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アナログ復活!世界のレコード支える信州の企業

オンリーワンへの道とは
  • 2020年10月16日

コロナ禍がもたらす大変革。あちこちの企業で「生き残りのための改革」が叫ばれています。こうした中、デジタル化の波に翻弄されつつも実直な企業理念から、ついには世界のオンリーワンになった企業が長野県にあります。手がけるのは、最近若い人たちの間でも大人気のアナログレコード。世界が、この会社の技術に頼っています。
(映像センター/カメラマン 小倉正彦)

ヴァイナル 大人気!

ヴァイナルとは、レコードの材料「塩化ビニール(Vinyl)」の英語読みです。CDを買わずにサブスクリプションで音楽を楽しむ若い人も、レコードを「ヴァイナル」と呼んで、その音やジャケットを楽しんでいます。去年1年間のレコードの生産額は21億4600万円、なんと10年前の11倍になりました。

レコードストアデイ2020でにぎわう

ことし8月に東京・新宿区のレコード店で行われたイベントでも、その人気を裏付けるように、さまざまな世代の人たちが集まりました。

24歳男性
「4年前からレコードを聴いています。サブスクもはやっているけど、レコードはジャケットもでかいし、モノで持つのは魅力です」

中国から留学している大学生
「3つの店をまわりました。レコードは音質がいいです。中国にこんな大きなレコードショップはないので、友達からも時々(買ってくれるよう)頼まれます」

海の向こうでは驚くような状況になっています。全米レコード協会によると、アメリカでは1986年に抜かれて以来CDの後塵を甘んじていたレコードの売り上げが、今年はじめて逆転したそうです。

世界で唯一の工場は信州にあり

このレコードを作るのに欠かせないのが、「ラッカー盤」と呼ばれる原盤。そのラッカー盤を世界で唯一製造しているのが、長野県宮田村にある「パブリックレコード」です。
周囲に田んぼが広がるのどかな工場で、社長の奥田憲一さん(73)が出迎えてくれました。

奥田さん
「創業は1976年です。東京のレコード会社でレコード製造に携わっていた父親に誘われて、地元でレコード制作会社を立ち上げたんです。主に地域の人たちの演奏会や卒業記念のレコードを制作していました」

~ラッカー盤とは~
レコードは、回転する盤の溝に針を落とし、その溝に刻み込まれた音楽の波形を針で読み取り音に復元します。でも何千枚、何万枚というレコードの1枚1枚に溝に音を刻むのは不可能です。そこで以下のような工程で大量生産を行います。

まず、アルミニウム板にラッカーを薄くコーティングし、そこに針で音の溝を掘ります。これがラッカー盤です。これをもとに、プレスするための金属の盤を作ります。ラッカー盤が音の溝を掘った凹盤なのに対し、金属は凸盤です。この頑丈な金属の凸盤で塩化ビニールをプレスすることで大量に溝を刻むことが可能になります。(実際の工程はもう少し複雑です)

繊細なラッカー盤作り

会社の工場で、ラッカー盤の製作を見せてもらいました。

最初はラッカーをコーティングするためアルミ盤の製作です。薄いアルミ盤にわずかな傷や汚れ、ゆがみがあると音に影響します。表面を研磨したあと、一枚一枚丁寧に手洗いし、平面性を保つため一晩かけて圧力をかけプレスします。これだけ丁寧にやっても、その後のチェックで、1割近くがやりなおしとなるそうです。

一晩かけてプレスします

続いては塗装です。厳しいチェックを通り抜けたアルミ盤に、ラッカー塗料と染料を混ぜたものを150~200マイクロメートル(0.15~0.2ミリメートル)の厚さで片面ずつ塗装します。繊細な音を記録できるよう、表面はちょっと爪で触れただけでもキズがつくほどやわらかくデリケートです。

少しのホコリやチリの付着も許されないため、作業はクリーンルームで行われ、片面塗るごとに1日乾燥、両面の塗装後さらに2日もかけて乾燥します。同じ塗料でも、その日の気温や湿度の違いで仕上がりが変わるそうで、奥田さんいわく「一枚一枚顔が違う」のだそうです。乾燥が終わると人の目で入念にチェック、なんと1枚のラッカー盤を作るのに1週間もかかる手間のかけようです。

こうしてできたラッカー盤は、大半がヨーロッパ、そしてアメリカや国内に出荷され、盤に音を刻む世界中のカッティングエンジニアの手に渡ります。

世界の音楽が刻まれます

みんなの思いを記録して残したい

会社が設立されたのは昭和51年。ピアノ発表会や学校を中心に、アナログレコードに思い出の音を記録する事業からスタートしました。
モットーは「みんなの思いを記録して、記憶に残すこと」、そして「社会に必要とされる会社にしよう」。「パブリックレコード」という社名もここから来ているそうです。  ただ、この時点では、ラッカー盤を作ることが出来る工場が国内になく、全て輸入に頼っていました。
 
「なんとかしてラッカー盤の国産化を成功させたい!」
 
そう考えた奥田さんたちは、海外の製品を取り寄せながら試行錯誤を繰り返し、2年経った昭和57年にようやくアメリカメーカーのOEM製品として、念願のラッカー盤の製造を開始しました。

ラッカー盤は時代遅れ?

昭和57年という年は、世界の音楽ファンにとって大きな節目の年でした。
音楽をデジタルで記録するコンパクトディスクが登場し、CDプレーヤーが市販されたのです。
ノイズが少なくコンパクトなCDはあっという間に市場を席けん、アナログレコードの需要は急激に減りはじめます。

奥田さん
「受注が落ちるのは、こわいぐらい早かった」

ラッカー盤の技術を身につけた喜びもつかの間、生産量は平成元年をピークに、毎年半分ずつぐらいのペースで減り続けます。多いときには、月に1万枚ちかくあった生産枚数も、わずか10年で10分の1ほどになってしまいました。これではとても会社の経営が成り立ちません。ラッカー盤の製造事業は、もはや時代遅れになってしまっていたのです。

一時は社名変更も考えた

ラッカー盤の製造ラインは、ほとんど稼働しない日が増えました。なんとかこのピンチをしのごうと請け負ったのが、クリーンルームなどを活用したハードディスクの部品製造でした。デジタル時代が幕を開け、パソコン関係の製品は急激に需要が伸びていました。大手メーカーからの受注は順調に入り、会社の収益のおよそ7割を占めるようになりました。

奥田さん
「会社にとってラッカー盤は、もはや毒にも薬にもならないような存在になってしまったのです。一時は“レコード”とつく社名を変えようかという話にもなりました」

 しかし、時代は想像を超える早さで変化します。会社を支えたハードディスクも、発注元のメーカーが、生産拠点を海外に移転させ始めたのです。注文はどんどん減っていきました。
結局、事業として残ったのは演奏会や卒業記念のCD制作と(その頃には、レコードではなくなっていました)、ラッカー盤の製造という創業時からの事業でした。

「必要とされている限り、最後の一社となっても続けよう」

ラッカー盤を国内で初めて生産したこだわりに加え、海外からもわずかながら注文があったことから、奥田さんたちは細々と生産を続けました。

周囲が変わり始めた

2000年代に入ると、会社を取り巻く環境が変わり始めます。兆しはまず海外で現れました。

アメリカではストリーミングなどの音楽配信が主流になり、CDが瞬く間に市場から姿を消しました。一方で、急速なデジタル化への反動もあり、アナログレコードの人気がじわじわと高まり始めたのです。デジタルとは違う音質、大きな盤やジャケットの所有感、若者の間にも新たなファンが生まれ、新譜をわざわざアナログレコードで発売する人気アーティストも現れました。
思いもかけず吹き始めたアナログレコードの風。ラッカー盤の需要も徐々に増え始めました。しかし、ラッカー盤を製造する会社は、世界中にたった2社しか残っていませんでした。アメリカの大手「アポロマスターズ」と、奥田さんたちの「パブリックレコード」だけです。世界中の注文にこの2社で応えていましたが、さらに信じられないようなハプニングが起こります。

アメリカ企業 工場火災で製造不可能に

今年2月、アポロマスターズ社のアメリカ工場で火災が発生し、ラッカー盤の製造ができなってしまったのです。音楽業界に大きな衝撃が走りました。現代ではラッカー盤に頼らないレコードの製造方法があるとはいえ、世界の注文がパブリックレコードに集まることになりました。注文は、昨年に比べ3~4割増、月産1万枚を超え、かつてのピーク時を上回りました。

奥田さん
「うれしさよりも、責任やプレッシャーを強く感じている。いろいろあったが、ラッカー盤に生かしてもらっている、という感じがする、大事にしなくてはいけない」

思わぬ形で、世界で唯一の供給元となった今、奥田さんは表情をひきしめながらこう語ります。

変わらぬ思いがオンリーワンに

コロナ禍もあり、生き残りで大胆な変化を求められる企業。しかし「パブリックレコード」は、時代の波をとらえて乗り切ってきたわけでは決してありません。一枚一枚手間ひまをかけ品質にこだわる姿勢や、例え儲からなくても供給元としてレコード会社の期待に応えたいという信念が、世界のオンリーワンに導いてくれたのかもしれません。

奥田さんが最後に見せてくれたのが、創業のきっかけとなった学校の演奏会や卒業記念に制作したレコードです。

昭和50年代は、今のように誰でも気軽に音声や動画を記録することができませんでした。学校の合唱コンクールやピアノ教室の演奏会などを録音し、オリジナルのレコードにすると大いに喜ばれたそうです。卒業式のシーズンには、校歌や先生・生徒の声を録音したレコードの制作で、寝るヒマもないほど忙しかったといいます。

実際に、地元の小学校の卒業記念に制作されたレコードを聴かせてもらうと、暖かく存在感がある音色が、当時の雰囲気を鮮明に伝えてくれるようでした。
ジャケットを眺め、レコードをターンテーブルにセットし、そっと針を落とす。パチパチというノイズの向こうから聞こえてくる懐かしい音。この時代に、アナログレコードが再び注目を集める理由が、少しだけわかった気がしました。

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