかに大豆の甘い香りが広がりました。湯気を上げながら豆乳が出てくると、狙った濃さになっているかを確認、素早く容器に移してニガリを加えます。
熱いうちにタイミングよくニガリを加えないと、狙った柔らかさに仕上がりません。豆乳の状態を見る齋藤さんの表情は真剣そのもの。「作業に集中したいから」と話していた理由が分かりました。
およそ1時間後、容器から出てきたのは滑らかな肌の絹ごし豆腐。大豆のうまみが凝縮した1品です。

豆乳ににがりを入れる齋藤さん。まるで豆乳と会話しているよう…。

できあがった絹ごし豆腐 1丁170円です

「きょうも良い豆腐ができたと思います。1日に作る量は、多いときで210丁くらい。コロナの前は、もっとたくさん注文を受けていたんですけどね…」

コロナで変わってしまった新橋の風景

小松屋商店は新橋駅のSL広場から徒歩数分という場所にあります。現在は妻の里佳さん、母のすみ子さんの3人で店を守っています。
作った豆腐の多くは主に飲食店に卸しています。古くからつきあいのある飲食店も多く、そのやさしい味は長きにわたってサラリーマンに親しまれてきました。

しかし、新型コロナウイルスの影響で町の状況は一変します。3月に感染者が増え始めると、外出の自粛が少しずつ始まり、サラリーマンを相手にしていた飲食店からの注文は日に日に減っていきました。
4月に入り緊急事態宣言が出されると、いつも夜から朝にかけて入る注文の電話は、全く鳴らなくなりました。

朝の仕事が一段落 街をみつめる齋藤さん

「さすがにどうしたらいいんだろう、と思いました。前日に大豆を水につけ準備しても、朝、仕事に出てきたら留守番電話に注文が1件も入っていない。売り上げがないことは初めてだったので、焦りました。とにかく緊急事態宣言が解除されれば良くなるのでは、そう期待しました」

しかし、緊急事態宣言が解除されたあとも状況は良くなりませんでした。豆腐を卸していた飲食店が次々と閉店、取引のある店は半分以下に。売り上げもおよそ半分に落ち込みました。今も赤字が続いていますが、国からの持続化給付金でなんとか持ちこたえていると言います。

店から見える街の風景も変わりました。通勤時間帯には多くの会社員が行き交っていた店の前の通りも、在宅勤務が定着し、かつてのにぎわいはありません。健康志向のサラリーマン向けに売り出した豆乳も、以前のようには売れなくなりました。日中、飲食店に食材を運ぶトラックが行き交った風景も、遠い昔のことのようです。

コロナ前は豆乳を買い求めるサラリーマンで列ができたそうです

「豆腐をおさめていたお店が閉店して看板が真っ白なアクリル板になったり、去年できたばかりのホテルも営業していなかったり、そういう町を見ていると、なかなか以前のようには戻らないのかな、と思います」

なにも変えるつもりはありません

こんな状態がいつまで続くのか、出口の見えない厳しい状況が続いています。このコロナ禍をどう乗り越えるのか、老舗の知恵を教えてもらおうと尋ねた私に返ってきたのは、少し意外な言葉でした。

「なにも変えるつもりはありません。いままでと同じように、自分がおいしいと思う豆腐を作り続けることが大事だと思っています。なにか新しいことをやろうとすると、それまでやってきたことがおろそかになります。お客さんはうちの豆腐の味が好きで買ってくれているので、今までと変わらない味を作り続けていこうと思います。長年、商売をやっていれば良いときも悪いときもあるものです」

「なにか新しいことをすると、それまでやってきたことがおろそかになる」
今の社会で生き残っていくためには、スピードと変化が欠かせないと思っていた私にとって、それは意表を突く言葉でした。しかし、齋藤さんにとっては、豆腐を作る祖父や父親の背中を見ているうちに、自然と身についた考えだと言います。

祖父と父の背中が語るもの

「子どもの頃から店が遊び場だったし、小学生の高学年になると簡単な手伝いもしました。ですから、祖父や父親が豆腐を作る様子、働いている姿を身近に見ていました。昔は本当に忙しくて、祖父も父も働き者でした」

昭和6年に創業した祖父、松次郎さんは埼玉県加須市の出身。地元で仕事がなかったため、銀座で豆腐屋をやっていた親戚のもとで修行し、のれんを分けてもらったそうです。銀座や京橋、日本橋といった街が近いことから、新橋に店をかまえました。しかし、戦争の混乱の中で商売はけっして順調ではありませんでした。

祖父の松次郎さん(右)

「祖父は徴兵で中国大陸の戦地に行きましたが、無事に帰ってきても戦後の食糧難で大豆が手に入らず、豆腐を作れなかった時期もあったそうです。当時は豆腐屋さんがたくさんあって、競争が激しかったとも聞きました。生きるために大変な時代だったと思います」

父の弘さんの代には、高度経済成長、そしてバブル景気が到来します。新橋の街は、住宅からビル街へと風景が変わっていきました。この頃から、お客さんも一般家庭から飲食店へと変化していきます。景気の波に乗り、豆腐も順調に売れ行きを伸ばしました。新橋の繁華街に店をかまえる老舗豆腐店には、さまざまな誘いの声がかかったと言います。

「景気のいい時代は、銀行からお金を貸すから事業を大きくしないかといった話や、不動産屋から大きなビルを建てないかという話が数え切れないくらいありました。でも、父はその誘いを全て断りました。身の丈に合わないことはやらない。手の届く範囲で商売をする。店は小さくても、おいしい豆腐を提供して、お客さんと長いつきあいをするんだと考えていたのだと思います」

父の弘さん(右)

戦後の苦しい時代を耐え店の基礎を築いた祖父。高度成長期やバブル景気の誘惑に流されなかった父。今、コロナ禍に向き合う齋藤さんの姿を見たら、どう語りかけるのでしょうか。

商売は支え合い

「絹ごし豆腐を2丁下さい」
お昼過ぎ、1人の女性が店を訪れました。近所で居酒屋をやっている石黒千賀子さんです。
「最近お客さん来てる?」
齋藤さんがきさくに話しかけます。
「少ないわねぇ。常連さんが少し来てくれているのがありがたいわ」
この居酒屋では、店を始めた41年前からずっと小松屋商店の豆腐を使っているそうです。

石黒さん
「先代の弘さんから小松屋商店の豆腐は使わせてもらってますが、今の3代目になっても豆腐の味は変わっていません。札幌から出張で東京に来る時、うちに寄ってくれるお客さんは、『豆腐を仕入れといて』って事前に電話をしてくるくらいおいしいんですよ」

豆腐を使ったメニューを見ようと、開店前の居酒屋にお邪魔しました。

カウンター8席の小さな店内。人気のメニューは冷や奴や厚揚げ、冬は湯豆腐も加わります。どれも、豆腐のおいしさで勝負するシンプルなメニューです。
ネギと鰹節、ショウガが盛られた冷や奴を口に入れると、舌の上で豆腐がなめらかに崩れ、大豆の甘みがふんわりと口の中に広がります。「豆腐を仕入れといて!」と頼む常連さんの気持ちがわかりました。
ただ、高齢の常連さんも多く、家族から外出を控えるよう言われ、足が遠ざかっている人も少なくないそうです。まだまだ以前の売り上げにはほど遠いといいます。

石黒さん
「おいしいでしょ?小松屋さんが豆腐を作ってくれる限り、使わせてもらおうと思っています。ほかの豆腐に浮気はしませんよ」

気持ちの景色が良くなるまで

季節は冬になり、再び新型コロナの感染者が増えています。サラリーマンの街・新橋が、以前のように活気あふれる街に戻るのはいつになるのか。在宅勤務などの働き方の変化で、サラリーマンの街であり続けることそのものができるのだろうかと、感じずにはいられません。でも、この店で聞いた新橋の歴史からも、この90年の間にずいぶん街が変わってきたことを知りました。
「変わっていくこと」と「変わってはいけないこと」が、きっとあるんだと思います。

不透明の時代をどう生き抜くか、帰り際に齋藤さんから聞いた言葉が、印象に残りました。

「『景気とは、気持ちの景色』って聞いたことがあるんです。皆さんの気持ちが、安心して外にご飯を食べに出ようと思える状況になれば、うちも以前のような経営状態に少しずつ戻れると思います。それまで、前向きな気持ちで、目の前のことを一生懸命にやっていこうと思っています」

母のすみ子さん 妻の里佳さんと

 

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